TRACK 02;事件発生

 5日程前の晩…少し変わった夢を見た。映像はカラーだった。

 幼い子供を寝かしつけた女性が…泣いていた。とても肌が白くて、美人の人だった。どうして泣いているのか分からなかったけど、物凄く悲しい顔をしていた……。


 僕の予知夢は……何処の誰かも分からない人の姿も映し出す。だから、助けてあげたくてもそれが出来ない。例え次の日、夢に出て来た人が横を通り過ぎても、気付いてあげられない。

 僕の目は、見えないのだから……。


 どうして泣いていたんだろう?物凄く悲しい顔をしていた。そして慌てていた。事態は、急を要する感じだった。



「拓司さん、お茶でも入れましょうか?」

「ああ、そうしてくれるかい?」


 今日も他のメンバーは橋本さんに追い出されて、事務所には僕と橋本さんの2人だけになった。


「あ……拓司さん。お茶っ葉が、もうありません。」

「………それじゃ、要らない。」

「全く!あの人達、本当に営業してます!?お客さん、全然来ないじゃないですか!?」


 橋本さんが空になった缶を蓋で叩いて、愚痴をこぼした。


(……夢の中で、健二がベンチで昼寝をしてたなんて……橋本さんには言えない。言うと、彼の命が危ない……。)


「がっ、頑張ってるんじゃないかな?ただ、皆不器用だから成果がないだけで……。」

「仕事も取って来れないようじゃ、営業マンとは言えないでしょ!?」

「そっ、それは確かにそうだね。」


(彼らは、営業マンでもないんだけど……。)


 今日も、昨日と同じ1日を過ごしそうな勢いだった。

 でも違った。昼を過ぎたので眠りに就こうとした時、事務所の扉を開く音が聞こえた。


「あの……ここって、探偵事務所ですよね?」

「あ……あっ、はい!……ひょっとして…仕事のご依頼ですか!?少々お待ち下さい!」


 橋本さんが玄関まで走って行く足音が聞こえた。


「さあ、拓司さん。久し振りの出番ですよ!!」


 どうやら、仕事を依頼したい人が尋ねて来たらしい。僕は立ち上がり、手探りで会議室に向かった。


「お待たせしました。」

「あっ……。」


 ……依頼者さんの態度は、目が見えなくても分かる。いや、見えないからこそ分かる。


「済みません。私は、全盲の人間でして……。」

「……そうなんですか……。」

「でも安心して下さい。他のメンバーは問題ないんで。僕が、依頼内容を聞かせてもらいます。」

「…………。」


 そこまで言うと、目の前の人は黙り込んでしまった。

 よくあるパターンだ。勇気を出して探偵事務所に来たものの、いざとなったら黙り込んでしまう人は多い。


「お茶でも出しましょう。橋本さん…あっ……。」


(そうか、お茶は底を尽きた。)


「何か、冷たい物でも…。」


 暫く待っていると、橋本さんが依頼主に、缶に入った何かを差し出した音が聞こえた。


『プシュ!』


(えっ!?ひょっとして、ビール!?)


 事務所の冷蔵庫には、ろくな物が入っていない。

 驚いた顔をする僕の耳元で、橋本さんが声を掛けた。


「私が飲もうとしていた…炭酸飲料です。後で、経費で落としてもらいます。」

「……そうして下さい。…ご免なさい。」


 橋本さんは、毎日のように炭酸飲料を飲んでいる。仕事が終わると、必ず口にしている。炭酸飲料は、彼女にとってのビールだ。

 しかし、どうしてそんなに炭酸飲料が好きなんだろう??


