勧誘
ふと、森秋先生が何かに思い至ったような、そんな不敵な笑みを浮かべた。
「時に翔太よ、お前部活動には所属してないよな」
このタイミングで部活の話に移ったことに多少訝しみつつも、その問いに答える。
「そうですね。あえて言うなら帰宅部です」
「ほうほう、それは都合が良いな」
都合がいい? スカウトでもするつもりか。しかし森脇先生が顧問をしているなんて話は聞いたことがない。ここは素直に聞いておこう。
「どういう意味ですか、それ」
「いや実はな、新しく設立された部活動の顧問になってな。部員は部活設立の申請をしてきた一人だけで同好会あつかいなんだが、部員になってくれそうな生徒を探していたところなんだよ」
今時珍しい能動的な人間だな。とても素晴らしいことだ。きっとその生徒の主体性に惹かれ部員となる事を志す者もいるだろう。だがそれは俺じゃない。部活動に励むつもりなんてさらさらない。聞くだけ聞いて断ろう。
「どんな部活、同好会なんです?」
「聞きたいか?」
「ええまぁ」
「よし。では翔太よこの社会で生きていく上で必要とされている能力とはなんだ?」
質問の答えになっていないじゃないか。と言いたいところだが、先生が今どんな会話のやり取りをしたいのか、なんとなく伝わった。ようはまだ続くであろう問いに答えていれば、同好会の正体を知ることができるのだろう。芝居掛かっていて面倒だが、少し付き合ってみるとしよう。
「コミュニケーション能力ですか?」
「そうだ。ではコミュニケーションの定義とは?」
「社会生活の上で人間同士が行っている感情や思考の伝達、でしたか」
「その通りだ。これが欠如している場合、今の日本はとても生きづらい場所になる」
生きづらいね。いささか控えめだな。意思疎通に難があると判断されれば見捨てられ、自己を貫けば排除される。それが世の常だ。こんな当たり前な事を考えているとやるせ無い気持ちになるが、仕方のないことだと割り切る事も、社会で生きていく上で重要だ。俺もそうして生きている。
「確かにそうですね。協調性が重要視されている世の中ですし」
「そう、その協調性だ。多種多様な人間がいてひとそれぞれ違った考え方がある。そこで必要なのは折り合いだ。妥協したり、折衷案を模索したり。社会ではこうした人間が望まれる傾向にある」
得意げに話す先生の顔を見て、持論を誰かに聞いてもらいたかっただけなんじゃないかと危惧し始めた。この問答の先には時間の浪費しか待っていないかもしれない。少し急かしてみるか。
「それでその話と部活動の件に何か関係があるんですか?」
どうしてこう教師というものは語りたがるのか。往々にしてこうした教師が受け持つクラスは、帰りのHRが長引く。本当に勘弁してほしいものだ。
急かされて表情を曇らせた先生が、話を要約する。
「まあ要は社会の縮図である学校という小さな空間で、友や仲間とコミュニケーション能力の向上を図ろうじゃないか!!というのが活動内容であり目的だ」
なるほど、それは中々に奇特な同好会だ。しかし、それならばなぜ俺が勧誘されているのだろう?先生から見ればコミュ力の改善を見込まれる程、協調性にかけているのだろうか?悶々(もんもん)としている俺を見て、先生が慌てたように訂正を入れる。
「いや、別に翔太に問題があるから誘っているわけじゃないぞ。だだ単に、一教師からのお節介だ。一度きりの高校生活。部活動に励んでみるのも悪くないだろう。まだ同好会だが」
確かに、一風変わった活動内容で興味をひかれる部分もある。とはいえ放課後の貴重な時間をわざわざ珍妙な活動に費やす事もない。断ろう。
「面白そうですけど、遠慮しておきます。誰か他を誘ってください」
入部を断る俺を先生は落ち着いた様子で引き止める。
「まあ待て、まだとっておきがあるんだよ。翔太なら、いや男子高校生ならきっと入部してくれるに違いない!!」
まだ食いさがるか。しかも何故切り札が男限定で効果があるんだ。男が興味を示すものといえば、大概エロスティックな何かだろうが、高校の教員がそんなもの提供するわけがない。そんなことはモラルと時代が許さない。他に思い浮かぶものは金だが、さすがに金銭で籠絡なんて小説のよみすぎだろう。
だがこれはクイズの類ではないし、頭を働かせるだけ無駄というものだ。なにせこちらが訊くまでもなく、相手から語ってくれるのだから。
そんな俺の予想通りに、森脇先生は嬉々として話し始めた。
「この愛好会を立ち上げたのは誰かまだ聞いていなかっただろう。きっと驚くはずだ。設立者はなんと……白崎芽衣だ」
なんと……これには確かに驚いた。白崎芽衣と言えば校内で知らぬ人がいない程の有名人。品行方正、眉目秀麗、博学多才の完璧超人だ。その超人性と控えめでおっとりとした性格で学年問わずの人気者。
しかし、噂に聞く彼女の像と今回の件がいまいち合致しない。何故こんな突飛ともとれるような行動をしたのか。優位者の道楽、にしては活動目的がハッキリとしているし、そんな無益なことをするタイプではないだろう。
……どうやらこれは先生の思惑通りに事が運びそうだ。先ほどよりもずっと興味が増している。それはひとえに、白崎芽衣という女子生徒のせいだ。全てにおいて恵まれているはずの彼女が、同好会を立ち上げようと思った。その動機が気になる。入部すれば俺自身の目標「自己の確立」のなにかとっかかりが掴めるかもしれない。
だがここは一応、保留にすべきだろう。即断は禁物。それにいつも灰色の選択をしてきた俺らしい行動だ。
「確かに高二男子の俺にしてみればそそられる話ですね。少し考えてみますよ」
「おお!!さすがは翔太だ!!これであと一人勧誘すれば正式に部活として認めてもらえるぞ!!」
考えると言っただけなのだが、いつの間にか加入前提で話が進んでいる。断り辛い空気に持っていくとは、さすがアラサー教員。やる事が汚い。
そういえば重要なことを訊きそびれていた。今のうちに聞いておこう。
「同好会の名前、まだ聞いてなかったですね。どんなのなんですか?」
「そうだったな。心して聞くがよい。その名もコミュニケーション研究会、略してコミュ研だ!!」
鼻白む俺に対して、先生は今まで見たことの無いようなドヤ顔だった。安直な名前はまだいいとして、略称がダサすぎる。なんだか某コミックマーケットみたいになってしまっているし。
きっと命名したの白崎芽衣ではなく、森脇先生だ。この満足げな顔が何よりの証左。であれば不満を口にするべきでは無いだろう。
「コミュ研ですか。なかなかいい感じです」
「だろう!!オッさんのセンスも中々捨てたもんじゃ無いってことさ」
そう言った先生は、これで話は終わりだと言わんばかりに、もう一度両手で両膝を叩く仕草をした。
「長く引き止めてしまって悪かったな。もう帰っていいぞ」
解放宣言がなされたので、先生に軽く会釈をして、そのまま職員室をあとにする。意外にも有意義な時間になった森脇先生の説教、いや部活動勧誘タイムだったが、それなりの時間が過ぎてしまった。速水には少し悪いことをしたかもしれん。まだ教室に残っているだろうか。残っているならきっと職員室で何があったか聞いてくるに違い無い。とりとめもなくそんな事を考えていると、速水が待っているであろう教室に着いていた。
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