老婆 ―Old Woman―.01


 赤焼けた地上の街並みに影が射す。


 大気を震わせる飛行音と、辺り一帯を渡る突風。見上げる人々の目に映るのは、夕焼けの光を遮る巨大な人工建造物。


 大空を行くこの巨大な建造物こそが、人々がオーバーと呼ぶ、地上最後の楽園。


 エネミーの出現と貧困層の増加によって、治安悪化著しい地上を捨て、空へと逃れた富裕層が暮らす人造の居住地。

 同様の建造物は世界に50以上存在し、それらは全て地上100メートル前後の高さを飛行し続ける。そして、一つ一つの大きさは半径30キロにも及んでいた。


 22世紀後半。今やアンダーと呼ばれて久しい地上にも、『国家』という形骸化した概念は残ってはいる。


 だが、それら国家群はどの国も一様に疲弊し、貧困と治安の悪化にあえいでいた。

 現実として、地上はオーバーに居住する各国首脳や富裕層によって管理・支配されているのが実情であった――。



 ◆   ◆   ◆



 まるで全てが錆び付いたような景色。


 赤と茶の壁面に、更に夕暮れの日射しが染みていく。


「そうかい……。この町にエネミーがねぇ……」


 その日射しをガラス越しに受けながら、一人の老婆が深い皺の刻まれた表情で呟く。

 その老婆の手には、彼女には到底似つかわしくない無骨な拳銃が携えられていた。


「――はい。そのエネミーは今、この町上空に待機している23番艦『ザナドゥ』を追っています。DDSは、この町を遮蔽物に、エネミーに対して市街戦を挑むつもりでしょう」


 GIGの制服に身を包んだ青髪の少女。

 老婆の対面に座るアリスが、いくつかの資料を指し示しながら説明を行う。


「もう時間がない。この町は戦場になります。俺達と一緒に避難して下さい」


 アリスの隣。真剣な表情のユウトが老婆に詰め寄る。

 その瞳には老婆への深い憂慮が滲んでいた。


「ありがとうねぇ……でも、この町には息子も義娘むすめもいるんだよ……」

「おばさん……」


 悔しげに唇を噛むユウト。


「でもね、わたしは久しぶりにあんたの顔が見れて嬉しかったよ。あんなに小さかったのに……」

「――ルヴィアーノさん。ユウトにとって、あなたはとても大切な人だと聞いています。あなたが逃げないというのなら、きっと、ユウトも――」


 だが、アリスの言葉を待たずにユウトは席を立つ。


「――俺が、守ります」


 決意を秘めたユウトの声。アリスは退出するユウトに何かを言おうとし、止める。

 そして自分も席を立ってルヴィアーノに一礼すると、ユウトを追って部屋を出た。


「本当に、立派になって……ねえ、イエロ。あんたも嬉しいだろう……?」


 老婆は退出する二人の背を、目を細めながら見送ると、手に持った拳銃に向かいそう呟いた――。



 ◆   ◆   ◆

 


