3
【3】
何をあんなに突っかかっていたのだろう。やはり昼間の竜の幻覚が、頭に残ってしまっているのだろうか。
そう思いながらカリマはリゼの手を引きながら夕方のスラムをよろよろと歩き、家にたどり着いた。途中数人の知り合いに呼び止められたが、さすがに応対している余裕がなかったため「事情は明日の朝話す」と言い逃がしてもらった。朝になればウジカイから数人に話は通っているだろうし、自分が話すのも最小限で済むだろう。
リゼは来る途中ずっとキョロキョロと周りを見渡していた。スラムの光景が珍しいのか、それとも「知らない」から興味があるのか。まぁなんにせよ明日だ。ウジカイとの話だって、こいつがスムーズに売れさえすればもう少し早く終わる予定だったのだ。そう思うと何故こんなものを拾ったのだと自分に苛立ち、余計に疲れが溜まってくる。
リゼは家に入った後、歩いてきた時と同じように周囲をきょろきょろと見回していた。どうやら目に映るものすべてに興味を持っているらしい。
「っし、とりあえず今日の仕事は終わりだ! 仕入れは上手くいかねぇし幻覚は見るしでロクな日じゃなかったな、本当。とりあえず整理や説明は後回しだ、今はとにかく寝たい……ふぁぁ……」
そう言いながら荷物を部屋の端に放り投げる。家について安心したからか、思いがけず大きなあくびが出てしまった。ふと横を見るとリゼが所在なさげな目をしてこちらを向いていた。
「ん? なんだ、どうしたよ」
「僕、どうすればいい……?」
「どうって……、そりゃ今から寝るんだよ。お前もさっきまでぶっ倒れて気を失ってたんだ。今は大丈夫かもしれないがな、しっかり休まなきゃまたぶっ倒れるぞ。そうなったら俺が困る。お前にゃ明日から教えること、やってもらうことが山ほどあるんだからな」
「ん……。分かった」
いつのまにかリゼは途切れ途切れの話し方から、一応意味の通るような話し方ができるようになっていた。さっきまでは意識がもうろうとしていたからなのか、失ってきた記憶が戻って元の言葉遣いを思い出したのか。なんにせよ意志疎通がしやすくなったのは助かる。
部屋の隅に転がっていた布きれを手に取り、リゼのほうに放り投げてやる。
「今の時期なら上にかぶせる必要はねーが、さすがに硬い床の上で寝るのは勘弁してやる。それでも下に敷いて寝るといい」
「……ん」
「とりあえずお前もしっかり寝とけ。起きたら忙しくなる」
「……ん」
リゼはカリマの言葉にひたすら首を縦にふり続けていた。カリマは思わず困惑を顔に出してしまう。
「……話が通じるとはいえ、こう反応が淡泊だと調子でねェな……」
ギルドの仲間相手にはいつも軽快に喋っているからか、どうも反応が薄いと話しづらい。今はカリマ相手だからいいが、仕事をしてもらうならそこも要教育なのだろう、とカリマは今後の方針を固めた。
「……だめだ、考えがまとまらねぇ。さすがに限界だわ。じゃあな」
そう言ってカリマは部屋の奥にある寝床に倒れこむと、そのまま瞼を閉じた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……だめだ、考えがまとまらねぇ。さすがに限界だわ。じゃあな」目の前の痩せぎす=カリマはそう言って倒れこみ、寝てしまった。
さて、どうしたものか。リゼは考えていた。
とりあえず道行く間に聞いた話を整理すると、ここはスラム、あるいはスカージギルドと言うらしい。スラムのほうは意味が分かるが、スカージギルドとは何なのだろう。この集まりの名だろうか、それとも地域の名だろうか。
そして自分はこの目の前のカリマに買われたらしかった。人間の売り買いはリゼの知識には存在しなかったが、家畜の売り買いはあったのでそれにならうことにした。主人に従順にしていれば、とりあえず悪い扱いを受けることはないだろう。
その他、周りのことに対しての疑問は山ほどあった。それよりも不思議なことは、リゼ自身のことだった。
それは自身の「知識」。リゼ自身が「聞いたこと」「見たもの」に対しての情報が、リゼ自身の中からあふれ出てくるのである。
カリマに語ったことは本当だ。自分が何者かをリゼは知らない。記憶はあの暗闇から始まり、世界の認識はあのカリマとウジカイの会話が初めてだった。あの二人の会話を聞くまで、本当に言葉の意味さえ知らなかった。思い出せなかったわけではない。
しかしリゼが世界の情報を得るたびに、それに対しての情報が自分自身の中からこんこんと湧き出てくるのもまた事実だった。それはとても不思議な感覚で、自分が元から知っていたというよりも、リゼの中にもう一人の人間がいて、その人間が逐一自分に教えてくれている、といった感じだった。
もちろん先ほどの「スカージギルド」のように情報の出てこない単語もあった。だが少なくともこの数時間でリゼは、他人の会話の流れを理解できる程度には、この世界の情報を得ていた。
先ほどのカリマとの会話も適切な語が分からなかったので頷くだけで返事をしたが、カリマが何を言っているのかはしっかりと理解できていた。どうやら明日は色々なことを教えられるらしい。
それはリゼにとって喜ばしいことだった。あの暗闇で問われた時から、リゼは自分が何者かを探していた。様々なことを知れば、その分自分が何者か分かるかもしれない。
ただ気がかりなのは、あの暗闇で問いかけてのが誰か分からないことだ。あの反応ではカリマでもウジカイでもないらしい。一体誰だったのだろう……。
そんなことを考えていると、次第に瞼が下がってきた。体もいつの間にか床に倒れている。既に限界らしい。自分の体についても、まだまだ知らないことは多かった。
とりあえず寝よう。カリマからもらった布を床に敷き、リゼもまた瞼を自発的に閉じ眠りについた。
眠りにつく直前に、声が聞こえた気がした。
「……私は、誰だ」
それは僕が知りたいぐらいだ。リゼは心中でそう返し、眠りについた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます