【6】

 カリマはスカージギルドを後にした。ユーギに服を見繕ってもらったからか、リゼの歩みも心なしか来る時より軽快に思える。

 日は少しずつ傾いていた。この時間ならウジカイも起きているだろうと思い、カリマはウジカイの家を訪れていた。ギルドの時のようにノッカーがあるわけでもないので、大声でウジカイを呼ぶ。

「おーいウジカイ! てめーの息子様が来てやったぞ! さっさと開けろ!」

 ギルドでの殊勝さはここではかなぐり捨てる。ここはつい先日まで自分の家だったのだ、多少不躾にしても何も言われないだろう。それになにより、ウジカイに配慮なんてするほうが間違っていた。

 しかし待てど暮らせど中から返事は帰ってこない。しびれを切らしたカリマは扉を開け、ズカズカと中に入っていった。ウジカイの寝室は家の奥だ。もしかしたら聞こえなかったのかもしれない。

 だが部屋の前に着いたカリマはすっかりあきれ返っていた。

 ウジカイの寝室の扉は開け放しており、中の様子は丸見えだった。ウジカイ自身は豪華な寝床に裸のままイビキをかいて寝ており、その周りには吸い殻と酒の空き瓶が散乱していた。まだ扉の外にいるにもかかわらずアルコールと煙草の匂いが漂ってきており、とてもではないが人様に見せられるものではなかった。

「また酒盛りでもしてたのかこいつは……。おい、さっさと起きろ。息子様のご帰還だ」

 カリマが文字通り叩き起こすと、ウジカイはダルそうに体を起こした。

「んぁ……、……なんだカリマか。ミヤビちゃんかと思って期待したのに」

「何言ってんだ、寝ぼけてねぇでさっさと支度しろ」

「支度ぅ…? なんだお前、どっか行くのか。ならお前だけで勝手にいっとけよ、俺はもう一眠りする」

「リゼを『市場』に連れてきてぇんだよ、人買いの俺より人売りのお前が説明しやすいだろ?」

「……なるほど、それなら確かに俺が必要か。ちょっと外出てろ。すぐ準備してくる」

 そういうとウジカイは酒瓶を退けながら服を掘り出し始めた。これなら時間はかかるが、本当に案内してくれるだろう。ウジカイは確かに怠惰な男だが、後進の教育だけを見るならウジカイに勝る男もいない。伊達に顔役としてこの町にいるわけではないのだ。

 二十分ほどすると、ウジカイは服を着て玄関に出て来ていた。首元には趣味の悪そうなギラギラと光った装飾品を付けている。酒やたばこの臭いはまだ抜けないが、今から行くところではそんな臭いも気にはならないだろう。

「さて、行くか。お、リゼもいい恰好してんな。カリマんちにこんなのあったか?」

「ギルドに行ったら服装について散々言われてな、キジナとユーギに服を見繕われた」

「おいおい、一体どんな格好で行ったんだよ。まさか昨日の布きれ一枚で行ったわけじゃあるまい?」

「……んまぁ、あれに布の量が増えたようなもんだったよ」

そう言うとウジカイは腹を抱えて大きく笑った。

「アッハッハ! それじゃあ怒られるってもんだ。今度服くらい一緒に見繕ってやるよ」

「今度今度つっていつも連れてかねぇじゃねーか。とりあえず今日の『市場』に連れってくれりゃそれでいいよ」

「はいはい、それじゃあ着いてきな」

 そういうとウジカイはおもむろに歩き出した。『市場』の場所は安全上の問題からその都度変わるため、場所は限られた関係者しか知らない。ウジカイはこのギルドの顔役であり、また『人売り』もあるためその場所を事前に知らされている。

 細い路地を何本も曲がり、やがてカリマ達は一件の建物の前に着いた。見た限り敷地は猫の額ほどもなく、一見してみると、とても大勢の人々が集まる『市場』が開催されるとは思えなかった。

