彼女の望む物
それからの数分間、俺はなにを話せばいいのか分からずに、ただ無言で手元の鍵を弄っていた。黒川に訊きたい事はいくつかあったが、どうにも話しかけづらい。きっと黒川も同じに、居心地の悪さを肌で感じていることだろう。
黒川の様子を横目で伺う。すると目が合ってしまった。気まずさが加速してしまい、途端に口を開く。
「あのさ」
「あのね」
二人の声が被り、黒川は顔を赤らめて恥ずかしがっていた。黒川も間の悪さに耐えられなくなったらしい。レディファースト精神を働かせ、彼女に先を譲る。
「先に言ってくれ。俺は後からでいい」
「あ、うん。えーと、わたし白崎さんに嫌われちゃったのかなって」
黒川が力なく笑う。
それにはすぐに答えてやることはできなかった。白崎が黒川をどう思っているかは分からない。けれど、あの否定は嫌悪から来るものではない気がする。もっと別の感情が強く出ていた。あれは、そう……
「困惑していただけ、だなきっと」
うまく言葉に表せて、ホッとする。そうだ。あの時の白崎は困惑していたのだ。自分の理解に及ばない相手が目の前に現れたから。
「困惑?」
黒川が疑問を口にする。
「余りにも自分と価値観が違う存在にあったら、人は誰でも動揺する。さっきの白崎がそれだったのさ。だから多分、嫌ってはいないんじゃないか?」
「そっか。そうだといいな」
黒川は例えなどではなく、実際に胸をなで下ろす所作をしていた。それがどこかおかしく思えて、吹き出してしまう。
「ま、また変なこと言っちゃった?」
黒川が羞恥に頬を染めていた。こっちが勝手にツボっただけなのだが、それを口にするのは少し恥ずかしい。なので別の理由を作ることにする。
「いや、いつの間にか敬語じゃなくなったなぁって思ってな」
あわあわと慌てる黒川。随分と感情表現が真っ直ぐな子だ。
「ご、ごめんなさい。馴れ馴れしかった……ですよね」
「そんな事はないぞ。同学年だしタメ語で当然だ。変に気を使う事はない」
「は、はい。了解です」
つい声を上げて笑ってしまった。黒川の顔には恥じらいが浮かんでいる。意識してしまうと駄目なタイプなのだろう。見ていてとても愉快だ。
彼女のお陰で場が和んでいる。その空気に乗じて、こちらから一つ訊ねてみる。
「どうしてこの部に入ったんだ?」
「森脇先生に誘われたんです。部員足りないからって。それに、いまの私に必要なのはコミュニケーション能力じゃないかなって思ったの。中学から今まで、家族以外と殆ど会話なんてしなかったから」
なるほど、土台作りの為ってことか。最低限のコミュニケーションが出来なければ友達は作れない。だから、この部に入部した。合理的で得心がいく。
「他人との接し方を思い出すには、この部は最適だろうな。それが目的な部活動だし。でも黒川の目的にはそぐわないんじゃないか?」
「そう、かな?」
「コミュニケーションってのは、ビジネスライクに無難にやるってことだ。さっきも言ったが、適度に距離を保つ事が最重要。信頼し合える関係を作るには、うちの部は不向きだろ」
「……」
黒川は黙り込む。顎に手をやり、何やら考え込んでいる様子だ。答えが返ってくるのを待ってもいいが、この際だ。もう一つ訊いてみる。
「白崎じゃないんだが、何でそんな経験をしたのに、まだ信頼なんて幻想じみたもの求めてるんだ?普通逆じゃないか?」
その問いに、彼女はいやに眩しい笑顔を見せて、快活に答えてくれた。
「やっぱり憧れちゃうんだ。だってさ、相手に近づきたい、相手を知りたいってお互いに思える関係って素敵だもん。そんな関係ばかりじゃないことも分かってるけどさ、やっぱり私はそういうのが好き」
好き、か。その言葉を聞いて、つい口角が持ち上がる。
彼女はきっと理解しているのだろう。人間の醜悪とも言える側面を。それを間近で見て、そして一度は諦観してしまった。それでも黒川は欲し、望んでいる。澱も上澄みも啜ってまだ、信頼という幻を追おうとしているのだ。
それを、理に適わず愚かしいと一蹴することは容易い。けれど、それが人間の本質なのだ。論理だけでは成り立たず、感情を持ってして一つになりうる。黒川琴美という少女は、いかにも人間らしい人間だ。
ガタッと、椅子が引かれる音がした。見てみると黒川が、拳を固めて仁王立ちしている。
「私決めました!!白崎さんと友達になれるように頑張ります!!」
呆れと驚きが口に出る。
「あそこまで言われたのにか?普通あれだけ正論ぶつけられれば、嫌になるだろう」
「でも、本音を言ってくれた感じがしたの。私の言葉を真剣に聞いてくれてたし。すごくいい人なんだと思う」
黒川は熱っぽい表情で、そう言った。
いい人かどうかは置いておいて、確かに先の白崎は、建前などをしているようには見えなかった。黒川と真っ向から向き合い討論していた。それが黒川の心に響いたのだろう。
黒川が白崎と友達になりたいと、そう望んでいるのだから、俺に止める理由は無い。
「そうか。なら頑張れよ」
「うん。私、頑張んべ!!」
そう言って黒川は握りこぶしを高々と挙げていた。最初は内気な子だと思っていたが、案外そうでも無いらしい。
ふと、気になったので訊いてみる。
「黒川って会津生まれか?」
「そうだけど……何でわかったんですか?」
「いや、所々なまってたから気になってな」
黒川が、たははと恥ずかしげに笑う。
「意識して直すようにしてるんだけど。指摘されるとちょっと恥ずかしいから」
「恥ずかしがるようなもんでも無いと思うけどな」
そこでオチが付いたように会話が止まる。何気なしに時計を見れば五時半を回っている。窓からは夕日が差し込み、部室を茜色に染め上げる。下校するにはいい時間だろう。
「日が落ちてきたし、そろそろ帰るか」
さして中身の無い鞄を担ぎ椅子から立ち上がる。
「あの、旭君」
急に君付けで呼ばれて、瞼を二、三度瞬かせる。
「なんだ、どうかしたか?」
すると黒川は頭を下げた。頭を下す速度やその角度は完璧な会釈と言える。
「これからもどうぞよろしくお願いします!!」
ふっと、笑みがこみ上げる。
「ああ。これからよろしく」
こうして、部としては中々に実りがある一日が終わった。
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