第8話

 明治列島への大量移住で、日本人の多くが失業者となったが、当面は補助金が支給される。そのうえ、家屋の絶対数が足りない。特に首都圏では深刻で、現在首都圏居住でも地方に割り振ることになる。さらに、一軒に複数世帯が同居することを余儀なくされる。


 遥香の家族、現鈴乃屋も、明治列島に渡った。ただし、向かう先は北海道札幌県だった。同じ場所に暖簾を引き継いだ以前の店があるので、別の場所を選びたかったのと、希望者の少ない北海道なら早めに入居できると言われたからだ。それに、寒くなる頃には、最新暖房設備が整うと聞かされていた。

 来年に開業予定だが、商売が軌道に乗るまで時間がかかりそうだ。



 緑は多摩の農家を出て、葛飾で結婚ボランティアを再開した。移住が認められた後で、そんなことをしてもあまり意味はないと思えるが、それでも助かる人もいるはずだ。遥香は、家族と北海道に行っている。翌月に佐吉は結婚しているはずだが、まだ女性は現れない。遥香の一家は明治列島に移住したので、消えることはないが、緑は佐吉のことが気になっていたのだ。


 それで特に用事もないのに、何度も鈴乃屋を訪ねた。近所を二人だけで歩いたりする。もう、相手の女性は現れない。この時点でそう確信していた。というより、現れて欲しくないと願っていた。差吉の結婚相手は変わったのだ。もちろん、直系である遥香の家族以外にも子孫がいるはずだ。その人たちはこちらに来ているのだろうか、などと気になった。なぜなら、自分のせいで、相手の女性が登場しなくなったのではないかと思っていたからだ。


 緑は、佐吉から浅草に行こうと誘われた。

 現在は遊園地化している浅草花屋敷も、まだこの頃には、上流階級の利用する庭園といった感じだった。本来の歴史をたどるなら、後三年もすれば、浅草十二階という名で知られる凌雲閣が建つことになるのだが、今の状況では無理だろう。すでに、高層ビルの建築予定地があちこちに見られる。

 西洋式、というより、プラスチック製のベンチがあったのには興ざめしたが、二人はそこに腰を下ろした。

 すると、すぐに佐吉が重大な決意をうち明けた。

「俺、洋菓子屋になろうと思う」

「?? 店は誰が継ぐの?」

「親父の代でやめても、北海道に子孫の店が出来るからいい」

「そう言われると、同じ暖簾の店が二軒ということになるから、そうね」

「俺一人じゃ無理だと思う。手伝ってくれないか」

「私、生まれてから一度もケーキもビスケットも作ったことないんだけど」

「そういう意味じゃなくて」

「?」

「俺と祝言を上げてくれ」

 それが、プロポーズの言葉だった。

「まずいわよ。だって、いちさんという人が」

 緑はそう言ったが、戸籍の日付まで、後二日だった。その点は問題なくても、佐吉には家族がいる。

「お父様が反対されるわ」

「それでもかまわない」

「そういうことなら……」


 

 跡取り息子が、勝手に結婚相手を決め、洋菓子屋になると聞いて、当然のように佐吉の父親は反対した。緑の父親は、彼女の自由にしていいと言った。佐吉は家を出ることにした。佐吉の抜けた分は、遥香の兄が埋めることになった。

 日本国の住民は、もとからそこに残っている高齢者や頑固者に、明治からの移住者と、外国からの移民を加えて、人口は四千万人程度。ちょうど明治時代の人口だ。ネットなどでは、先祖が明治列島にいけば、子孫は消えたりしないという噂があった。彼女は先祖を調べた。未婚者の半数が日本に渡っている。明治列島にいるのはまだ子供だ。

 佐吉と緑は、住む場所に困ったが、日本列島に渡れば、ただ同然で空き屋が手に入る。立地条件のいい元ケーキ店の空き店舗も探せばあるはずだ。緑が消えさえしなければ、日本列島で暮らすほうがいい。

 明治から日本への流入も加速していた。思い切って、彼女は佐吉に日本に行くことを提案した。ときどき、先祖の状況を調べて、問題がありそうだったら、またこちらに戻ればいい。そう考えてのことだ。 


 戸籍に記されている婚姻の日がすぎた。緑は佐吉と結婚することを決めた。いちという女性は現れなくなったのだ。歴史は変わったのだ。

 二人は日本列島に渡り、営業を続けているブライダル会社の式場で結婚式を挙げた。スタッフは外国人や明治からの移住者ばかりで頼りなかったが、客も少なかったので、問題はない。