「――ユウト、今度のエネミーは他のエネミーとは違う。いくらあなたでも――」

「やってみないとわからない」


 一歩踏み出すごとに軋んだ音を出す廊下を歩き、追いすがるアリスにユウトが答える。


「それだけじゃない。依頼はDDSに対して出されてる。もし私たちが介入してしまったら――」




「――重大な違反行為。DDSとの対立は避けられないだろうな」


 二人の進む廊下、その突き当たり。壁に背をもたれさせ、嘲るような口調を二人に向ける一人の中年男性。


「GIGのクズ共の中でも更にクズ。アンダーびいきのユウト。肝心の故郷を守れなくて残念だったな?」


 男はことさらとげとげしい口調でそう言うと、ゆっくりとユウトの前に歩み寄る。


「あのババアがそんなに大事か? 町の避難はあらかた終わってる。融通の効かねえ死に損ないなんざ、遠慮無くあの世に送ってやるよ」


 ユウトは無言。

 だが、彼が今にも暴発しそうな強い思いをこらえているのは明らかだ。


「止めなさい。それ以上の挑発行為は、こちらとしても報告の義務があります」

「おぉ、怖い怖い。ま、後は俺達に任せておきな。エネミーはともかく、町がどうなろうと知ったこっちゃねえがな」


 男は嘲りの笑みを更に深くする。

 そしてユウトの肩を一度叩くと、そのまま通り過ぎ――。


「な――っ、てめえ、何しやがッ!」


 肩に置かれた手、そこにそっと添えられたユウトの掌。さして力んでいるようにも見えないその手が握られ、それと同時に男の手から骨の軋む音がみしみしと響く。


「もし危なくなったら、いつでも呼んで下さい。すぐに――助けます」

「て、てめえ……ッ」


 瞬間。嘘のようにあっさりと解放される男の手。だがそこにはハッキリと赤い痣が浮かび、それを見た男は怒りに引きつる顔で、何事かを言いながらそのまま小走りに去って行った――。


「ユウト、大丈夫?」

「――ごめん、心配させて」


 不安気に自分を見つめるアリスにユウトは視線を外す。


「今の男は、DDS所属の傭兵。ダノ・マロンド。今回、DDS側の総指揮を執ることになっているみたい」


 アリスが手元の端末を操作しデータを確認。ダノの経歴から戦績までを表示する。


「たしかに粗暴な男だけど、相当な戦歴の持ち主――」

「とてもそうは見えなかったけど」


 アリスの言葉に軽く頷きつつ、ユウトは再び歩みを進める。


「ユウト。ひとつ聞いてもいい?」


 アリスは歩き始めたユウトの横に並ぶと、歩みを止めないまま、ユウトに対して質問を投げかける。


「ルヴィアーノさんのこと――彼女の息子さんと義娘むすめさんは、もう――」

「――うん。、もう亡くなってる」


「え? じゃあ、息子さんは――」


 ユウトの言葉に驚きの色を見せるアリス。

 ユウトは、痛苦に満ちた表情のまま、絞り出すようにその先を続けた――。



 ◆   ◆   ◆



 今にも崩れ落ちそうな老婆の家から外に出たユウトとアリス。


 二人の上空には巨大なオーバーの艦艇『ザナドゥ』が滞空し、赤く染まった空に黒い影を落とす。


 この地に迫るエネミーは、執拗に上空のザナドゥを追っている。追いつかれれば、当然大きな被害が出るだろう。


 すでに、地上の町に住む人々にも避難勧告が出されている。

 

 ザナドゥを追うエネミーの侵攻を阻止するべく、各国首脳と、正規軍から依頼を受けた民間軍事企業DDSは、この寂れた町を防波堤として、エネミーを迎撃する作戦を立案。採用した――。


 老婆の家を出て更に歩みを進める二人の周囲では、大勢の兵士と武装車両が慌ただしく行き交う。DDSの装備を身につけた傭兵達も相当数。


 それはまるで、今から戦争を仕掛けるかのような様相だった。


「おばさんの息子さん――イエロ兄さんは、良く俺達とも遊んでくれてた。街の自警団に入ってて、銃の扱い方や、格闘術なんかも教えてくれて――」


 それら物々しい街並みを横目に、二人は更に街の外へと向かって歩いて行く。先ほどダノが言っていたように、彼らは部外者だ。長居は出来ない。


「イエロ兄さんの結婚が決まったときは、皆大喜びだったよ。俺も、ヨゾラも、レヴィンも――もちろん、一番喜んでたのはおばさんだった」


 昔を懐かしむかのように笑みを浮かべるユウト。アリスはその横で、ただ黙って彼の話を聞いていた。


「でも、結婚式の当日――」




「皆の前で――。イエロ兄さんは、アークエネミーになった――」




             >>>To be continued

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