提案
翌日、部室の窓の外を覗けば雨が強く降っていた。本棟と別棟の間に設けられた中庭の花壇。そこに植えられている様々な草花たちが、降りしきる雨にその体を揺らしていた。
俺たちは平時と変わらず、読書をしたり、スマホをぽちぽちと弄っている。もう一人の部員である黒川はというと、まだ部室には来ていなかった。
先ほどから白崎の目線が、部室のドアに何度も向けられていた。今日の白崎はなんとなくせわしない。
「そんなに心配しなくても、黒川は来るって」
「別に心配なんてしていません」
白崎は一度窓の方を向き、栗色の髪を指先でクリクリといじりつつ、そう答えた。「雨が強いですね」と小さくこぼすと、またドアに目を向ける。
一連の動作を見て、俺は苦笑しながら首を振った。
「昨日の事はそんなに気にしなくてもいいと思うぞ。別に間違ったことを言った訳でもないし」
白崎は依然ドアに目をくれたままだ。
「そんな事は分かっています。私は間違った事は言っていません。それでも……もう少し言葉を選ぶべきでした」
彼女なりに昨日の事は反省しているのだろう。慰めるわけではないが、優しい言葉の一つでもかけてやろう。
「黒川は別段気にした風じゃなかったぞ。むしろ喜んでたくらいだ」
白崎が溜息をつく。
「そんな訳ないじゃないですか。かなり酷い事を言ってしまいましたし」
「それが良かったんだと。本音って感じがして」
「本音でなんて話していないんですけどね」
「その割には熱こもってたみたいだったがな」
からかうような口調で言ってみたものの、直ぐに白崎から冷ややかな目線をぶつけられているのを感じた。真正面から受け止めるには余りにも冷淡なものだったので、それから逃れるために明後日の方向を向き口笛を吹く。
「旭さんっていい加減な人ですよね」
失敬極まる言葉の発信源を見れば、白崎は机の上に両腕を、その両の掌の上には小さく尖った顎を乗せていた。
「なんだよ唐突に」
「この一週間旭さんを観察して抱いた感想ですよ」
観察とは……俺のお株を奪うようなことを言うじゃないか。だがそんな誤った評価を下すようでは、白崎の観察力もたかが知れたものだ。
「俺のどこがいい加減なんだ? 真面目な男そのものじゃないか」
「直ぐに意見を翻すような人が何を言っているんですか」
と、かぶりを振りながら一言。それがチクリと胸に刺さる。多分昨日のことだ。白崎は根に持つタイプなのだろう。
「あれはな、一方的に正論ぶつけられてる黒川を哀れんでの言動であって、黒川に共感したって訳じゃない」
「またテキトーな事を言っているんでしょう?」
俺の懸命な弁解を、彼女は歯牙にも掛けない。他に言い訳になりそうな言葉を探して口に出そうとするが、白崎はもう既にドアに目線を向けていた。俺もそれにつられる。
すると、ドアの向こうに人の気配を感じた。直後にノックの音がなり、
「し、失礼します」
ドアが開かれると、白崎が待ちに待っていた黒川の姿がそこにあった。よっぽど安堵した表情を見せてくれるのだろうと、期待して白崎の顔を伺えば、まるで全然気にもしなかった風を装い、「こんにちは黒川さん」と普段と変わらない口調で言う、変に小芝居掛った白崎を見てつい苦笑いがうかんでしまう。
「す、すいません。委員会があって遅くなりました」
律儀に頭を下げる黒川。
「別に気にすんなって。基本ここは自由参加だからな。来たい時に来ればいい」
「自由参加だなんて言った覚えはないんですけどね」
小姑のように小さく呟く白崎に、俺は至って真面目に抗議する。
「時間や日にちがきっちり決められてた訳じゃないだろ。だったら自由参加も同じじゃないか」
「決まりならありますよ。平日は毎日、十六時十分までには部室に来るようにと。旭さんには言う必要がないと思ったので言わなかっただけです」
平然とそう言う白崎を見て目尻がひくつく。
