彼女の告白
状況を読み込めたようで、白崎は焦りで顔を少し歪ませた。何を考えたか、彼女は俺の腕を取り、やや低くも透き通った声で、
「少し来てください」
とだけ言い、同じ階の隅にある空き教室へと誘う。
鍵が掛かっていない教室へ入ると、黒板の反対側の壁方に、使われていない机が山積みとなっているのが見える。そんな教室内で場違いにも、中央付近に配置された机が一つ。その上には鞄や教科書などが置かれていた。
西北高校では、無人の教室には必ず鍵がかけられていて、職員室で貸出用の鍵を借りるしか入る手段がない。もちろん、相応の理由が必要になる。
きっとこの教室は、白崎が最近設立した同好会の部室なのだろう。来た時に鍵が掛かっていなかったのは、相当急いでこのノートを探していたから。誰かに見られるかと気が気でなかったに違いない。
これは早めに渡して方がいいな。相手の弱みを握るような卑劣な男にはなりたくない。
「これ、君のだろ」
落し物を持ち主に返却する。白崎は警戒するような眼差しで受け取った。ノートを鞄にしまい、視線を机におとし何か考え事をしているようだ。俺から訊きたい事はいくつもあるが、白崎の発言を待った方が良いだろう。
数秒の間、教室を静寂が包み込む。その静けさを、白崎の声が破る。
「このノートの中身、見ましたよね」
俺は首肯した。すると、「そうですか」と小さく呟きまた黙ってしまった。きっとこの沈黙は、待っているのだろう。俺からの問いを。
「何でそんなもの学校に持ってきてたんだ?」
おれはそう訊ねた。何故あんなものを書いていたのか、理由は簡単だ。周囲の人間を分析する必要があったから。では何故分析する必要があったのか。それを訊く事は今は出来ない。核心はそこなのだ。だからこそ、こう訊いた。
あれほどに他人に見られてはいけない物を何故学校に持ち込んだのか。リスクが多すぎるし、現に今の状況がその危険性を物語っている。
白崎は、机から目線を外し俺と向き合った。そして言葉を選ぶように慎重にこたえる。
「自己肯定に必要だったんです。そのノートがあると安心するんです」
そのノートを寄る辺にしてしまうほどに、彼女は何かに迷っているということだろうか? 要領を得ない。もう一つ訊いてみる。
「そのノートと同好会を立ち上げた事とは何か関係があるのか?」
白崎は少し驚いた表情を見せた。俺が同好会のことを知っていたからなのか、最近の彼女の行動とノートに書かれていたことを関連づけられたからか。恐らくそのどちらかだろう。
ノートに綴られていた内容が白崎の真意を表している。直感的にそう思った。
白崎は軽く息を吐きぽつぽつと、問いに対しての返答をする。
「同好会をつくったのは、誰かに私の正しさを証明してもらいたかったからです」
「どういうことだ?」
「そのままの意味ですよ。誰かに私を模倣してもらいたいんです」
彼女はそこで一旦言葉を区切り、こう続けた。
「私のように上辺だけを取り繕い、他人と深く干渉しないように心掛けて、周囲が創ったイメージを損なわないように生活する。
そして私を模倣した誰かが、その生き方を幸せだと思えたなら、私は正しかったんだって安心できる。そんな独善的な理由で同好会を立ち上げたんです」
おかしいですよねと最後にそう付け加え、白崎は自虐的な笑みを浮かべていた。
そうして再び沈黙が降りる。この間に少し頭で整理するべきだ。彼女の言葉の意味を。
まず彼女は、噂に聞いていたような人物ではないという事。彼女に付けられたイメージは、白崎が引いた一線を、周囲が勝手に解釈した結果なのだろう。
そして白崎はそのイメージを覆さないように生活を送っていると言った。それはすなわち彼女は、白崎芽衣という人間を演じていると言える。この点は速水と似通う点がある。しかし根底にあるものはまるで違う。