 ウジカイはその建物の扉を二・三度ノックし、扉に向かってこそこそと話しかけていた。時折こちらを見るのはリゼの説明でもしているのだろうか。

 やがてゆっくりと内側から扉が開く。ウジカイがこちらに手招きをしたので、カリマはリゼの手を引き扉の中へと入ってった。

 暗い室内に入ると真ん中に下に降りる階段があるだけで、他には何もなかった。ウジカイがその階段を軽快に降りていくので、それにならってカリマ達も後ろをついていく。

「そういやさカリマ、お前どこまでリゼに説明したんだ?」

 階段を下りる途中、ウジカイはそんなことを訪ねてきた。これからの光景の説明をするためにも聞いておこうと思ったのだろう。

「ユーギにギルドと人買いの話をしてもらっただけだ。人売りとか『市場』の話はしてない。昨日に比べて記憶が戻ってきてるみたいで、かなり理解が早くなってる」

「なるほど。ユーギのやろうが話してたなら、結構なきれいごと並べたてたんだろ? まぁ今からたっぷり汚いところを見るんだ。そのくらいの方がバランスが取れるだろ」

 そう言うとウジカイは、話を聞いて引き気味になっているリゼを見てカラカラと笑った。

 やがて階段は途切れ、目の前に鉄製の扉が見えた。扉の横には顔全体覆い隠すための仮面がいくつも置いてある。これは参加者同士の判別が容易になることを防ぐための一応の配慮だ。扱う商品が商品であるため、このようなことをする必要が出てくる。

 なにしろ『人』を扱う商売だ。いくら法で守られているとはいえ、世間に胸を張れる商売かと言えばそんなことはない。普通の職の適性がなかったものは『市場』に出され競りにかけられる。

 三人は仮面を手に取りそれぞれ顔に付けた。こうやって見ると服を見繕ってもらったのは正解だったように思う。さすがにこんな場所に布に着られたような者がいたら、カリマだって気になって仕方なかっただろう。

 鉄扉を叩くと中から燕尾服姿の男が現れ、中に入るよう促した。顔には自分たちのつけているような仮面をつけている。

 中にいるには天井に着きそうな長身の者、リゼと同じような背丈の者、煤に汚れた服を着た者、立派なドレスを着こんだ者、白衣をまとった者など、様々な人々がみな一様に仮面をつけて集まっていた。

 ウジカイは奥の舞台が見える壁際に陣取ると、リゼの目線までしゃがみこみリゼの頭に手を置いた。

「さて、リゼ。人買いの話はギルドで聞いたようだな?」

 ユーギの時とは違って一度会っているからなのだろう。あまり物おじしている様子もなく、リゼは首を力強く縦に振った。

「……立派な仕事だって」

「ユーギが言いそうなこったな、それも間違ってない。だがさすがに、それを全部まともに信じたわけじゃないだろ?」

「……少し、嘘ついてた、気がする」

「そりゃそこまで綺麗に語られたら誰だってそうなるわな。なによりお前は、自分が売られるとこを自分で確認してるはずだ。あんな自分の意思も何もない取引しといて、まさか綺麗なところばかりなはずがあるめぇ」

「……まぁ」

「人を売る流れは人買いが人を仕入れ人売りに売る。人売りが仕入れた人を就職先に売る。じゃあ問題だ、人売りのとこで余った人間は、どこに流れると思う?」

「………………どこ、だろう」

 リゼはしばらく悩み、首を捻った。そりゃ分からんだろうよ、とウジカイは小さく笑った。

「それが分かったら俺たちと同業だったとしか思えんしな。思いつかなくて当然だ。……さて、そろそろその答えが出てくるところだ」

 照明が完全に落ち、既に薄暗かった会場内が更に暗くなる。人々がにわかにざわめきだすと、舞台が多数の照明によってまぶしいほどに照らされた。舞台上には先ほど扉を開けた男と同じ服を着た男が、拡声器を持って立っていた。


「会場内の老若男女紳士淑女の皆さん、お待たせしました。今宵も『人間市場』のお時間でございます」


 そう、答えは『人間市場』への流出。人を人とも思わぬ連中への横流し。

「皆様におかれましては、日ごろご苦労のことかと思われます、いつも『人』が足りなくてご不満のことでしょう。ですがご安心ください、そんなあなたの為に今夜も様々な人間を集めてまいりました。ご入用の『人』がございましたらお手持ちの札を挙げるとともに、入札金額を叫んでくださいまし。なお競りの形ですので取れない場合もあります、あらかじめご了承くださいませ」

