なにぬねの

中島、野球しようぜ!

「中島、野球しようぜ!」


 いつもの学校帰り、いつもの放課後。いつものように彼に声をかけたつもりだったが、彼のほうはいつもとは違う顔で振り向いた。


 そういえば今日、彼は学校を休んでいた――その顔を見て思い出した。いつもは学校に来ているはずの彼の、いつもとは違う行動。それが、野球の誘いに振り向いた彼の、いつもと違う顔の理由だろうか。


 そんなことを考えていたら、どうしたんだよ、気軽に聞けるタイミングを逃していた。二人は道路を挟んで見つめ合った。


「……父さんと母さんが離婚したんだ」


 ややあって、彼が言った。道理で悲しそうな顔だ――そう思って、気がついた。


「もしかして、中島、お前引っ越すのか?」


 両親の離婚によって、割を食うのはいつでも子供だ。離婚すれば親のどちらかが家を出る。この町を出る、そう言われたら、子供に選択権はない。


「いいや」


 しかし、彼は首を振った。


「ただ――」

「ただ?」


 不安になって聞き返す。

 すると、彼は悲しそうな顔で無理矢理微笑んだ。


「ただ、僕――苗字が変わるんだ。だからもう――」


 中島、野球しようぜ――その言葉の軽率さに、はっと胸がえぐられた。そう、彼はもう「中島」ではない。いまの彼は――


左衛門三郎さえもんざぶろう、それがいまの苗字だ」

「……そっか」


 彼の儚げな笑みに小さくうなずく。そして、言い直した。


「じゃ、改めて。……左衛門三郎、野球しようぜ!」

「うん、いいよ」

「よし! そうこなくちゃ!」


 そう言って、二人はいつもの空き地に向かってかけ出す。


 子供たちの友情は、大人の事情によって壊れることはない。ただ――左衛門三郎。いつものように野球に誘うとき、彼のその朴訥な顔にこよなく似合う「中島」という苗字は、つい口から出てしまいそうになるのだった。

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