「大人になったわたくしを探してみせてください。ねっ」

「お兄さん、こんにちはっ」


「君は……」


八重やえは、八重なのです。ねっ」


「八重……ちゃん。こんにちは。名塚なつかれいです。どうして、こんなところに一人で」


「あれ、どして、八重は……」


「あーいや。怯えないで。あのさ、八重ちゃんは、俺のこと知ってる?」


「ぇ、ぁ。。。おこらないで。……ね」


「ああ、大丈夫。俺は君の、その、ファンみたいなものだから」


「わ、ファンさん! 八重は、忘れっぽい屋さんなの。みたいなものだから? 幼稚園でも、こういうこと、よくあるの」


「そっか。……小さくても、記憶障害は変わらないんだ、八重さん……」


「えと、忘れっぽいのに、なんで、忘れっぽいことは覚えているか、っていうと。ね。あれ、どしてかな……」


「あ、分かるよ。八重ちゃんはエピソード記憶が少しだけ苦手なんだよね。わけあって少し調べたから、それは分かってるよ」


「そう、えぴそーどがダメなの! お兄さん、かしこい」


「ま、譚丁たんていだからな。なんて」


「探偵さん……。探してほしいものがあるの。ねっ?」


「ん、俺が探せるものなら。なんなりと」


「ホントの八重を探してほしいの」


「……え」


「あ、間違えちゃった。八重はここにいるもん。ねっ。ホントの八重のセカイを探してほしいの」


「世界……? ああ、もしかして、さっきの水晶の。クレヨンとか、折り紙とか、霜柱の世界のことかな」


「そだよ。八重のこと分かってる。ねっ。もしかして、お兄さんは八重のお兄さん?」


「ふっ、照れるなぁ。そうか、俺が八重さんの兄か、はっはっは……。

 いやいや。本当の世界ってさ、そんなもの探さなくても、八重ちゃんが水晶に夢見る世界は、充分に素敵だから。そのまま気ままに夢見ていてほしいなぁ、通りすがりのお兄さんとしては」


「お兄さん、かしこくない。それじゃダメ。八重はダメなの!」


「え」


「あの。ね。八重には、みんなのセカイがよく分かんない。忘れっぽい八重のセカイはゆらゆらしちゃうのに、みんな、ふつーはゆらゆらしないってゆーの。だから。ね?」


「世界が揺らぐ、って。それは……今も」


「ううん。今はだいじょーぶ。お兄さんしか見てないから。お兄さんがゆらゆらしなければ。ね」


「じゃあ……。俺が、ここから、いなくなったら」


「やだ。ずっと、いて」


「……ごめん。それはできない」


「やだぁ」


「八重、ちゃん」


「かんばってるの。八重、思いだすの、いつもがんばってるもぅん。でもダメなの。お兄さんのことも、思いだそうとしたら、きっとふらふらしてて、ね。また、お兄さんに会った時、こなごなになっちゃうの」


「……え」


「あ、忘れっぽいのに、なんで、忘れっぽいことは覚えているか、っていうと。ね」


「八重ちゃん! あのさ、さっき夢見た水晶世界、まだ覚えてる? どれか一つでもいいから」


「ぁ。ぉこ、おこらないで……。ね」


「大丈夫。べつに、いいんだ。忘れちゃったなら、それはそれで」


「すいしょー。ね。あれば、また見れるよ」


「でも、水晶はもう砕けて……。いや、在るな。この俺の瞳の中、ここに二つの水晶体が。なんて」


「それ砕けちゃっても、だいじょぶ?」


「え。いやー、はっはっは。まぁ、何とかするよ。気合いで」


「じゃあ、八重、お兄さんのすいしょーたい、みつめてみる。ね」


「……?」


「…………」


「……!」


「……すぅ……」


「…………八重ちゃん、今の君には何が見えてる?」


「うふ。お兄さんには何がみえてる?」


「……やっぱり凄いな。広くて、どこまでも果てしなく広がっていて、闇に鏤められた光の粒の一つ一つが大きな星々で、それぞれの質量で引きあって流転していて、そこから降りそそぐ流れ星があって。

 これ以上、うまく俺には言葉にできないけど、八重ちゃん。君が夢見ているのは、宇宙って言うんだ」


「うちゅー?」


「たぶん現実の宇宙とは、地球があって太陽系があって天の河がある宇宙とは、ぜんぜん違うと思うけど、これは紛れもなく、一つの」


「ちゅー?」


「あっ、近い。顔、近いから」


「もう八重から、目をそらさないで。ね」


「逸らしたら、どうなるのかな」


「うちゅーがこなごなになっちゃう。そんなの、もうやだぁ」


「……八重ちゃん。あのさ、君が泣いていたのは、色々なことを。忘れたのが哀しいからじゃなくて、覚えていないのが寂しいからじゃなくて。みんなと同じ世界を生きていくためには、その瞬間に君が見ているもの以外、世界の全てをことごとく夢見る必要があって。

 でも、それはどこか現実とズレているから、ことごとく粉々になっていくのが、やりきれなくて」


「そらさないで。ね?」


「八重、ちゃん。大丈夫。大丈夫だから」


「なにが? だいじょーぶ」


「大丈夫。風が、吹くんだ。粉々になった世界にも、蛇の神様が吹いて。同じ風が、きっと、、巡り合わせを、、、」


「お兄さん。ないてるの?」


「いや、まさか。……一応そろそろ成人する身として。八重ちゃんに大切なことを一つ、教えてあげよう」


「んー」


「実はね、みんなの本当の世界も、わりとよく粉々になってるんだ。伊宮いみやに来て、そういうことを学んだんだ」


「そーなの……」


「沢山の思い出に囲まれて生きていくことも、素敵なことだけれど。いつも違う名字を名乗って、ふっと夢見たことを誰かの心に残していく生き方も、とても素敵なことなんだって思うから、さ」


「…………」


「…………」


「お兄さん、かっこ良さそうなこと、言っても。八重、忘れちゃうよ?」


「いいんだ。その時はまた格好付けるから。縁あるかぎり、気が向けば何度だって、さ」


「ありがとう。ね。そう言ってくれる人がこの世に一人でもいるなら安心して。これで八重は、うん、八重になれそう」


「え」


「もう少しだけ、目を逸らさないでください。ね」


「八重……さん?」


「今は、何が見えます。かっ」


「流れ星が、見渡すかぎり満天の流れ星が、降りそそいで……」


「令さん。わたくしは大切な人のことほど忘れてしまうから。大人になったわたくしを探してみせてください。ねっ」

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