免許合宿紀行 6日目 「陰日向に咲く」

憂鬱な朝だった。

眠れなかったわけではないが、眠りすぎることはできなかった。

時刻は、午前8時45分。

10時頃まで惰眠をむさぼりたかったが、自然と意識は覚めていた。


起きてしまったからにはと、レストランへ行き、朝食を取った。

それから、部屋に戻り、引き籠もる。


午前中に教習はなかったので、観光に行こうとも考えていたのだが、

技能教習があまりにうまくいっていないので、ゆっくり身体を休めてみることにした。

疲れているわけではなかったが、疲れていないわけでもない。


休んだからといって、どうなるものでもないことは解っていた。

だが、他にできることもない。

とりあえずでも、何かやっておきたかった。

効果がなければ、また何か考えればいい。


ノートパソコンの電源を入れ、ニュースをざっと確認し、それから、オンラインゲームを起動した。

ゲームを起動しても、ゲームはしない。

キャラクターを座らせたまま、チームの仲間とチャットをする。

それだけだ。

それだけでいい。


このオンラインゲームに、既にゲームとしての魅力を感じていなかった。

それでも続けているのは、自身がチームの創設者であり、チームを拠り所にして、

ゲームを楽しんでいる仲間が少なからずいると考えていたからだ。


ゆるやかにではあるが、ゲームから少しづつ活気が失われていっていることは感じていた。

やることは限られていて、そして、やることは変わらない。

単調なコンテンツばかりで、今後も期待できない。


ゲームが衰退すれば、それを拠り所とするコミュニティも衰退する。

衰退をはじめる前に、一定の規模までコミュニティを成長させ、そして、

タイトルに縛られない、一つのゲームが死んだあとも続いていくようなコミュニティに変革させたかった。


だが、間に合わなかった。

どんなオンラインゲームにも終わりはある。

だが、まさか選んだゲームが2年もたないとは考えていなかった。

誤算であった。


沈んでいく船から、逃げ出したい気持ちはあった。

だが、そこに残りたい人がいるなら、先に逃げ出すことはできない。


誰かに立場を譲るべきか考え始めてもいた。

やる気のない人間がチームの責任者として、居座り続けるべきではないという気持ちもあった。


でも、考えるための時間もなければ、話し合うための時間もない。

だから、今は、全てを忘れて、ただ楽しく言葉を交わしあった。


テレビから流れる声と、キーボードを叩く音。

テレビからにじむ光と、陰影を湛える白い壁。

薄暗いホテルの部屋の中で、ノートパソコンを凝視し続ける男。


自身の姿を客観視すると、中々、どうして、言葉がない。


7時限目(14時20分~15時10分)

仮免許学科模擬試験【8回目】


47点。

合格点である。

間違えた問題を確認し、解答用紙を提出する。

気づけば、席を立つ順番が早くなっていた。


明日の3時限目に予定されている仮免許学科模擬試験を欠席したいという希望を教官に伝えると、 何を言われるでもなく、あっさりと許可を貰うことができた。

言ってみるものである。

早いうちから合格点を取り続けたことが功を奏した。


8時限目(13時20分~14時10分)

技能教習第1段階 【10時限目】

項目11 狭路の通行(復習)

項目12 通行位置の選択と進路変更(復習)

項目13 障害物への対応(復習)

項目16 交差点の通行(直進)

項目17 交差点の通行(左折)

項目18 交差点の通行(右折)

項目19 見通しの悪い交差点の通行


靴を換えた。

履き続けていたトレッキングシューズから、先日自転車と共に送られてきたランニングシューズに、履き換えた。


私は道具に拘る人間だ。

靴も例外ではない。

トレッキングシューズも、ランニングシューズも、共に、名の知れたメーカーの確かな品だ。

どちらがいいではなく、どちらもいい。


履き換えたのは、午前中に休息をとったのと同様、何かをしたかったからだ。

感覚が変わることを恐れて、履き換えることを躊躇っていたが、まずはやってみてみることにした。

ダメならまた戻せばいい。


靴紐をきつく結び、教習に備えた。


教官は、眼鏡を掛けた比較的若い男性だった。

比較的若いとはいっても、30代半ばから40代前半である。

しかし、40台代後半から50代であろう教官が多いことから、若く感じられた。


教習が始まって早々、制限速度について、合図を出す距離について、突然質問され、一瞬時が止まった。

とはいえ、知っていれば、答えられることは、答えられる。

頷かれ、ほっとため息をついた。


教官は、物静かな人だった。

最初の質問のあとは、一々指示を出さず、運転を見守ってくれた。

それが良いことか悪いことかは解らないが、私にとっては良かった。


緊張せずに運転することができた。

おかげで、これといった失敗をせず、わずかではあるが自信を得ることができた。

教官に感謝した。


9時限目(14時20分~15時10分)

