【7】

 適当な店に入って持ち帰り用の飯を作ってもらう。出来上がりと見るや否や、カリマはやや乱暴にお代を渡し、足早に店から出てきた。贅沢を言うなら《メジロ》の飯が良かったが、あいにくあの店は夜は営業していない。

 通りに出ると日はすっかり落ち切っていた。広場の方では昨日と同じような賑わいが聞こえてくる。昼出てくるときは「リゼの顔を広めるためにも夜は外で食べよう」などと考えていたカリマだったが、その気はすっかりそがれてしまった。外で食べていてあの二人にあったらまた絡まれるに違いない。カリマはなによりそれが嫌だった。

 他に寄ることもなくカリマは一目散に自宅へと戻っていた。今日は他にも回るつもりだったが、とてもそんな気分ではない。『市場』に行くのは久しぶりだったが、まさかここまで精神をやられるとは思わなかった。こんなになるのであればウジカイにリゼを預けて、自分はおとなしくウジカイの家で待っていればよかったとさえ思えた。

 家に帰ると朝と同じようにリゼと机の対面に座り、黙々と飯を食う。別にまずいわけではないが、さして旨いわけでもない。あんなところを見た後なのだ。味がしなくても仕方のないことではある。リゼもそれを知ってか知らずか、黙々と食べる手を進めている。朝と同じ無言の食事。だが流れる空気はまるで違った。

 飯の半分を残し二人の手が同時に止まる。カリマは明日の朝の分まで残しておこうと思って手を止めたが、何故リゼの手も止まっているのか。既に腹がいっぱいなのだろうか。

 しばらく待っても手を伸ばそうとしないため、カリマが飯を棚に戻そうとする、その瞬間だった。リゼが、やもすれば聞き取れないようなか細さで呟いた。

「……カリマは、さ」

 なんだ、と言ってカリマは振り返る。思えば初めてリゼ側から言葉を発したような気がする。それだけ打ち解けられたということなのだろうと受け取り、カリマは今日のこの不快感も無駄ではなかったのだと安堵していた。

「……カリマは、さ。何で、この仕事、やってるの?」

「いや、なんでってそりゃ、金を稼ぐためだ。この飯を買うのだって金が要る。この服だって金が要る。生きていくためには金が必要だ。だから仕事をしてる」

「そう、じゃなくて、なんで、この、仕事、なの?」

 リゼは一つ一つ言葉を探すように喋っていた。

「なんでこの仕事かって? そりゃ俺がこれしかできないからだよ。十の時にウジカイに引き取られてからずっとあの仕事を手伝ってきたら、いつの間にかあれしかできないようになっちまってた」

 別に人買いに買われた人間が、すべてまた人買いになるわけではない。ヤクヤのように他のギルドに行く者もあれば、ユーギのようにギルド内の別の役職に就くこともある。思えば同期である二人には、随分と離されてしまった気もする。

カリマはただただ惰性で、人買いになっただけだ。何も得なかったし何もできなかった。ウジカイが人買いをやめると知った時、その枠が一つ空くから、というちっぽけな理由で人買いになることを決めたのだ。

「ん、んん? そう、じゃなくて」

 歯切れが悪そうにリゼがたどたどしく言葉を紡ぐ。


「カリマは、自分の、仕事に、怒ってる、のに、なんで、やって、るの?」


 しばらくの無言の後に出てきたそんな言葉は、カリマの胸を予想外に大きく抉った。

「い、いやだから金を稼ぐために……」

「じゃあ、なんで、金を、稼ぐの」

「そりゃさっきもいったじゃねぇか、生きる為だ」

「じゃあ、なんで、生きるの」

 その核心を突いた言葉に思わず言葉に詰まった。何故生きるのか。生きているために金を稼いで、働くために生きるのか。リゼが口に出さずとも、そんな言葉を聞いてしまった時点でカリマの頭の中にはそんな葛藤が生まれてしまった。自分の中の空虚を、無意識に見つめてしまった。

 例えばユーギ。あいつは『このスラムをよりよい街にする』ために働いている。そのために今は嫌な仕事だろうと、満面の笑みで受け入れている。『このスラムをよりよい街にする』という夢があるから。

 例えばヤクヤ。あいつは『自分の探求心を満足させる』ために働いている。だから自分の嫌いな仕事は容赦なく蹴るし、好きな仕事は環境が悪かろうと飛びつく。『自分の探求心を満足させる』という目標があるから。


 そんな働くことを良しとする何かが、自分にはなかった。


 急にバン! と音がした。見ると無意識のうちに、思いきり机を叩いていたらしい。机を叩いたてのひらは赤く腫れ、机の上に置いてあった食べかけの飯は今の振動で少しこぼれてしまっていた。向かいのリゼは心配そうな目でこちらを見つめていた。

「あ、ああすまん、驚かせちまった……。なに、ちょっと考え事をしちまってな。恐がらせるつもりはなかったんだ、申し訳ない」

 マズい、せっかく話してくれたのに怖がらせるような真似をしてしまった。カリマはなんとか取り繕うにしてリゼに話しかけた。

 だがそれに対するリゼの反応は変わらず、こちらに心配そうな目を向けてくるだけだった。


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 どうしてカリマは怒っているのだろう。自分の質問が悪かったのだろうか。リゼはカリマを見ながら、何が悪かったのかを考えていた。

 リゼの質問にカリマを責める意があったわけではなかった。ただ単純な疑問として、自身の主人のことを知りたかっただけだった。ただ、こんな結果になるなら、何も言わないほうがましだったのだろうか、とリゼは少しだけ落胆していた。

 元々は褒めてほしかったのだ。カリマはリゼがなにかしら自分で行動を起こすと、自覚があるのかは不明だが、心なしか嬉しそうに顔をほころばせる。それは歓喜なのかもしれないし、もしくは安堵に近い感情なのかもしれない。ともかくリゼはそんな表情を向けられることが、たまらなく嬉しかった。何者でもなかった自分が、この世界に認められたような気がしていたから。

 カリマは、リゼにとっての世界そのものと言ってもよかった。英雄と言い換えてもいいだろう。もしカリマがいなければ、精神的にも肉体的にもリゼはここにはおらず、どこかで誰ともわからぬまま死んでいたのかもしれないのだ。

 だから今カリマが落ち込んでいるのは、リゼにとってとてもつらいことだった。自分の世界が暗く閉ざされてしまったようで。

 だからといって、今のリゼはカリマを元気づけるような言葉を持ち合わせてはいなかった。なにせ自分の意識が芽生えたのもつい先日のことである。仕方ないとは分かりつつも、リゼは歯がゆい気持ちでいっぱいだった。

「……お前は、誰だ」

 胸の内でまた声が響いた。

 僕は、リゼ。人買いの、カリマの、弟子の、リゼ。

 昼間までなら、その声にそう答えられていたはずだった。けれど今は、そんな自分の言葉が、嘘のように思えてしまっていた。


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