ギブ・ミー・チョコレート
僕はチョコレートが好きだった。男が甘いものを、なんて思われるかもしれないが、好きなものは好きだ。しょうがない。
だから、と言っては何だが、僕は学生時代からいままでチョコレートを切らしたことがない。一時間に一個は食べないと、どうにも調子が出ないのだ。そのため、会社の僕の机の引き出しには、常に何種類かのチョコレートが入っており、社内にあるお菓子BOXのチョコレートは、ほぼ、僕が買っていた。
ところが、ある日のことだった。いつものように会社に行くと、引き出しのチョコレートが忽然と消えていた。
「誰? 僕のチョコレート取ったの?!」
聞くと、どうやら休日だった昨日、社長の孫が来て、甘いものが欲しいと言ったのであげてしまったらしい。
「マジかよ!」
これでは、業務に支障を来す。僕はすぐにお菓子BOXに走った。しかし、そこにもチョコレートがない。
「補充は? 補充はいつ来るの?!」
叫んだが、どうやら昼過ぎにならないと補充の人は来ないらしい。
「どうしたらいいんだ……!」
いまから重大な会議が控えている。外出はできない。それに誰かに買ってきてもらっても、会議に差し入れてもらうわけにもいかない。
「あああああああ、もううううう!」
半ばパニックになりながら、僕は仕方なく会議室に駆け込んだ。
時計は九時過ぎを指している。家で最後にチョコレートを食べてから、すでに一時間。もう体はチョコレートを欲し始めている。しかし、なす術はなく、無情にも会議が始まる。お偉いさん方がマーケティング戦略を話し出す。
けれど、僕はそれどころじゃない。早く、一刻も早くチョコレートを補給しないと、チョコレート不足で死んでしまう! まるでトイレを我慢する子供のように、僕はモジモジと体をくねらせた。隣に座る上司の遠藤さんが、おい、と小声で注意する。
遠藤さん、チョコレートが、チョコレートがないんです! ――とも叫べず、僕は懸命に動きを止める。手に汗が滲む。時間の進み方がやけに遅く感じられる。まだまだ会議は終わる気配がない。当たり前だ。始まったばかりだもの!
死ぬ、死ぬ、チョコレートがなくて、死ぬ。
頭がクラクラとしてくる。視界が霞む。会議の声が、まるで外国語のようで意味がとれない。意識がだんだん遠のいていく――
「――だが……おい、君? 大丈夫かね?」
一瞬、意識を失っていたらしい。肩を揺さぶられ、目を開けると、そこには社長の顔があった。
「どうしたんだ? 具合が悪いのか?」
社長……この人がすべての元凶だ。この人が、孫に僕のチョコレートをあげさえしなければ……僕は……僕のチョコレートは……チョコレート……チョコレートをくれ……チョコレートを……。
「ギブ・ミー・チョコレート!」
なぜ、英語で叫んだのかは覚えていない。けれど、僕は確かにそう叫んだ。そして――本当に意識を失った。
その三日後。病院でチョコレートを補給され、無事、退院した僕が出勤すると、僕の机にはチョコレートの箱が山積みになっていた。
その箱の一つに「君のチョコレートを取ってすまなかった」との、社長からのメッセージ。
「社長……」
僕は目頭を熱くして、社長のチョコレートを有り難く頬張った。
それからお菓子BOXのチョコレートは、切れることがなくなり、僕の引き出しからチョコレートを取るやつはいなくなった。だから、その後、社内で僕のあだ名が「戦後」になったとしても、それは僕にとって些細すぎる出来事なのだった。
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