技能教習第1段階 【11時限目】【無線】


項目12 通行位置の選択と進路変更(復習)

項目13 障害物への対応(復習)

項目17 交差点の通行(左折)(復習)

項目18 交差点の通行(右折)(復習)

項目19 見通しの悪い交差点の通行(復習)


ゆっくりと教習車を発車させる。

助言はない。

圧力はない。

助手席には、教官の姿はない。

一人だった。


技能教習11時限目の教習は、"無線教習"が予約されていた。

無線教習とは、教官が助手席に乗らず、教習車に備えられた無線の指示に従って、教習コースを走るという教習である。


不安はあった。

戸惑いもあった。

だが、それは運転席に座るまでのことだった。

誰もいない自分だけの空間に心が安らいでいく。

落ち着いていく。

緊張はある。

だが、不快ではない。


遠くの声に従いながら、教習車を走らせた。

穏やかに、静かに、時間は過ぎていった。


教習車を降りた時、我ながら、良くできたと、自らを褒める気持ちで胸がいっぱいだった。


狭路、坂道、線路など、一癖ある場所を走ることがなかったおかげでもあるだろう。

それでも、自分で考え、自分で判断し、自分で運転ができた。

それが嬉しかった。


嬉しいだけではなく、解ったことがあった。


教官を意識し、運転に集中していなかったことを自覚した。

うまく行っている時はいいが、一度失敗し指導を受けると、一気に崩れ始める。

その克服が課題であると確信した。


もう一つ、靴を履き換えた効果はあった。

よりソールが薄いランニングシューズの方が、感覚が解る気がした。


何かを掴めた教習だった。

暗く曇っていた気持ちに、晴れ間が覗いていた。


明日も、今日のような教習ができることを望んだ。


気分はカツ丼である。

うきうきとした気持ちで、送迎バスに揺られ、わくわくとした気持ちで、ホテルのエントランスを抜けた。

だが、ホテルのレストランには入ることができなかった。

開店時間前であり、かつ、休業日であった。


ため息をついた。

外で食べるしかない。

よりによってである。


とは言え、仕方がない。

部屋へと戻り、荷物を置き、三脚とビデオカメラを背負い、自転車に跨った。


松江駅まで走り、駐輪場で自転車を停めた。

夕食は、駅の中にあるうどん屋で食べようと考えた。


駐輪場を出たところで、ふと、忘れ物に気づいた。

バックパックである。

正確には、その中にある夕食券である。

致命的であった。

ホテルに戻るか、自腹で食べるか迷い、ホテルに戻った。

貧乏なのである。


一往復し、あらためて、駐輪場に自転車を停めた。

駐輪場の係の方の怪訝そうな表情に苦笑いを返して、歩き出す。


駅前には、人の波があった。

松江水郷祭湖上花火大会のためだ。

昨夜は三千発が打ち上げられ、今夜は六千発が打ち上げられる。

つまり、今夜が本番であると言っていいだろう。


駅から出てくる流れに逆らって歩く。

甚平と浴衣のカップルが眼にしみた。


うどん屋の暖簾をくぐると、意外と空いていた。

打ち上げ予定時刻が迫っているからであろう。


夕食券を渡し、揚げ茄子うどんとわっぱのセットをお願いした。

わっぱがないので、稲荷寿司で良いかと問われたので、頷く。

蕎麦と同じ釜でうどんを茹でるが構わないかと問われたので、頷く。


