下校時の会話

「それで、職員室で待ち受けていたのは、夜叉のような面持ちの森脇先生と厳しい叱責だったのかな?」


 学校からの帰路の途中で、ふと速水が口にした。


「いや、全く叱られなかったな」


「それにしては時間がかかったんじゃない?何度帰ろうかと思った事か。僕の義理深さに感謝するべきだよ」


「待ってろなんて言った覚えはない。恩を着せようとするな」


「それだけ退屈だったのさ。何もせず窓外を見つめるってそこそこ苦行だよ。経緯くらい聞かせてくれたっていいだろう」


 まあ実際、俺の責任ではないにしろ、速水を待たせていたことについては、多少なり罪の意識はある。待ってやっていたのにも関わらず、待たされた理由を教えてもらえないだなんて、俺なら憤慨する。


 職員室で森脇先生とどんな会話をしたか、かいつまんで伝える。すると速水は、顎に手を当て少し間を空けて一言


「なるほど、あの白崎さんが確かに少し気になる話だね」


 いかにもな演出に心底うんざりする。速水が何かに関心を寄せるだなんて、こんな空々しいことも他にはあるまい。


「お前さ、役者にでもなればいいんじゃないか?きっと人気でるぞ」


「それもいいかもね。顔も演技も自信があるし。何より君からのお墨付だ」


 俺の皮肉に対して、そう答えた速水の口元には、いつもと変わらない気色の悪い笑みが貼り付けてあった。


 多くの人間は速水に対して、欠点がない完璧な男、という評価を下すだろう。だがそれは間違いだ。こいつには重大な欠陥がある。


 速水は自分を含めたすべてに興味を持つ事ができないのだ。無関心の極致と言ってもいい。それでいて相手が自分に何を求めているか感覚的に分かってしまう。幼い頃からそうだったのだという。その事に自覚した時から、こいつは演じ続けているのだ。周囲が求める速水秀を。


「お前は何年たっても変わらないな」


「停滞は悪いことじゃない。君は前にそう言っていたじゃないか」


 ぐう。


 確かに、中学の頃だっただろうか。俺は速水に変わることの素晴らしさを、変化を拒む人間の強さを、熱く語ったことがある。そんな人間が「変わらないな」などと言ったところで、褒め言葉になっても嫌味にはなるまい。


 下手を打った俺を横目で見ながら、速水はからかう口調で言った。


「人は皆自分を知ろうと努力しなければならない。なぜなら自覚なくして、成長と停滞への岐路に立つことを出来ないから。だったよね君のモットーは」


 よくもまあ一字一句違えず覚えているものだ。こいつの記憶力にはいつも感心する。


 だが茶化すように俺の信条を披露されたことには、少々の憤りをおぼえた。


「お前はただ、思考を放棄しているだけだろう」


「ははは、全くその通りだ」


 トゲを含んだ俺の発言に対し、速水はただ笑ってそう答えた。


 こいつは何を言われようと、決してその表情を見せをくずさない。まるで機械のような笑顔が、俺はどうしても好きになれない。


 渋面を作る俺を速水はまったく意に介する様子もなく、話題を白崎芽衣へと移した。


「でも確かに白崎さんってそんなに積極性がある方じゃなかったね」


「面識があるのか?」


 俺のこの問いに、速水は少し驚いたような顔をした。


「一年の時に同じ一年C組だったんだよ。もしかして知らなかったのかい?」


 そうだったのか。全然知らなかった。けれど、クラスで分かれれば交流なんてないに等しい。同級生だからといって、知っていて然るべきなんてこともないだろう。


「自分のクラスじゃないんだ。しょうがないだろ」


「校内でも指折りの有名人じゃないか。君みたいな人は少数派だね」


 反駁しかけて開けかけた口を、俺は急いで閉じる。こいつと舌戦を繰り広げるなんて、時間の無駄もいいところだ。


 大事なのは、1年間同じクラスだった速水ですら、白崎芽衣の行動に疑問符を浮かべたということだ。行動に変化が生じたという事は、そうせざるを得ない、或いはそうしたい何かキッカケがあったに違いない。


 自分の学生生活に何か思う所が有ったのか。考えても憶測の域を出ない。考えを巡らせる俺の顔を速水が覗き込む。


「そんなに気になるなら一度入ってみればいいさ。どうせ家じゃ、読書かゲームしかしてないんだろう?」


「失礼な奴だな。FPSは遊びじゃない。あれは細やかな手先の動きや動体視力を要求される立派なスポーツなんだ」


 速水は処置無しといったふうに肩をすくめていた。


「まあ、いい機会じゃないか?その同好会が君の目標の足がかりになればよし。ならなくても良い経験にはなるんじゃないかな?」


「経験ねぇ」


 俺にとって何か得るものががあるのなら、入部するのもやぶさかではない。今決められる事ではないが前向きに検討してみよう。


「風呂に浸かりながらでも考えてみるか」


「そうしなよ」


 気づけば我が家の近くとT字路まで来ていた。速水と俺は、二人で家路につく際、この場所で別れるのが常となっている。今日もまた、速水は俺に背を向け自身の自宅の方へ足を運ばせていた。だが今日は言っておかねばならない事がある。速水の背中に声を掛ける。


「悪かったなあんだけ待たせて。明日は購買でコロッケパンを奢ってやる」


 速水は振り返り、笑みを浮かべてこう言った。


「別に気にしなくていいよ。でもどうせなら、僕はコロッケパンよりカステラパンの方がいいかな」


 そう言って速水は自宅の方へ歩いて行った。


 人の嗜好にケチをつける気はないが、

カステラパンなんて、コッペパンと同じくらい不人気の商品だ。それをわざわざ選ぶとは、あいつの舌はやはり変わっている。

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