「あの白崎さん。なんだか僕の扱いがぞんざいになっている気がしているんだが」
「気のせいだと思います」
そうですか。気のせいですか。それならいいんですが。
ふと、黒川が微笑んでいるのが目に入った。
「何笑ってるんだ?」
「えっと、なんでもない」
そう言って顔の前で、手をブンブンと振っている。そうして、昨日と同じ白崎の真ん前の席に座った。首を傾げて黒川を見ていると、咳払いの音が聞こえた。
「少しいいですか? 黒川さん」
「は、はい」
そう言って彼女たちは正面から向き合う。なんだか蚊帳の外にされている感は否めないが、口を出して場を茶化すほど空気が読めない訳じゃない。事の成り行きを見守ろう。
「私は私なりの目的があって、この部を設立しました。そして黒川さんも、何かしら理由があってこの部に入部したんでしょう?」
黒川は頷く。
「そ、そうです」
「それなら私たち二人は、違う目的でこの部に籍を置いているという事になります。これのせいで意見が食い違い、余計な争いが生じるのは、私としては好ましくありません」
そこで人差し指をピンと立て、こう続けた。
「ですので、まず部全体としての活動目的を優先することにしましょう」
「部全体としての目的?」
疑問を口にする黒川に、白崎は口元に笑みを形作り、優しく説明する。
「簡単に言ってしまえば、コミュニュケーション能力の向上です。黒川さんはあまり人と接する事が得意ではないようですので、部活動の一貫として私がそれを教えます。その過程の中で、個々人自らの目的のために努力する。これが私からの提案です」
黒川はその言葉を反芻するように小さく頷く。そして、
「わかりました!!」
首を縦に振り了承した。それを聞いて白崎は、にっこり笑いながらこう言った。
「昨日は色々とありましたが、これからは同じ部に所属している者として、二人仲良く部活動していきましょう」
たまらず口を開く。
「あのー。俺も頭数にいれてくれませんかね。一応部員なんですけど」
「そうでした。つい忘れていました」
両手を叩いて、はたと気づいたように言う白崎を、俺はなるべく威圧するように目を細めて睨んでやった。
それを眺めていた黒川が笑う。白崎と俺の表情も綻んだ。
まあ今日の所は我慢してやろう。場を和ませるために俺を出汁に使ったことは。
「あっ、そうだ」
そう言った黒川が、なにやら手持ちのスクールバッグをゴソゴソと手探りしている。そして一つのスマホを取り出した。
「あの、白崎さん。私とライン交換してください!!」
まるで告白するがごとく、スマートフォンを白崎へと差し出した。当の白崎は目を点にして驚いている。実に珍しい。しかと目に焼き付けておかねば。
「え、ええ。いいですよ。交換しましょう」
こうして、二人はラインを(多分メールアドレスの類だろう)交換した。いやに眩しい笑顔を浮かべる黒川を、白崎はキョトンとした表情で見つめていた。
そう。これは勝負なのだ。黒川が白崎の心に纏う氷を溶かすのが先か、白崎が黒川に、再度他人に対する不信感を植え付けるのが先かの。今日の所は黒川に勝ち星が上がったようだが。その結果がどうなるかは未だ分からないが、俺にとって有益になることは間違いない。
一人ほくそ笑む俺に、黒川はその幼い顔で懸命に作った笑顔を向ける。
「旭くんも交換してください!!」
俺は手をひらひらと振って言う。
「悪いな。俺は携帯を持たない主義なんだ」
黒川の笑顔を見ていると、ついつい肩入れしたくなってしまう。けれどそれは戒めねば。でないと、また白崎にいい加減な男と、そう揶揄されてしまうからな。
窓を見る。雨は未だ降り続いている。それでも明日は予報によると快晴になるとのことだった。
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