 場内は客たちの歓声でごった返す。興奮した客の一部が、早くはじめろと騒ぎ立てる。

 ここで言われる『人』とは一般的に言われる『人手』のことではなく、『人体』のこと。そうだ、ここは『人体』を求める糞のような輩の集まりだ。金持ちの好事家のペット、誰かの代わりの死体、臓器売買用の肉袋、実験用の検体。スカージギルドから見ても反吐(へど)の出るようなそんな用途で人体を欲する者たちが、ここには集まってきているのだ。

 舞台では早速競りが始まっているようだった。司会の話を聞くと、稀に見る肥満体だったため職がなかったらしい。ああいうのは大抵検体行きだ。

「大体今やってる感じで競りが進んで、金を一番出した奴が買っていくってしくみだ。買われた奴の末路は……良くても一生奴隷、悪けりゃ即解体ってとこか」

「解体……?」

「ああ俗語じゃ伝わらなかったか。なんつーんだろうな、殺されて体の部位ごとに分けられて、必要なとこだけ必要なとこに回される、残ったのはくずかごにポイだ」

 大げさなジェスチャーとともにウジカイが面白おかしそうにリゼに語る。ウジカイも含めてこんなところに来るやつは狂っている、とカリマは昔から考えていた。カリマも加担している身なので大それたことは言えないが、それでもこんなところに好んで来ようとはしない。来るたびに吐き気を催してしまうからだ。

リゼはそんな話を聞き、会場をじっと見つめていた。通りを歩いている人々とは言動が違うため興味深いのだろうか。

 四人目の出品者は昨日カリマが仕入れて来た女性だった。どうやら年がかなり上なのもあって働き口がなかったらしい。ああなったら大抵は死体の身代わりに使われる。そう考えると思わず目をそらしてしまう。

 十五年前からこの仕事には関わってはいるが、どうも未だに割り切れない。自分はこの仕事は向いていないのではないかとさえ思える。今人買いをやっているのだって他に食い扶持がないからであって、決して好んでやっているわけではない。

 対してウジカイはこの狂気を楽しみに人売りをやっている節がある。幼いカリマがここに連れてこられたとき、いつもウジカイはニヤニヤと会場全体を眺めていた。壇上の人々だけではなく、客たちや司会も含めてすべてを見渡し笑っていた。幼いカリマはどんな光景よりも、このウジカイの笑みに恐怖したものだった。



 結局最後までいられずに、カリマは先に建物の外へ出きていた。リゼは観察を終えるようすがなかったので、ウジカイに預けて中に置いてきた。

 大きく息を吸い込む。スラムの空気はお世辞にも綺麗とは言えないが、それでもあの地下の空気よりはよっぽどましだ。人の歪んだ欲望を煮詰めたような、ドロドロした空気よりは。

「おや、カリマ君じゃないか、会いたかったよォ。いつ戻ったんだい?」

 気が付くと隣には白衣を着た長身の男が立っていた。

「……俺は会いたくなかったよ、ヤクヤ」

 カリマは心からそう返した。目立つ格好なので地下で見たときに気づいてはいたが、出来れば会わずに帰りたかった相手だ。

「随分な言いようじゃないかカリマ、同期のよしみだろ。もっと優しくしてくれてもいいんじゃないのかァ?」

「人がせっかく仕入れた商品を、次から次へ安値で買いたたいては壊すやつに誰が会いたいんだよ。冗談もほどほどにしろ」

「そりゃ仕方ないさ、実験に使う検体なんだ。壊れて当然、壊れなかったら壊すまで使うだけだよォ」

 そう言ってヤクヤは手に持ったリードを引っ張って見せる。リードの先には先ほど地下で競りにかけられた、肥えた男性が繋がれていた。カリマはつい同情してしまった。よりにもよってヤクヤに買われたのか、可哀想に。

「……それも実験用か?」

「そうそう、よく分かったねェ。最近研究所の方で大規模な研究をしててさァ、僕専用のが一人ぐらい欲しかったんだよねェ」

 ケラケラと笑いながら、ヤクヤは玩具を自慢するようにリードの先の男性を見せつける。折角落ち着いた吐き気がまたぶり返しかけた。

 そうやってヤクヤと楽しくもない会話を続けていると、建物の扉から人が一組、また一組と出てきた。匿名性を守るため、一組づつ帰らせるのが『市場』の習わしだ。しばらくするとリゼとウジカイも扉から出てきた。リゼが心なし嬉しそうに、こちらに手を振ってくる。振り返そうかとも思ったが、何故か横のヤクヤが手を振りかえした。