時間はないが、焦ったところで、うどんがはやく茹で上がるわけでもない。

大人しく待った。


程なくして、揚げ茄子うどんと稲荷寿司のセットが配膳される。

実に美味しそうだ。

一口、二口、実に普通だ。

期待以上でもなく、期待以下でもない。


なんというか、普通だ。


最近の冷凍うどんは、かなり美味しい。

手打ちのうどんよりも美味しかったりすることもある。


冷凍うどんと手打ちうどんを比べるのは失礼だと考える方もいるかもしれないが、私はそうは考えない。

何故なら、手打ちうどんをつくっている方も、冷凍うどんをつくっている方も、同じように、 美味しいうどんをつくりだすために努力を続けていると考えるからだ。


食べる側にとって、大切なのは美味しいということであって、 手打ちだから、生麺だからということは、どうでもいいことであると考えるからだ。


何が言いたいかというと、冷凍うどんという強敵が出てきたからこそ、うどん屋さんにはもう少し頑張って欲しいということである。


ちなみに、私のマイベストうどんは、香川の讃岐うどんであり、マイワーストうどんは、群馬の水沢うどんである。

前者は、安くて、多くて、美味い。後者は、高くて、少なくて、普通。

前者は、地元の人間が親しむ食文化であり、後者は、観光客向けの商売である。


ごちそうさまを言って、店を出た。

毎度のことであるが、お会計をしないで、店を出るのは、食い逃げのようでどうにもばつが悪い。


駐輪場で自転車を回収し、花火の打ち上げ場所である宍道湖の湖畔を目指して、走り出す。

歩道には人が多いが、車道を走る車は少ない。

交通規制が行われているからだ。


こうなると自転車には都合がいい。

自転車は車道を走るものだからである。

夜の街道をなめらかに走って行く。


が、少し、時間が足りなかった。


彼方から重い音が響き、

夜空に大輪が咲く。


自転車を停め、ため息をつき、天を仰ぎ、そしてまた、走り出す。

花火が打ち上がる音を聞きながら、走るのもまた、快かった。


目指す場所は、千鳥南公園の西、私鉄一畑電鉄北松江線の線路を跨ぐ、陸橋である。

昨日、「吉田くんと巡る怪談の地ラリー」で付近を通った時に、あたりをつけた場所だ。


混雑が予想される湖畔沿いの道からではなく、裏道を通って陸橋へと近づいていく。

想定していた通り、人通りは少ない。

軽やかに流していく。


花火が打ち上がる音が近づき、そして、また遠ざかっていく。


ついに、陸橋へと辿り着いた、私は天を仰いだ。

花火を観るためではない。

陸橋が想定外の状況にあったからだ。


陸橋の上では、警察官が交通整理を行っていた。

どうやら、陸橋の上では立ち止まることはできないらしい。

こうなるとどうしようもない。


自転車を押して、陸橋を渡り、そのまま、宍道湖の湖畔まで歩いた。


さて、どうしようか?

そんなことを考えながら、顔を上げた。

息を呑んだ。

俯く必要などなかった。


夜の空、夜の湖。

眼前には、2つのスクリーンが広がり、まばゆい光が映されていた。

咲いては散る大輪の花に魅せられた。

繰り返される眩い光景に瞳を奪われた。


花火というものに、憧れはなかった。

ここ数年、地元の花火大会があっても観に行っていなかった。

新しい驚きがないことを知っていた。


だが、どうだろう?

