第7話
明治政府は、次の手を打ってきた。明治列島への日本人渡航制限を設けた。自国の結婚事情を外部から調整されることを拒否したのだ。ボランティア達は任務途中で、帰国することになった。
日本政府は窮地に追いつめられた。具体的な数字は把握できていないが、すでに太平洋戦争の死者を上回る数の日本人が消えたと言われていた。それが急速に増加することになる。
明治の日本人は、そのまま明治列島に暮らしても問題ないが、現代日本人は南の明治列島に移住しか選択枝がない。
しかし、明治列島はインフラが整っておらず、一億六千万人も養えるだけのキャパシティがない。日本の経済力は急速に衰えており、巨額の補助金負担で財政は瀕死の状況だった。海外からの投資や援助も明治側に集中している。
これらの問題を解決するため、国土を交換するというアイデアが出されていた。しかし、明治側が拒絶するのは目に見えている。そこで金田内閣は、大量の移民の受け入れを決めた。さすがに、日本列島を外国人に明け渡すくらいなら、あの頑固な伊藤内閣も、国土交換に応じるだろうという目論見だ。
留三の死以降混乱していた真美も、このごろは落ち着きをとりもどしていた。あれから何度も自殺を考えたが、かなりの数の知り合いが消えていたので、いずれ自分も消えるのだから、わざわざ自分から死ぬ必要はないと思うようになっていた。それでいて、早く消えたいと望んでいた。
会社には休業届けを出していた。することもなく、公園に出かけることが多くなった。ベンチに座って若い母親と遊んでいる小さな子供の性別を考えていると、突然、目の前で目の前で子供が消えた。
慌てる母親を落ちつかせようとするが、
「どこに行ったの? なんであなたがお母さんより先にいなくなるの?」
とパニックは収まらない。
おそらくというか、間違いなく、子供の父親も消えている。目の前の女性は、自分と同じ苦しみを味わうことになるはずだ。もし、子供の先祖が日本列島にいれば、こんなことにはならなかった。
このことがあり、彼女は、自分の知った事実を公表すべきだと考えた。運のいいことに、彼女は新聞記者だ。記事にすればいい。もちろん、ありのままの体験をそのまま掲載するわけにはいけない。形を変えて表現しなければならない。そこで、久しぶりに出勤し、編集長にだけ話した。留三の死は、殺人ではなく事故という形だ。
最初は疑いの目で見られた。精神不安定で休業中だから仕方がない。
しかし、熱心に説明すると、もともとものわかりのいい編集長は、
「それ大スクープだよ」と喜んでくれた。「だけど、新聞記者が密入国者を亡くなった旦那さんに成りすませ、事故死を隠蔽してたなんて、そのまま記事にはできない。形を変えて伝えないといけない。それに、ここまでインパクトがあると、僕一人の判断じゃ決められないから、上と話しあってからということになる」
真美にはどういう形にしろ、自分の発見した事実が世間に伝わるならよかった。
気分よく、会社を後にした。その夜はよく眠れた。しかし、再び目覚めることはなかった。
先祖の関係で消滅したわけではない。彼女の勤める新聞社によって、口封じに始末されたのだ。
明治の人間をこちらに招いて殺害すれば、子孫は安心して暮らせる。しかし、そのことを明治側に知られると、こちらに来なくなる。
警察の見立てでは自殺ということにされた。すでに、国土交換構想をマスコミの一部はかぎつけていた。この発見は国土交換にとって強力な後押しになる。政府上層部以外に知られてはいけない極秘事項だ。
だが、一般大衆にそのうちに気づかれるかもしれない。だから、一刻も早く国土交換を進めなければいけない。新聞社は政府に報告した。
すべての現日本人を明治列島に、明治人を日本列島に移住させる。国土交換は、現況を打開するため残された唯一の手段だった。
日本人にとっては、これまでの不動産を失い、インフラの整っていない土地に移住することになる。おいそれと国民が納得するとは思えない。それでも、首相の金田は、嘘を吐いてでも強行する決意を固めていた。
日本国民の理解を得たとしても、有利な立場にある明治政府が受け入れるとは思えない。明治側の考えでは、黙っていても時間が経てば、日本列島を手にいれることができる。その甘い見込みを覆せばいい。今の日本列島を移民に明け渡すといって明治政府を脅すのだ。元在日の自分が国のトップになっていることは、強力な説得力を持つ。
