存在
多川慶直
存在
存在
最近の風潮として、老若男女を問わずいままでの日本人は全て悪くて全てを変えなければいけない、という考え方が蔓延しているのではないでしょうか。
若い人達も含めて人々の間では、拝金主義で生きる人が多くなり、そこには、精神的豊饒が感じられないように思います。
特に、西方から持ち込まれた、争い、敵対し、競争することで生き残ることが成功者である、という考え方が蔓延っています。その考え方には、優しさ、柔らかさ、謙虚さの下に自然を神としてこの国で存在してきた「日本人」が感じられません。
その結果として、環境問題に尽きるように日本は何処か底なし沼に自ら進んで落ちて行きつつあるのではないでしょうか。
現代における生活環境の一年か半年の変化は、かつて、奈良時代当たりの世の中の変革速度比較で云うと、当時の約600年位に相当するのだ、という見方があるそうです。そんなものすごい変革の中で、人間として日本人としての精神的醸造速度がついていけてないように思われるわけです。
むしろ、ついていっていないと云うよりは、現実の物的利益の取得にのみ血眼になっている為に内面構築が置いてけぼりになってしまっているのです。
特に心の中から「自然という神」に対する畏敬の念が消滅しているように見受けられます。ここで一度立ち止まり、人間の内面に付いて立ち返り、考え直す必要があるのではないでしょうか。
私たちは何処から来たのか、そして、何処へゆくのかは永遠のテーマであります。この広大と思われている宇宙に何故人間がいるのでしょう。
勿論、他の動物と共にであります。我々の言葉で云うところの「命」というものと共に「生きて」いるのです。「神」の下に存在しているのです。
存在する理由は何でしょうか。よく若い方達が、「自分から頼んで生まれてきたわけではない。勝手に親が生んだのだから、勝手に生きて何が悪い。」と云います。
ではそうでしょうか。例えば、自分は何故生まれて来たのだろうかと考えます。
そして、自分にこうして生きようと言い聞かせます。しかし、よく考えてみると言い聞かせている自分と言い聞かされている自分と、自分の中に自分が二人いるわけです。どちらが自分なのでしょうか。つまり、何時も片方が「神」で片方が自分なのです。では、聞かす方か聞かされる方かどちらが「神」かというと、解らないわけです。
同様に、何か良からぬ事を考えたとします。同じ事になります。良からぬ事を考えるとき、良からぬ事だと言うことは解るわけです。その良からぬ事だよと云う自分の方が「神」なのでしょう。良からぬ事でも利己的に自分のことを考えて、その行為ををしてしまう、すり抜けられるだろうと考える自分は、自分なのでしょう。そして良からぬ事をしたと言って反省する自分は、自分なのです。しかし、だからやらなければ良かったのに、最初に良からぬ事だと考えたでしょうと云う方は「神」なのでしょう。
では、その二人を持っている、一人の自分は、どちらなのでしょう。解りません。人間は、一人一人が「神」から生きろと云う使命を持たされて生まれてきた純粋個人なのです。つまり存在している、「神」と共に存在を義務づけられている個人なのでしょう。だから、存在するのです。「神」とは何でしょう。
形はありません。大きさ、重さ、広さもありません。神とは悠久の「時」ではないのでしょうか。
「時」を考えたことがありますか。「時」は何時から始まったのでしょうか。「時」は何時終わるのでしょうか。起点と終点のない、無限なのです。つまり、神なのです。その神である「時」によりあらゆるものが生まれ、消えてゆき、又、生まれるのです。そして、又、消えてゆくのです。但し、形だけです。個そのものは時空にあるのです。つまり無限に存在するのです。宇宙に全て平等に、同時に存在するのです。
「時」には大きさ、重さ、広さの概念はありません。従って長さの概念もありません。つまり、我々が考えている時間の「長さ」というのは、人間が勝手につけた単位であって、本物ではありません。時は無限であり起点のない、又、終点の無いものなのです。従って、ある瞬間は無限であり、一般的に我々の考えられる無限は有限なのです。我々の生きている時間はその意味で無限なのです。
その時を生きている人間は、そこに存在するのです。何処から来たのか何処へゆくのかではなくそこに存在するのです。無限に存在するのです。人間が生きているということ、そのものが「神」の一部についての代弁者ではないのでしょうか。
ですから、存在し、生きるのです。そこには物欲的な貧富はありません。生きることのために生きるわけです。生き抜く使命があるのです。それも「神」と約束し与えられた、かけがえのない個を生きるために。かけがえのない個とは何でしょうか。