彼女はきっと、他人を信用する事が出来ないのだ。だからこそ上辺だけの関係を保ち、自分を見せる事をしない。誰かを信用して身の内を晒し、その信頼が裏切られるような事があれば、きっと人は正気ではいられない。
白崎はそれを恐れているのかもしれない。だからあんな猜疑の塊のようなノートを作り、マニュアルに沿った行動をする。やや過剰で歪ではあるが、俺はこれらを間違いであると否定することはできない、むしろ正しく賢い選択だと言える。
他人への不信感というものは決して拭う事が出来ないものだ。何故ならきっと先天的に植え込まれているものだから。ならそれを受け入れ、他人を一切信じないというのも選択肢の一つだ。
これらはすべて推測にすぎない。だがこれだけは確かだ。白崎はすべて自覚している。その上で停滞を選んでいるのだ。自分の生き方に僅かの疑念が生じても、他者を利用してでも修正を図る。そうまで自分を貫こうとしている白崎を、確固とした自己を持つ人を、俺は素直に羨ましいと思える。おれはそうした人間になりたいのだ。
「すごいな白崎は」
白崎はキョトンとしていた。何故賞賛されたかのか分からないといった風に。
しかし直ぐに、毅然とした表情と態度になり、俺に詰め寄る。
「それでどうしますか?」
「どうしますって何を?」
「今の話を聞いて、です。私としては他言してほしくはないんですが」
「しないよ。俺にメリットがないだろ」
「あなたを信用しろと?」
確かに、さっき会ったばかりの相手を信用しろだなんて出来るはずがない。しかも相手は白崎だ。確約したところで信用されるはずもないか。
「じゃあどうすりゃいいんだ?首でも括ればいいのか?そんなの御免だぞ」
白崎は数秒思案したあと、こう言った。
「同好会に入部してください。入部さえすれば、あなたが今日の事を誰かに話しても、私に付きまとうストーカーの妄言としてあしらえます」
結構エゲツない事言うなこいつ。もし入部を断れば社会的に抹殺される事になるってことなんでしょうか? 今の会話録音して校内放送で流したら、きっと学校中の椅子が倒れる事間違いなしだな。
だがまあ、願っても無い申し出じゃないか。白崎を観察すれば、俺も自分の事を正しく認識できるようになるかもしれん。
「分かったよ。同好会に入る」
入部すると言った俺に、白崎は怪訝な顔で訊いてきた。
「やけにあっさり決めるんですね」
「入部しないと俺の立場が危うくなりそうだからな。それに、実は昨日森脇先生にも勧誘されてたし」
「そうだったんですか?」
俺は頷く。
「イカしたネーミングの同好会があるから是非にってな」
白崎はこほんと、咳払いをする。
「一応言っておきますが、あの略称を考えたのは私じゃないですからね」
「だろうな。あんなダサい略称考える森脇先生って、チョベリバ時代と同じレベルだよな」
白崎は少し吹き出し、にこりと微笑んだ。美人の笑顔はやはり絵になる。でも、きっと本当には笑っていないだろうな。彼女の性分からして。
「ところで、自己紹介がまだでしたね。私は二年D組の白崎芽衣です。これからよろしくお願いします」
おもむろにそう言った白崎。確かに考えてみれば、俺は白崎を知っていたが、白崎は俺を知らないはずだ。そこまで知名度がある方じゃない。
「二年B組の旭翔太だ。よろしく」
お互いに挨拶を交わす。これでコミュニケーション研究会の部員は俺を含め二名となった。きっと森脇先生は喜ぶだろう。結局あの人の思い通りになってしまった。けれど俺自身も、今日の出来事には多少の高揚を覚えている。それでトントンだろう。
ふと、俺が犯した重大なミスを思い出す。急ぎ部室を出て、図書室に向かう。机に置かれたままの鞄を救出するために。財布を盗まれでもしたら大変だ。三百円しか入っていないけれど。
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