「お話と言うのは…?あっ、ご心配なく。他言はしません。事務所に来られる方達は、人に言えない事情を抱えた人達ばかりです。私達は、何を聞いても驚きませんし、秘密は必ず守ります。お話だって、前向きに聞かせて頂きます。どうかご安心を。」

「…はい……。」


 依頼主の気持ちを楽にさせたつもりだったけど、そこからも長い間、目の前の人は口を開かなかった。


「主人が……2日ほど前から、家に帰って来ないんです…。」

「………そうですか……。」


 やっと口を開いた依頼主から聞かされた話は、ありきたりな相談だった。探偵への依頼で、一番多いケースだ。


「……ご主人の……浮気でしょうか?」


 不倫や浮気…。人は、昔誓った事も忘れて今を生きている。


「!!主人は、そんな事をする人じゃありません!」


 しかし依頼主は僕の返事に立ち上がり、怒り出した。焦った。どうやら、失言をしてしまったらしい。

 でも、浮気でないとすると……旦那が帰って来ない理由は何だ??


「し、失礼しました。申し訳ございません。私は、あくまで可能性を話しただけでして…。」

「………。」

「では何故…ご主人は家に戻って来られないのでしょう?何か、心当たりはありますか?」

「……私達は、数ヵ月ほど前この町へ越して来ました。子供も大きくなって……主人も会社を退職して自分の会社を持つ事になったので、良い機会だと思って越して来たんです。」

「………はい。」

「新しい会社には、主人が取得した特許を元に、明るい未来が待っていました。でも、1週間前ほどから…どうやら主人と会社が、誰かに脅されまして……。」

「脅された?」


 何となく話が見えてきた。これは、現実の探偵がよく受け取る仕事じゃなくて、フィクションの世界でよく見かける内容のようだ……。

 しかし……そんな話が実在するんだな……。


「家にも脅迫状が届きました。特許を譲らないと、酷い目に遭うとの内容でした。主人は大丈夫だと言って私を安心させようとしたのですが……その彼が2日前から、会社にも、そして家にも姿を見せません!!」

「…………。」

「あの人は、きっと誘拐されたんです!特許を狙う悪い誰かに!…お願いです!主人を探して下さい!」


 大きな話が飛び込んで来た。本当に、漫画の話みたいな依頼だ。


「警察には……相談しましたか?」


 僕らの事務所の、直ぐ向かいには交番がある。


「警察には話しましたが、相手をしてくれません。ただの蒸発なら動く訳にもいかないと…。でも、彼はそんな事をする人じゃありません。引越しだって、子供の為を思ってしたんです。私の事も愛してくれています!きっと、誰かに誘拐されたに違いありません!」

「…………。」


 僕は、この人の言葉を信じた。目が見えない僕は、超能力とは関係なく聴覚が発達している。嘘の声は聞き分けられる。

 この人は……嘘をついていない。


 そして分かった。この人は、夢に出て来た人だ。泣いている声が一緒だ。


 目が見えない僕は、通り過ぎる他人を助けてあげられない。でも今、依頼主は僕が知る人になった。だから……

 助けてあげなければ……!


 警察は動いてくれない。政治家や金持ちが相手なら直ぐにでも動くくせに、庶民の声には聞く耳を持たない。『事件の可能性が見えたら対処する』……。お決まりの台詞で、困っている人を門前払いする。事件が起こってから動いていては、何の解決にもならないのに……。



「明日の朝、もう1度ここに来てもらえますか?その時は、ご主人の写真や会社の事、帰って来なくなった日から数日前までのご主人の行動、そして脅迫文など、事件に関係する資料を、全て持って来て下さい。」

「えっ……それじゃ、引き受けてくれるんですか!?」

「勿論です!ご主人を誘拐した人が誰だか知りませんが、私達が必ずご主人を、奥さんの下へお返しします。」

「!!ありがとうございます!宜しく、何卒宜しくお願いします!」


 依頼主の、喜んでいる声が聞こえる。

 でもまだだ。ご主人を返すまで、依頼主は心の底から安心も出来ないし、笑う事も出来ない。


 ここ数日は、毎日のように泣いていらっしゃったんだ。不安で不安で堪らなかったんだ。


 僕は知ってる。カラーで映る夢の中で、依頼主が泣いている姿を見たのだから……。

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