とりあえずビール!

 あー、今日もやっと仕事が終わった!


 え? ずいぶんと充実したお仕事のようですねって? その表情でわかる? この不況で残業代も出ない、ブラックな時代に、さぞかしホワイトな大企業にでもお勤めなんでしょうね、だって?


 ははは、兄ちゃんは冗談がうまいねえ。


 俺のツラ格好ナリを見ろよ。大企業になんか勤められるだと思うかい? スーツだって吊しだし、靴なんか、ほら見て見ろよ、底が削れてぺらっぺらってなもんだ。


 え? とはいっても、それなりに稼いでるんだろうって?


 兄ちゃん、冗談はそのへんにしといてくれよ。大体、この薄汚い通りに、給料をまともに払ってくれるような会社が一軒でもあるかい? ねえだろう? 俺たちは同じ穴のムジナってわけよ。


 ああ、実は兄ちゃんの顔は何度か見かけたことがあるんだ。いつもそうやって肩落として、とぼとぼ歩いてるだろ? いやいやいや、馬鹿になんかしてねえよ。できるわけないだろうが。同じ穴の……そうそう、そう言ったろ? ああ、分かってくれりゃいいんだ。


 まあ、しかし兄ちゃんの気持ちもわかるぜ。昔に比べて仕事はきつくなったし、給料も上がらねえ上がらねえって言われてるもんな。ああ、俺ぁバブルの時代も経験したさ。貯金? そんなもん残ってねえよ。みぃんな使っちまったんだ。そういう時代だったからな。


 結婚? ああ、いまの若者は結婚ができない、とか何とか言われてるよな。そりゃ金がなきゃ、余裕もなくなるわな。結婚なんて贅沢品よ。金持ちのもんよ。そうだろ? 妻子養うだなんて、そう簡単なもんじゃねえ。いや、俺は離婚したんだ。バブルが弾けてすぐの頃にさ。金の切れ目が縁の切れ目って、そういうもんよ。


 だからいまは独り身さ。金もねえ、妻子にも逃げられ、仕事じゃ俺より年の若いやつに怒鳴られ……散々よ。ああ、時代が悪い、その通りだな。経済も悪い、だから先の見通しも立たねえ、少子高齢化は進むばかりってか……。


 え? じゃあどうして俺はそんなに楽しそうなんだって? はは、そんなに楽しそうに見えるか? いやいや、俺なんか人様から見れば幸せなんかじゃねえよ。兄ちゃんもそう思うだろ? 俺のどこが幸せなんだって。


 けど……そうだな、兄ちゃんと俺のどこが違うかって言ったらだな。そう――ただ、俺がこう考えてるってだけのことじゃねえかな。


 仕事はきつい。女もいねえし金もねえ。けど、これが俺にとって当たり前の人生だ。


 俺は死に物狂いになって金を稼ごうとも思わねえし、どうしても女にモテたいわけじゃねえ。まあ、欲がないかと言われりゃ、完全にゼロとは言えねえが、それでもそのために努力しようって気にはならねえ。


 けど――俺を怒鳴る若い上司は、それなりに頑張って上に認められたんだろうよ。才能があったんだとしても、俺にはないものを持ってることにゃ変わりがねえ。才能ってやつがあったとしても、努力してねえってことはねえだろうからな。


 と、なると、だ。特別にやる気もねえ、才能もねえ俺は、こうして働くことしかできねえだろ? 俺がいまやってるやり方で、だ。つまり、これが俺の人生だ。これ以上も以下も望まねえ、俺という人間の生き方だ。


 そりゃ、世間様からしたら下らねえだろう。けど、俺の考えることに他人なんか関係ねえ。そうだろ? だったら、こういう下らねえ人生こそが「当たり前の幸せ」だって感じる、俺みたいなやつがいたっていいわけだ。


 何も、金がねえから、女がねえから不幸せだなんて考えることはねえ。他人の物差しなんか捨てて、自分の物差しつくってみろ。そうしたら、こんな人生もいいもんだって、思えるようになるかもな。


 っと、危ねえ危ねえ。兄ちゃんと話してたら、通り過ぎるとこだったよ。何って、これだよ。仕事帰りに一杯やるのも、俺の楽しみの一つってわけだ。兄ちゃんもどうだ? ここはモツ煮が安くて美味い。よし、そう来なくちゃな。


 おうい、親父! とりあえず、ビール!

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