初めて鑑賞する湖上花火大会は、全く別のものに観えた。


ただ空高くに打ち上がる花火を仰ぐだけではない。


空と呼ぶには、あまりに低い場所で、花束を描くように咲く光。

水平線の上で欠けた真円。

湖面に反射する光の色。

輝いたまま落ちる光。


それは新しい驚きだった。


どうせなら、誰かと一緒に観に来たかっただとか、考えていなかったわけではない。

いや、考えていた。

だが、既にどうでもいい。

どうでもよくないが、どうでもいい。


一人でも来て良かった。

ただ、そう思った。


最後の花が咲き乱れ、静寂の中で、微かに拍手が響き、やがて、雑踏へと変わる。

祭は終わり、止まっていた時間が動き始める。


歩き出す人の群れの長大さを望み、これだけ多くの人の時間を停める花火というものの魔力に、ため息をついた。


流れに身を任せながらも、捲かれないように、自転車と共に歩いた。

陸橋の中央で階段を降り、小路へと入る。

人通りは全くなかった。


自転車で走り、それなりに順位を上げたが、先頭はまだ先だった。

駅に近づくほどに、人の数は増え、道幅は狭くなった。


自転車を降りて、商店街を歩いた。

途中、甘酒が売っていたので一杯貰う。

私は冷たい甘酒が大好きだ。


流れに逆らわず、ゆっくりと歩いていく。

ホテルまで、あと少し、部屋に戻れば、一日は終わる。

だが、まだ終わらなかった。

一つの出会いが待っていた。


ふと、通り抜けられそうな小路があったので、人混みから逃れるように、そこに飛び込んだ。

小路を少し進むと、視界が開けた。

そこには、広場があった。


広場は、やけに明るく、そして、騒がしかった。

人が集まっていた。

人が人を囲んでいた。

どうやら、花火大会に合わせて、イベントが行われていたらしい。


立ち止まって様子を覗う。

マイクを片手に奇抜な衣装の男がステージの中央で歩き回っていた。

長身、細身の筋肉質。

上半身裸、下半身はロングタイツ。

刈り上げた黒髪、オレンジ色の鶏冠、金色のエクステンション。


男の名は"ジロー今村"というらしい。

名に憶えはない。

島根では、有名な男なのかもしれない。

"魂の肉体表現者"であると自称したことから、つまりは、ダンス系のパフォーマーであろうことが推測された。


今日の予定は、ホテルに戻って、寝る以外にはもうない。

明日へと急ぐこともない。

折角なので、観ていくことにした。


やがて、MCが終わり、パフォーマンスがはじまった。


よく解らない。

というのが、第一印象であった。


音楽と共に、身体を動かし、全身を使って何かを表現するというのが、彼のパフォーマンスであるようだ。

だが、表現される、その何かが解らない。


全てが解らないわけではない。

ルパン三世のパントマイムなど、解りやすいパフォーマンスもあった。

だが、基本的には、首を傾げたくなるようなパフォーマンスばかりであった。


マスクを被ったり、トランクから人形を取り出しては投げ捨てたり、 タイツを脱いだり、スカートを履いたり、パイプ椅子でピラミッドをつくって、その頂点で開脚倒立したり、 結局、彼が伝えたいことは、最後まで解らなかった。


だが、解ったことがあった。

彼が懸命に何かを表現しようとしていること、それを伝えようとしていることである。

その姿に、気づけば、心は揺さぶられていた。


速かったり、美しかったり、或いは、正確であったり、奇妙であったり、そんな風に、身体の動かし方が凄いというわけではない。

だが、魅せられていた。


ふざけた恰好だ。

ふざけた髪型だ。

格好よくはない。

だが、格好よかった。


考えるな、感じろ。

そんなパフォーマンスだった。


最も印象に残っているのは、彼が倒立に失敗したシーンだ。

パフォーマンスの後半、動き続け、疲れきっていながらも、失敗したことを隠さず、失敗したままにせず、 観客にもう一度やらせて欲しいと願い。そして、もう一度、挑んだ。


失敗することはある。

フィギュアスケートの選手だって、ジャンプに失敗する。

だから、パフォーマンスで失敗したって、どうということはない。

観客も責めることはないだろう。


だが、ジロー今村は、失敗を認め、そして、やり直すことを選んだ。

その姿に、その姿勢に、心を動かされた。


ジロー今村のパフォーマンスは、花火と同じように、私の時間を奪っていた。


彼は36歳で、子供もいるそうだ。

毎日、全国を巡り、パフォーマンスをして暮らしているそうだ。

暮らしは厳しいそうだ。


だが、それは彼が選んだ生き方だ。

そういう生き方もある。

そうやって生きている人もいる。

その強さに憧れた。


私も、まだ諦めていない。

死ぬまで、諦めつもりはない。


私の夢は、言葉によって、思いを伝えられる存在になることだ。

私の夢は、言葉によって、新しい何かを創り出せる存在になることだ。


正しい生き方なんてない。

生き方は一つではない。

人それぞれに人生はある。

選ぶことができる。

諦めなければ、挑み続けることができる。


教えられた。

強く勇気づけられた。


この日、この時、この旅の紀行を書くことを私は決意した。


■本日の消費■

なし


■本日のチェックポイント■

なし

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る