式場は緑の自宅から離れていたので、前日からホテルに泊まった。

 どこのホテルや旅館も、明治からの移住者であふれかえっていた。彼らは、そこを一時的な拠点として、物件探しを行う。宿泊施設の従業員も新人がほとんどで、サービスは悪いが、その分格安の料金となっていた。さらに、資金のない層には、市民体育館や廃校が仮の宿として提供された。


 結婚式が終わり、自宅に戻った。佐吉の修業先を探さなくてはいけない。フランスなど海外で修行することもできるが、この状況では外国に行く気分になれない。

 インターネットの情報から、息子の家族が明治列島に移住し、老夫婦だけで営む都内のケーキ屋を見つけた。事情を話すと、住み込みで働いてもらって結構といわれたが、近くに一軒屋を借りて住むことになった。今の自宅は、明治からの移住者に貸し出すことにした。


 ようやく落ち着いたので、ハネムーンといきたいが、そういった慣習のない時代の夫を説得するのは一苦労だった。ケーキ店の主人の協力で、佐吉はしぶしぶ納得した。

 旅行先はいくつも候補があったが、房総半島の南端に行き、能登半島の北端を眺めるというプランに落ち着いた。日帰りで行ける程度の距離だが、日本列島への移住を除けば、これまで一度も旅行をしたことのない佐吉には、そのくらいがちょうど良い。


 明治二十一年の春。緑と佐吉は、予定どおり、房総半島の南端に出かけた。天気予報を参考にして、快晴の日を選んだ。

 JRを利用した。大きな混乱はなかったが、電車に乗り慣れない乗客が多いようで、大声でぺちゃくちゃしゃべっていたり、食べ物を食べたり、何かとマナーが悪い。

 南房総は明治列島と近く、かなりの船便が増便され、港は大規模な工事が始まっていた。南房総は花のまちだそうだ。外国人が運転するタクシーに乗ってフラワーラインと呼ばれる、両サイドに菜の花が咲き誇る道路を通った。先端にある野島崎公園に向かう。


 美術館を見学した後、白亜の灯台に上り、展望台から、明治列島を眺めた。

能登半島の先端が見える。

 佐吉は、隣で黙ったままだ。向こう側で生まれた彼は、今外国に来ている感覚なのだろうか。おかしなことだ。

 最近では慣れてきて、緑もなんとも思わなくなっているが、房総半島の向こうに能登半島があるなんて非常識にもほどがある。冷静に考えると、何がなんだかわからないが、こうして、今、自分が明治時代の男性と結婚し、隣にいることは確かだ。