すでに、外国人参政権を認め、官僚、教員、警官などの公務員に、日本国籍を持たない在日外国人の採用が可能となった。消えた議員や官僚の欠員分には、わざと外国人を採用した。国民は批判したが、明治政府に対する交渉カードが必要だった。
そして、いよいよ両国首脳による歴史的な会談が行われようとしていた。
日本側は国土交換を提案する予定だ。インフラの整った国土をそのままいただけるのだから、明治にとって願ってもない話だ。だが、明治側は急ごうとはしなかった。時間が経てば経つほど、明治にとって有利だからだ。自国を差し出さずとも、日本国民さえ消し去れば濡れ手に粟なのだ。そう、伊藤は考えた。
不利な状況にある金田は、さほど緊張している様子はなく、笑顔を浮かべて、握手の手を差し出してきた。 相手はついこの間まで在日韓国人だった男だ。
伊藤は、征韓論を主張する西郷隆盛を退け、それが原因で西南戦争が起きた。ハルビン駅で韓国人に暗殺されたが、韓国併合に反対するなど伊藤は親韓家だった。
金田は予想外の手を繰り出してきた。このままだと日本列島には外国人ばかりになると言う。
「今の日本人がいなくなっても、私のように先祖が外国人だった移民の子孫が残ります。ですからあなたがた大日本帝国は、我が国を手にいれることはできないのです」
日本政府が、大量の移民を受け入れる方針を発表したのは聞いている。
しかし、伊藤は、
「そのような状況では、国としてまとまらない。従って、第二日本列島は、我が大日本帝国が治める必要がある」と反論した。
「そうはさせません。少なくとも、私は政治家として日本列島に残ります。あなた方が強引に支配をたくらんでも、残った日本人と移民の力で、あなたがたを追い払います。移民の出身国も我々に協力してくれるはずです」
明治政府の突きつけた要求は、日本国の属領化だった。大日本帝国領第二日本国として、明治政府が派遣する提督をトップにすえ、明治政府がコントロールする。
金田は自国のデータ資料を見せた。
「すでに議員や官僚の一割以上が外国人です。この割合はこれから増え続けます。私自身も日本国籍をとる前は在日外国人でした」
両陣営とも主張を譲らず、会談はなかなかまとまらなかった。
長時間に及ぶ会談の結果、日本国が大日本帝国に間借りする代わりに、国土である日本列島を大日本帝国に差し出す形になった。
といっても、日本列島は日本国の領土である。残念ながら日本国民は、自国にいることが危険なので、実質的な利用者は大日本帝国臣民となる。
交渉が長引けば長引くほど、消失の被害者が増えるので、かなり不利な条件を受け入れざるをえなかった。日本国民の反発は強く、一部メディアなどは絶対に移住しないと主張した。しかし、現実問題として、知人が消えたことを知った人間は、すぐにでも移住しないとまずいと危機感を募らせていた。
早速、日本列島から明治列島への民族大移動が始まった。
明治側からも、数百万人が人であふれかえる明治列島を離れ、住宅、電気、水道、道路、インタネーット、電話などのインフラが整う新天地に移住した。
日本の高齢者の多くは、住み慣れた土地を離れたいとは思わなかった。子供や孫が移住するので、仕方なくついていく場合もあるが、どうせ残り少ないのだから、このまま移住せずにすごすことを望んでいた。病気で苦しんで死ぬより、一瞬で消え去るほうが楽という理由もある。
彼らの暮らしを支えるのは、明治からの移住者だったが、自分達のほうが年上なのに、相手のほうが先に生まれているので、対応が微妙になった。
連れ合いを亡くした緑の父親は、明治列島に渡ることにあまり乗り気ではない。
「俺、こっちで消えてもいいよ。苦しまずに死ねるんだから、むしろそうしたいくらいだ」
「それならもっと歳をとってから、こちらに戻ればいいじゃないの?」
「まあ、そうだけど。向こうは相当、遅れてるんだろう? 暮らしていけるのかな」
「今のままだときついと思うけど、すごい勢いで進歩してるから、十年もすればほとんどこっちと差がなくなると思う」
