姉の出現
さてと、俺も帰るとしよう。このT字路からは、たった五十メートルも歩けば自宅に着く。
今日は課題も何もない。つまりはゆっくり腰を据えてFPSができるということだ。心を踊らせながら家へと向かう。
玄関前につき、我が家を眺める。鉄筋コンクリート造で二階建ての一軒家。この家を建てるために両親はかなり苦心したと聞く。それに今もローン返済のために汗水たらして働いてくれている。両親には頭が上がらない。恵まれた生活を送れている俺は幸せ者だ。
両親に対し感謝しながら鍵を開け玄関の戸に手をかける。すると家の中から物音がする。親は共働きだし、帰りはいつも十九時頃だ。普段なら家には誰もいないはず。嫌な予感がする。
戸を開くとそこには若い女性がはくような靴が乱雑に置かれていた。まさか......
「おっかえりー」
今の方から声がした。靴を脱ぎ丁寧に並べ、その声の方へと向かう。案の定、今のソファーでくつろいでいたのは我が姉、旭陽子だった。
「なんでいるんだよ姉貴」
「帰ってきたからに決まっているじゃない」
飄々と答える姉を見て、少しイラっときてしまう。姉貴はいつも俺を煙に巻こうとする癖がある。しかし姉貴よ、俺も学んでいるのだ。漠然と聞いて駄目なら瞭然と聞けば良いんだろう?
「なんの目的で帰ってきた」
「愛しい弟に会うためよ」
そう言いながらソファーから降りた姉貴は、大きめなカバンから包装された箱を取り出し俺に放った。
「なんだよこれ?」
「進学祝い。去年渡しそびれちゃったから、今日渡そうと思ってね。取りに来なきゃいけないものあったし、ついでよ。ついで」
進学祝いを今渡すなよ。せめて進級祝いとかに名目をかえてくれよ。だが、くれるというのだから貰っておこう。
箱を開けると、黒を基調としたスニーカーが入ってあった。これはありがたい。さすがに一年間も同じ靴を使っていると、汚れが目立ってくるし、そろそろ買い換えようかと思っていたところだ。素直に礼を言っておこう。
「わざわざありがとな」
「いいってことよ、我が愚弟」
「なんだよその口調」
「あら。照れ隠しよ」
そう言った姉貴の表情は変わらない。どこに照れ要素があったんだか。やはり姉貴はよくわからん人間だ。
手に持ったままの荷物を部屋に置くため、今から自室に向かおうとすると、急に姉貴に呼び止められた。
「あんた、部屋の掃除くらいしなさいよー。通販の段ボールとかゴミを貯めるのやめなさい」
そのあまりにも配慮のない言葉に、俺は耳を疑った。高二男子の私室に入るだなんて、この女には常識というものがないのか。
「人の部屋に勝手に入るな!!」
至って高二男子らしく抗議した俺に、罪悪感の欠片もないような顔つきで姉は言う。
「別にいいじゃない、姉弟なんだしさー。世の中には成人しても姉弟で風呂に入るような家庭もあんのよ。部屋覗かれたくらいで喚かないの」
呆れて何も言えなくなってしまった。この女には倫理というものが欠けている。法学部にいるのにそれでいいのか姉貴よ。
姉貴はあっけらかんとこう続ける。
「でも残念ねぇ。エロ本の一つも発掘できなかったわ」
顔が怒りで紅潮していくのが分かる。流石にこれには声を荒げて強く、強く、抗議してやる。
「物色までしてんじゃねぇ!!」
「あら、弟の性的嗜好を把握しておくのも姉の務めよ」
「俺はノーマルだから心配しなくていい!!」
「その割にはエロ本の一つもないじゃない。その年でEDなんて、なんて可哀想なのかしら」
少し息を整えよう。姉貴のペースにはまってはいけない。落ち着いて理路整然と対応するべし。
「まず、人の部屋に入るのは倫理的に問題がある。それにだ、今の時代性的な情報を紙媒体で得ようとする人間なんてほとんどいないんだ。翔太調べでは、インターネットが発達した現代では絶滅危惧種に指定されるのも時間の問題だ」
「浪漫がないわねぇ、今時の若者ってて」
姉貴は興が削がれたかのように、ローなテンションになっていた。これ位でなければ俺が持たない。
そのまま身を翻して、階上の自室に荷物を置きに行く。
「疲れるな、姉貴の相手は」
部屋で一息つき、制服から部屋着へと着替え、辺りを見回す。
「明日片付けるか」
段ボールや、小説などの本で散らかった部屋を見ながら、独りごちる。
居間へともどると、ソファーに寝転がりながら姉貴が電話で、宅配ピザの注文をしていた。東京の大学に行くまでは姉貴が朝昼夜と、食事の用意をしてくれていたので、てっきり今日も夕飯を作ってくれると思っていた。
「手抜きか」
注文の電話が終わった姉貴に不満を言う。すると姉貴は、俺の不満を落胆と解釈したのか、実に残念そうにキッチンの方へと視線を向けてこう言った。