 だが、それも自信が無くなる考えが浮かんできた。


 夢落ち。全部夢だとしたら。だけど、夢にしては長すぎる。

 では、何故、明治時代の日本が現代日本のすぐ傍に浮かび上がったのだろう。

 神様のいたずら? 昔の人間ならそう考えただろう。

 これとよく似た現象は、……文字化け。

 コンピュータで文字や画像が、正しく表示されないことはよくある。

 コンピュータの性能が低かったり、データ処理のミスなどが原因だ。

 つまり、明治列島もデータ処理のミス……。

 現実だと思っていたものは、すべて仮想現実、一緒のコンピューターグラフィックスだったとしたら。

 たとえそうだとしても、一旦、こうなったら、この状況から続いていくはず。

 そうとは限らない。

 コンピュータ画面の表示が一時的におかしくても、画面をスクロールするなど作業を続けていくと、正常に戻るケースが多い。

 その考えからすると、明治列島は、存在するはずのない現象だから、正常に戻そうとする力が働いているはず。

 つまり……しばらくすると、消えるということ。

 あそこにいては危ない。

 私がそう考えることが、消滅を早めるかもしれない。

 もし、宇宙がプログラムで動くシュミレーションだったら、私が考えた内容も、システムに把握されているはず。

 宇宙の管理システムが、私の思考に気づいたとしたら。


 緑は、海に浮かぶ能登半島を見つめた。

 大丈夫。まだ存在していた。


 しかし、数十秒後。

 そこにあったのは、どこまでも広がる太平洋だった。明治列島は、彼女の目の前から消え失せていた。

 隣を見ると、佐吉はいる。何が起きたのかよくわからないのか、無表情だった。

「もう降りようか」

 佐吉は言った。

「明治列島が消えたんだよ。何で驚かないの?」

 そういう彼女自身平静でいた。

「これまで驚くことばかりで、何が起きても、何とも思わなくなった。最初からなかったと思えばいいさ」

 不思議とその言葉に納得できた。



 佐吉の言葉通り、明治列島の消滅は、地理的には正常な状態に戻っただけだが、その出現時を越える大混乱が巻き起こった。

 消滅した時点では、日本列島から明治列島に五千万人が渡り、明治から日本に一千万人が移住していた。明治列島にいたおよそ八千万人が消えてしまったのだ。

 そこには伊藤博文率いる明治政府。日本側の政治家の半数、公務員の八割以上、法人の半数以上が含まれている。


 日本列島に残ったのは、移住をあきらめた高齢者、移住を拒否する頑固者、移住が遅れた人々、明治からの移住者、外国人達であり、もぬけの殻とは言わないが、これまで日本の社会を担ってきた主立った層が、ごそっと抜け落ちてしまったのだ。

 明治から若い力が入ってはいたが、教育水準は低く、日本の中年以下のほとんどがいなくなったので、平均年齢は以前より上がった。

 インフラはあっても、利用する人間が激減し、メンテナンスすら困難だ。若者がいないので、大学の大半は閉鎖。工場の大半は操業を停止し、再開しようにもこれまでのノウハウが途絶えた。移住者の補助金等で財政は危機的状況。もはや先進国とはいえない。


 結局、明治列島の出現がもたらしたものは、日本国が多くの人と金を失うという悲劇以外のなにものでもなかった。誰かがこう評した。日本は、百三十年前の自分に出会ったことで、時計の針を百三十年先に進めた。それはまさに、二十二世紀に予想されていた日本の未来だった。

 良いニュースもある。伊豆大島は元の位置に復活していた。住人は何が起こったのかいまだに理解できないでいる。




 福沢諭吉は、日本列島にいた。彼は、このところ憂鬱気味だったが、消えた仲間や子孫達の行方を案じていたのではない。

 彼が仕えてきた大日本帝国の行く末が、見えてきたからだ。

ついこの間まで、我が国は近代国家としての黎明期だった。それが国民国家の解体過程の初期段階にいきなり移動してしまったようだ。

 結果的に大日本帝国は日本国に勝利した。それは、先祖であるメリットを活かしたためだが、武力行使が難しくなったことも一因だ。圧倒的な軍事力を持った日本国は、国際ルールの中では、大日本帝国を統合できなかった。

 今はまだ、国が集まって国際社会を形成しているが、やがて国という単位が意味を持たなくなる日が来る。経済協定、国際連合、資本の自由化、移民受け入れ、グローバリゼーションの先に、国家というまとまりは消えていく。インターネットがそれを促進していく。

 国は消えても、民族はどうだろう。果たして、大和民族という意識は永遠なのか。彼の教え子の中にも外国人はいる。なかでも、外国人と日本人、双方の血を受け継いだ混血も多い。混血が進むと、どの民族といった区別が難しくなる。日本人という切り口で考えること自体が、現実と合わなくなってくるのだ。


 彼は日系アメリカ人と話したことがある。見た目は同じ日本人だが、精神的には完全にアメリカ人になっている。

 企業が世界レベルで事業を展開し、人が自由に移動できるようになると、我が国の最終的な姿は、東アジアブロック内の一地域だ。それも、その一地域の区分けが、日本や韓国といった国単位になるとは限らない。経度や緯度の直線で、ばっさりと区切られ、自治権もなく、ローカルルールの存在も危ぶまれる。公用語は英語で、中国語は言葉としては残るだろうが公用語としては認められるかどうか微妙で、日本語は消えている可能性が高い。

 そう考えると、徳川幕府の鎖国政策は正しかったのかもしれない。いまからでも遅くはない。徳川の世を取り戻すべきだ。こうして、彼は佐幕派に転向した。



 明治列島は明治時代に戻ったのだろうか。それなら、世界史は大きく変わっているはずだが、そんなことはない。きっとパラレルワールドに行ったのだろう。そこは日本しか存在しない世界で、独自の文化を花開かせているに違いない。あるいは、百三十年後の世界にタイムスリップしているのかもしれない。


 しかし、緑には、ある考えが浮かび、うち消すことができなかった。パラレルワールドに消えたのは明治列島ではなく、自分たち日本列島のほうではないか。明治列島は住民を乗せたまま、元の日本列島の位置に納まり、こちらのことを心配している。

 佐吉に言わせると、そんなややこしいことはどうでもよく、これからの暮らしが大切だそうだ。何故なら、彼女のおなかには、新しい命が宿っていたからだ。

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