こいのぼりさん
緑光る午後。山間の村に、一年に一度の客がやって来る。男の子の無病息災を願う、魚、こいのぼりさんだ。
「やあ、古田のおばあさん。お孫さんは幾つになりましたかね?」
「ああ、これはこいのぼりさん。ええ、有り難いことで、今年で小学生ですよ」
「そうですか。では、今年も無病息災を祈って」
こいのぼりさんは、自らを模した吹き流しを渡す。
「毎年、ありがとうございます」
おばあさんはそれを押し頂くようにして受け取る。と、そこへやってきた隣の高橋さんが、
「これはこれは、こいのぼりさん。……今年ももうそんな時期になりますか」
「ええ、高橋のおじいさん。一年経つのはは早いですね」
「本当にそうですねえ。おじいさんのところは女の子でしたね。こいのぼりはないですが、元気ですか?」
「元気にやっとりますよ。まあ、孫なんて、正月くらいにしか会えませんけどねえ」
「それは寂しいですね」
こいのぼりさんが言うと、一旦、家に引っ込んだ古田のおばあさんが、
「こいのぼりさん、これ、大福餅。よかったら食べてくれんかね。まだまだこれから回るところがあるんでしょう?」
「ありがとうございます」
こいのぼりさんはずっしりと重い大福餅を受け取って、
「しかし、ここらも子供がいなくなりましたからね。昔よりは楽になりましたよ。まあ、それはそれで寂しいですが」
「そうねえ、寂しいわねえ……」
三人は何とはなしに山の風景を見下ろした。
一時は木材で栄え、何百軒が軒を連ねた村も、いまは六軒が残るのみ。五月の風に吹かれるこいのぼりも、いまは古田のおばあさんの家にしか上がらない。
「……町へ来て一緒に暮らそうって、そう言われてるんだけどねえ」
おばあさんがつぶやく。こいのぼりさんは、
「いいじゃないですか。毎日お孫さんと会えますよ」
「けどねえ……」
おばあさんは小さく首を振り、
「こいのぼりさんは町へは来てくれないでしょう? 七夕さんも、御霊さんも、町へ来ちゃくれないよ。いられる場所がないからねえ」
三人は再び山の景色を見下ろした。都市には吹かないきらめく風が、緑の梢を揺らしていった。
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