「期待してたところ悪いんだけど、冷蔵庫になんの食材も入ってないのよ。買いに行くのも億劫だし、今日は我慢なさい」
それならば仕方がないか。東京から福島まではバスで五時間弱かかる。新幹線ならもっと早いのだろうが、金銭面だけはしっかりしている姉貴のことだ。安くすませるためにバスを利用しているはず。長時間の移動で、疲れているだろう姉貴に、買い出しに行って来いなどとはいえない。ほんとーに残念でならないが、今日はピザで我慢しよう。
「ところで、あんた学校どうなの?」
唐突に、高校生活のことを訊かれた。
どう答えたものかと少し悩む。今日は森脇先生絡みで色々あったが、この一年間で俺自身に何か劇的な変化があったわけではない。確固たる自己の確立を望む俺にとってはこの停滞は決していいものではないだろう。しかし同時に安寧も欲している。つまり今の生活自体は間違ってはないのだ。
「別に普通だよ」
そう答えた俺に、姉貴はかぶりを振って言い放つ。
「あんたは相変わらずつまらないわねぇ」
つまらない。その言葉が胸に刺さる。
姉貴は昔から俺をつまらない人間だと言う。そのこと自体は別に良い。姉貴から見れば、面白みを感じる人間の方がすくないだろう。しかし自分でも分かっていたことだが、この一年間で何の成長も見受けられなかったと、そう姉貴に評価されたことが少し悔しかった。
ぶっきらぼうに姉に尋ねる。
「じゃあどうすれば変われるんだよ」
「私に聞くな。自分で考えなさい」
俺の問いを一蹴する姉貴。
いやそりゃ全くもってごもっともなんだが、思い悩む弟に少し手を差し伸べるくらいの家族愛があってもいいだろうに。
「そういえば、あんたワッキーのクラスになったんだって?」
恨めしげな表情をする俺を、姉貴は全く気に留めもせず、そんなことを聞いてきた。
「そうだけど」
「それならちょっとは期待できそうね」
「なんの話だよ」
「気にしなくていいわよ」
訳がわからん。なんで急に森脇先生が出てくる? 話の文脈が全く合わんぞ姉貴。
要領を得ずただ困惑している俺に対して、姉貴はただ意味ありげな微笑を浮かべている。旭陽子は自己完結が過ぎるきらいがある。こういった姉弟の会話で、俺は一度として姉貴の意図を十分に理解したことがなかった。それは多分きっと、俺の能力不足も原因の一つではあるのだろう。だがもう少し、何を考えているのか教示してくれてもいいはずだ。
「気になるから教えろよ」
姉貴は深い溜息を吐く。
「しつこいわね。じゃあヒントだけね」
そう言うとソファーから降り、俺に顔を近づかせこう言った。
「行き詰まったらワッキーに頼りなさい。それと私の金言を忘れないように」
何を想定してのアドバイスなのかは分からんが、姉貴が森脇先生を信頼しているという事は理解できた。姉貴からこうまで信頼される先生だったのかワッキーは。少し意外だな。これからは今よりもっと注意して観察してみよう。きっと姉貴が目を見張るほどの非凡な才を隠しているに違いない。
それにしても「金言を忘れるな」か。昔の事を思い出す。中学二年の夏頃、姉貴が得々と語っていた言葉。忘れる事はない。それは今や俺のモットーになっているのだから。俺の在り方を教えてくれた事は今でも感謝している。高校生の弟の部屋を物色する様な最低な姉だけど。
ふいに腹の音が鳴った。まだ宅配ピザが届くまで時間がある。小腹を満たすために、機能コンビニで買ったアイス取りに冷蔵庫のあるキッチンへと行く。
冷蔵庫を開けるとアイスの姿は見え影も形もなくなってしまっていた。案の定、ゴミ箱を開けると捨てられたアイスの袋を発見した。犯人の見当はついているが、一応今にいる姉貴に確認してみる。
「俺のアイスを知らないか?冷蔵庫にあったやつなんだけど」
容疑者Yは、右手で握りこぶしを作り頭に当てて、舌を出しこう陳述する。
「それさっき食べちった。テヘペロー」
「勝手に食うなって前にも言ったろ!!」
「それなら、買ったものには名前を記す事と、私は言っておいたはずよ。油断したあんたが全面的に悪い」
悪びれもしない姉貴を見て、自分が今年最大級の呆れ顔になっていくのがわかった。俺に相変わらずと言っていたくせに自分だって変わらないじゃ無いか。
「買って返せよ」
「ケチねあんた。分かったわ。代わりに明日の夕食は豪勢なものにしてあげる」
ほう。それは中々にいい条件だ。基本嘘はつかない姉貴が豪勢な夕食を作ると言った。つまり明日の夕食はかなり期待してもいいという事だ。嗚呼、明日が待ち遠しい。
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