五十代の父は、余命を考えると、行かざるをえないだろう。勤め先も会社ごと移動と決まった(ただし、事業は当面休業)ので、緑と父は、明治に引っ越しを決めた。
役所から届いた案内に、移住希望者の指名などを書いて返送した。そこには説明会が開催されると記されていたので、参加した。
当然、いくつかの決まりはある。
向こうの住宅が不足しているので、とりあえずは避難所のような場所に住むこと。
輸送手段が限られているので、荷物は最小限に留めること。寝具なども現地で調達できるようにするので、旅行程度の内容で。
自動車は現時点では、持っていけない。自転車もしばらくはやめてほしい。
準備ができ次第、連絡することと言われた。早いほうがいいと思い、翌週には手続きをした。緑達はフェリーで出発した。
東京市は移住者で混雑していた。仮設住宅の建設はこれからで、移住者用仮住居は、テントだった。食糧はおにぎりかパン。並んで受け取る。
「もっとゆっくりすればよかったな」
父親は後悔した。
「命があるだけましよ」と緑は言った。命か快適な生活かを選べと問われたら、誰もが命と答えるだろう。
緑は、鈴乃屋に挨拶にいった。まだ、いちという女性は現れていなかった。二ヶ月後には結婚しているのでおかしいと思ったが、遥香の一家も移住するので、それほど心配はしなかった。
緑達は早めにこちらに来たので、入居する住宅も早く決まった。住居の振り分けは役所の仕事だったが、行政の人手不足と失業者の数が多いので、主にボランティアの手で行われた。場所は神奈川県管下の北多摩郡の、今でいう東京都府中市辺りだ。
住居となる家は、平屋建ての農家で、築何年かわからないそうだ。そこそこ広いが、緑達だけでなく、三家族が同居する。贅沢は言ってられない。
それでも東京近郊なのは、運がいいのかもしれない。明治政府は、日本の現状を見て、都会に人口を集中させるのを避け、集合住宅は地方を優先して建てられている。もちろん、日本政府の予算を使うのだが、日本側は文句を言える筋合いではない。
甲州街道に近いので、移動は比較的楽だと聞いていたが、鉄道もまともな道路もないので、そこに着くまでが一苦労だった。
着いてみると、古民家のイメージとはほど遠いボロ屋で、修繕が必要に思われた。生活に困窮していない自作農が、先祖伝来の土地を手放すのだ。不動産価値が低くて当たり前だった。
風呂はあったが、薪を割って沸かす必要がある。電気、水道、ガスはもちろん、扇風機、水洗トイレ、洗濯機、テレビ、自動車、自転車など、快適な生活に必要なものは何ひとつなかった。
「こんなところに十人が住むのか。やってられんな。こっちもしばらくすれば、どんどん新しい家が建つだろう。とりあえず、一度帰ろうか」
と、父親は嘆いたが、移住便も大混雑しているので、戻るのも一苦労だ。
最初は緑と父の二人だけだったが、すぐに他の家族も引っ越してきた。共有部分を設けたが、どの部屋をどの家が使うかで多少揉めた。早くここを出て、もっとましなところに住みたいと誰もが思ったが、収入が絶え、補助金頼みなので、我慢するしかなかった。
一方、緑が越すことになった住宅と先祖伝来の畑を売り払った農家の一家は、日本列島の群馬県に引っ越した。日本政府から手に入れた金で、以前より大きな耕作地と耕運機、二階建ての家を手に入れた。
前の住人はもう明治列島に渡る準備をしていて、近くのホテルに泊まっていた。それが、ご主人がわざわざ来てくれて、トラクターの使い方などを教わった。エアコンやウォシュレットにどぎもを抜かし、照明や、ガス、水道が珍しいので、無駄な使い方をしたが、光熱費という概念が無かったから仕方がない。
農協にも挨拶に行った。この辺りは高齢者が多く、そのまま居残るケースが多いということだ。一家は子供も多く、平均年齢が若いので歓迎された。子供たちは地域の学校に通う。授業の水準が高いので、大変だ。しかし、他の子供達は出来るだけ早いうちに明治列島に渡ると聞いて、寂しい思いをすることになった。
最初のうちは何かと戸惑ったが、全体的な暮らしぶりは上がった。向こうにいる知人や親戚にこのことを伝えたいが、今は連絡をとるのも困難だ。
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