 ヤクヤがいることに気付いたウジカイが、ヤクヤに手を振りかえす。どうやらヤクヤはリゼでなくウジカイに手を振っていたようだった。

「おお、ヤクヤじゃねぇか!随分デカくなりやがって、システマじゃ元気にやってるか?」

「大丈夫だよ父さん、おかげで万事順調さァ。ところでその横の子はァ? 新しい子どもかな、それとも玩具かな?」

 ヤクヤ・カリマ・ユーギの三人は皆同時期にウジカイに引き取られた身であるが、ヤクヤだけがウジカイのことを常に父親として扱う。おそらくその心根が似ているのだろう。人を人と思わず、ただの自分の玩具としてしか見ない、その心根が。

「そうだったらよかったんだがなぁ。残念ながら違うよ。こいつはリゼ、カリマの新しい弟子だ」

「へぇ、カリマ君弟子なんてとったんだぁ。あ、僕はヤクヤ。カリマ君の友達だよォ、ヤクヤのところにいるならまた会うだろうし、名前だけでも覚えて行ってくれると嬉しいなァ」

 ヤクヤがニヤニヤと笑いながらリゼに手を伸ばす。長身のヤクヤが腰から上だけ曲げて手を出す姿は何とも不気味で、リゼは恐る恐る手を伸ばすと、一瞬ヤクヤの手に触れただけですぐにその手を引き戻してしまった。

「あらあら、随分と恐がられちゃったねェ。僕もユーギ君くらい愛想ふりまけるといいんだけど」

「お前にゃ無理だよ、おとなしく研究所にでも引きこもってろ。大体なんでいつもいつもスラムまで来るんだ。システマギルドは平民層にあるんだろ? 平民層の町でもこういう『市場』は開かれてるんだ、そっちに行けばいいじゃねぇか」

「カリマだって僕の実践主義は知ってるでしょうに。それに下の情報ってあんまり上に流れこないからねェ、情報収集も兼ねられるから一石二鳥なんだァ。そういえば父さん、これはウチで流れてる話なんだけどさ……」

 ヤクヤは何か思い出したかのように手を叩き、その大きな体をぐるりと回してウジカイのほうに向けた。

「どうやら他のラボの検体が何匹か、管理ミスで野に放たれちゃったみたいでねェ。僕も詳しくは知らないんだけど、どうやら生物を組み替える危ない実験だったそうなんだァ。その手の事件の話とか流れて来てないかなァ?」

 その話を聞いたとき、カリマの頭に昼間の話がよぎった。竜の遭遇例の増加。そして人を襲う珍妙な竜の話。

「ん? いや、まだ俺のとこには来てねえな。俺も一線退いちまったし、早めに情報が回ってくるわけでもなくなっちまった。もっと早く情報が欲しいんならユーギんとこにでも行けよ」

「ウチのラボとスカージギルドの仲が悪いからか、最近ユーギ君めっきり会ってくれないんだよォ。カリマ君も構ってくれないし、兄弟はバラバラで僕は悲しいなァ」

「おうおう、俺も手塩にかけてかけた息子たちがバラバラになって悲しい限りだよ。どうだこれから一杯。積もる話もあるんだ、なんならお前向けのあっちの話もあるぜ」

「いいねェいいねェ、久しぶりに会ったけど、やっぱり父さんは父さんだァ」

 そんな家族ごっこを聞くのに嫌気がさし、カリマはリゼの手を強引にとり、路地から通りに戻る方へと踵を返して歩き出した。後ろから笑いを含んだ声が聞こえる。

「おいおいカリマ、そんなに急いでどうしたんだよ! どうせこの後何もないなら一緒に呑もうぜ!」

「そうだよォ! 折角久しぶりに親兄弟で飯が食えるじゃあないかァ!」

 カリマは頭が痛くなった。あんな会話を延々目の前で続けられては、とてもじゃないが精神が持たない。あの二人の話は、大抵が血なまぐさい話か、さもなきゃさきほどの地下のような腐れ外道の話題しかない。そんな話をBGMに飯を食うなど、カリマには到底考えられなかった。

 後ろからどんなにヤジを飛ばされようと、もう振り返る気は起きなかった。どうせあの二人のことだ、自分が来なかろうと気にすることはない。ただ酒の肴が一匹減ったにすぎないのだから。

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