そこに存在することはこの世の中に只一人しかいない純粋個人なのです。純粋とは何でしょう。例えば、本当の純粋な民族があるのでしょうか。純粋な民族とはそれを構成している世の中を構成最小単位の家族も純粋でなければなりません。しかし、その家族が構成される前の、例えば夫婦は純粋でしょうか。その前は純粋ではないのです。どこかの誰かからそれぞれ生まれてきているわけです。つまり、混血ではないのでしょうか。その前はどうだったのでしょうか。矢張りどこかの誰かの・・・・と際限がありません。従って純粋な家族などは有り得ないのです。まして、純粋民族などはあり得ないのです。
個人のそれは、たまたまその時地域に生まれて育っただけなのです。生殖作用によってその肉体とその場所の空気、細菌、埃、水等と共にその場所で生成された純粋無垢の、ただ一人の人間なのです。本当の純粋とは、今ある唯一の自分という個だけであります。つまり、混じり気のないものとは混じり合って出来た、そのものが純粋に混じり気のないものなのでしょう。だから「かけがえの無い自分」なのです。だから神の子なのです。それなのに、何と自分を大事にしない人達の多いことでしょう。登校拒否、いじめ、児童虐待、麻薬などの精神的犯罪は増加の一方です。
では、犯罪とはどういう事でしょう。犯罪とは、人の存在を傷つける行為であります。やってはいけないことだから犯罪なのです。自分だけの行為であるならは、それは犯罪ではありません。しからば自殺は犯罪ではないのでしょうか。私は、犯罪であると考えています。それは、何故かというと生きていることが「神」の代弁でありますから、自分という個で勝手に死んでしまうことはこの世に生まれて来た理由、「神」との約束を破ることになります。つまり、自分というものの存在を傷つけることになります。自分という人間に対して自分というもう一人が存在を脅かすわけであるからして犯罪なのです。だから、自殺は犯罪なのです。
人は、ジタバタしのたうち回って色々考えて生きるわけです。その持っている知恵を絞りだして考えられることを全部やるわけです。その全て手を尽くして、あるいは姑息に策を弄して生きるわけです。
そして、全てやり尽くして手も策も無くなったときに自分の道の上、つまり存在するのです。その後ろにあるのが自分の歩いてきた、または、存在した道であります。いや、それさえも神の前にはなくなってしまうのであります。つまり、生まれようが死のうがそれは神そのものなのではないでしょうか。だからこそ、今を大事に生きなければならないのでしょう。
人は、どう生きてきたかということを論じ、どう生きようとしているかを論じます。しかし、あまり意味があるとは思いません。私にとっては今を生きること、今です。それ以上ではなくそれ以下でもありません。無限の今を生きるのです。そこに意味があるのです。自分自身を人間として信じることは、「神」を信じることです。そこにあらゆる事に対しての基本があります。では宗教とは何か。宗教とは、「神」を信じることを言葉という形に表したものでしょう。つまり、自分という個と神との間を橋渡しするものであると考えられます。そういう風に見ますと仏教、キリスト教、イスラム教その他諸々の宗教は神との対話をする言葉の方言と考えられないでしょうか。元々それぞれを考えた祖の目的とするところは、同じなのではないのでしょうか。
あらゆる宗教は、祖がそれを言葉にし始めたとき始まります。そして、その全てが始まった時代の新興宗教であった筈です。今の時代の新興宗教も数百年、数千年経ったら、今の時代における、長い歴史を持った古典的宗教と同じに扱われるかもしれません。しかし、何時の時代でもその新興宗教の教えに犯罪の側面を持ったものは、真の意味での宗教とはいえません。「神」との対話の言葉とはいえませんし、いってはならものです。しからば、万民がいわゆる既存の宗教(神との対話のための言葉)に入信しなければ「神」との対話が出来はないのでしょうか。否です。既存の多くは、人々がその祖の言葉に感動、感激し、最も自分と神との対話に適していると考える人が参加して集まりを作っているのです。ですから、仏教でも何でもその宗教の解釈によっていろんな「神との対話の言葉(さらなる方言)」を考えるわけです。それが宗派なのです。それはあっていいわけです。であるからして、個がその個の宗教を持つことも可であります。それがが又、祖なのでしょう。この基本を持った純粋個の集団である家族、国であるならば、環境問題も教育問題も、問題として小さくなって行くでしょう。もっと大事に生きるべきです。せっかく存在しているのですから。
存在 多川慶直 @keicyoku
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