身の置き方
窓の外から野球部のノックの音が聞こえてくる。これがなかなか心地よい。俺がもし詩人なら、ここで気の利いた詩を諳んじたりするだろうが、生憎そう言った才能には恵まれていない。部活動に勤しむ者たちを眺めながら一回の職員室に向かう。
この学校、西北高校は福島県内ではそこそこの進学校だ。その為、県外の大学へ進学したい者は西北高校を受験する事が多い。俺はというと家から一番近くの高校を選んだ結果、西北に受験する事になった。怠惰な理由だと母は嘆いていたが、自宅から高校までの距離はかなり重要だ。
進学してから一年が過ぎ、充実した高校生活とまではいえないが、それなりに「高校生」をやれている。放課後居残りで課題のやり直しというのも後々、話の種になることだろう。そんな事を考えているといつの間にか目的地に着いてしまった。説教が早く終わる事を祈ろう。淡々と受け答えしていればすぐに解放される。俺は覚悟を決め、職員室の引き戸へ手をかけた。
「もう終わったのか?」
職員室へ足を踏み入れた瞬間、すぐ左にある綺麗に整理された職員用机に腰掛けた、爽やかと形容するに相応しい人相の男が気色を浮かべ微笑み、声をかけてきた。この人が我が二年B組の担任でもある国語教諭の森脇誠二先生だ。年のほどは三十位だろう。教育熱心な人で、生徒が悩みを抱えている際には、真摯に相談に乗っているようだ。そのお陰か、生徒からはワッキーという愛称で親しまれている。だが俺はこの先生が少しばかり苦手だ。
「はい。書き終えたので提出しに来ました」
手に持っていた用紙を先生に渡す。先生はそれに軽く目を通すと、微笑みを一切崩さず口を開いた。
「四十分程度で書き終わるなら、家でやったほうが早かったな」
速水と同じ様な事を言われた。確かに当たり前に思考をすればそうだろう。一時間弱机に向かえば済む話なのだ。しかし折り悪く、昨日はオーウェルの有名作品を本屋で買ってしまい、区切りの良いところまで読むつもりが、結局そのまま読破してしまった。時計を見れば深夜の二時。そんな時間から課題に勤しむ体力と気概はおれにはない。しかし当然言い訳にすらならないので、婉曲的に、弁解の余地はあったのだと言葉に滲ませこたえる。
「色々とやることがあったんですよ」
「硬いことは言いたくはないが、学生の本分は学業だ。そこら辺は弁えて行動する様にな」
諭す様な口調で叱られ、俺も少し反省した。今後は時間に目を配り読書をする様に心がけよう。しかし思いの外すぐに終わりそうだな。
「そういえば陽子は元気か?」
前言撤回。まだ話は続く様だ。しかも嫌な方へ。
「自由奔放に生きていますよ」
「変わらない様で何よりだ」
陽子というのは、俺の姉である旭陽子の事だ。三つ年が離れていて、二年前までは西北の制服に袖を通していた。とても優秀な人で、東京の大学の法学部に身を置いている。しかし姉の本質は賢さではない。
「無秩序な快楽主義者」旭陽子を例える際にはこの言葉を用いるようにしている。ひどく自由で我儘。自分が楽しめると思った物には全て手を出し、誰彼構わず巻き込んでいく。しかし不思議なことに、傍若無人な行動に一種のカリスマ性が備わっているのか、絶えず人が集まり尊敬されていた。俺自身も姉には敬意を抱いている。
しかし他人から姉の奇行などを聞くと兄弟として気恥ずかしくなってしまい、姉をよく知る森脇先生への苦手意識の原因にもなってしまっている。
「優秀だが問題児でなぁ、生徒会長に立候補した時の演説なんか」
「恥ずかしいので勘弁してください」
思い出話が始まる前にすかさず白旗を上げる。戦略的撤退というやつだ。おれの反応をみると森脇先生は声を上げて笑った。
「ははは、そうだな。すまん。とても印象が強く残ってしまう生徒だったからな」
「そうでしょうね」
そう相槌を打つと、先生は話題を切り替える合図の様に、両手で両膝を軽く叩いた。
「新しいクラスはどうだ?もう馴染んだか」
「それなりには」
「そうか。少し壁を作っている様に見えたんだがな」
その言葉を聞いた時の、僅かばかり心に湧いた焦りが、顔に浮かんでいない事を祈った。この先生は本当によく生徒を観察し分析している。なんだか見透かされている様でそわそわしてしまう。これも俺が先生を苦手とする要因の一つなのかもしれない。
「新しいクラスになってからまだ一週間ですし、こんなものだとおもいますよ」
そうお茶を濁し答える。高校生活においての処世術の一つだ。黒でも白でもない灰色の選択をする。下手に答えれば待つのは身の滅びだ。
「それもそうだな」
納得してもらえた様で何より。自身の安寧を保つためには、こんな所でつまづく訳にはいかない。
特定のグループには属さず、かといってカースト上位の奴らとはそこそこに交流を続ける。凪の様な高校生活を「謳歌」する。それが俺の西北でのスタンスだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます