第6話

 次の日、緑が充電器を持って店を訪れると、佐吉に携帯を売って欲しいと言われた。さすがにそれは困るので、断ってすぐに店を出た。

 戻る途中、彼のニーズなら携帯ではなくても、音楽プレーヤーで充分と考えた。そのほうが安い。そこで、遥香にそのことを話した。

「なんで私がおじいちゃんのおじいちゃんに、そんなもの買わなきゃいけないの」

「あなたが生きていられるのもご先祖のおかげでしょう? 先祖孝行だと思って」

「変に関わって、結婚相手が変わったらどうするのよ」

 明治の人間に現代人が関わり、恋愛や結婚観を変えてしまう。その結果、子孫がいなくなる。そんなことは考えても見なかったが、遥香の言うことも一理あるように思えた。

「そうね。ラブソングとか聞かせないほうがいいかも」と緑は言ったが、もう遅かった。

 音楽を聴いている間、佐吉の頭の中には緑がいた。


 佐吉ばかりにかまっていられない。

 結婚ボランティアは戸籍の住所から訪問先を特定するのだが、街の様子が今と違うのでわかりにくい。訪問先が見つかっても、必ずといっていいほど怪しまれる。明治政府から活動を認められていても、あくまでボランティアなので強制する権利はない。許可証を見せても、身内のことを赤の他人、しかもついこの間まで敵だった国の人間に明かすのは、相手にとって抵抗が大きい。

 結婚が順調に行われる予定の場合でも、追い払われるケースが多く、一度の訪問でうまくいくとは限らない。

 急激な社会の変化で、結婚を先延ばしにしたり、破談になる場合もあり、その場合、戸籍通りに結婚を進めるのは、相当に困難で、何組かは諦めなければならなかった。それで、ボランティア達の士気も下がり気味だ。


 一緒に行動している吉本も、自分のしていることに疑問を持つようになっていた。

「これ、ずっと続けるのかな。だけど、いくらこっちが張り切っても、本当の明治時代じゃないんだから、そのうち恋愛や結婚の自由が当たり前になって、こっちの言うこと聞かなくなるって。こっちは人命救助のボランティアのつもりでも、向こうからすると、結婚を強制されるんだから、人権を無視されてることだよ」

 と緑に言った。

「このボランティア自体が無意味と言うの?」

「問題をちょっと先送りするだけで、全然解決策になっていないということ」

「じゃあ、あなたは自分が消えてもいいの?」

「俺だって消えたくはないよ。だけど、どうにもならないって。考えてみろよ。彼らからすると、別の時代に来たんだから、このままずっと戸籍通りの結婚が行われるなんてありえないだろう」


 彼の言うことはもっともで、緑は反論できなかった。いくら自分達が今がんばっても、数年もすれば、戸籍通りの結婚はかなり減るはずだ。

「こんなことで残り少ない人生を無駄にするより、俺は別の生き方を選ぶよ」

 彼はそう言った。それはまさに、治療をあきらめた重病人の言葉だった。

「次はボランティアに来ないつもり?」

 と聞くと、彼はうなずいた。

「三ヶ月後に消えても後悔しないように、一瞬一瞬を大切にするよ」

 そう言われると吉本が格好よく見えた。


 一時帰国する直前、緑は再び佐吉のところを訪れた。いやがる遥香を説き伏せて、無理矢理連れていった。お互いに身内という実感がわかないようだったが、遥香が店の商品を口にして、「なんとなく似てる」と言うと、「味だと負けてるかな」といって佐吉は謙遜した。「馬鹿言うな」と父親は怒った。

 遥香は、実家に持ち帰るために大量に菓子を買っていった。お金はいらないと言われたが、きっちり払っておいた。

 肝心の相手の女性のほうは、まだ現れていない。佐吉はつき合ってる女性もいないので、相手方の事情が変わった可能性が高いと、緑は考えた。

 店を出た後、「ご先祖に会った感想はどう?」と遥香に聞いた。

「そんな感じしない。普通に買い物に来たって感じ。それより、あの人……あの人って言い方おかしいか、私の先祖だもの。あのお方は、緑に気があるんじゃないの?」

「え~? 冗談やめてよ」そんなことは考えてもみなかった。「下手したら、遥香、生まれなくなっちゃう」

「冗談だって」

 遥香は笑った。



 日本側の弱点を知った明治政府は、かなり優位な立場にあった。彼らは、虎視眈々と第二日本を手に入れる機会を窺っていた。表向き、結婚ボランティアの活動を認めてはいたが、本心はその逆だった。

 すでに戸籍データも入手した。こちらは逆に戸籍の相手と結婚しないよう手を打つ。すると偽日本人は消え失せ、北の列島がまるまる手に入る寸法になる。

 それには正しい手順を踏む必要がある。こちらの狙いがばれないように、相手に与えるダメージが大きいケースから始める。

 まずはあのボンクラ宰相からだ。彼の家系はとっくに調べがついている。伊藤は、先祖に当たる銀行家を呼び出し、長男の婚約を破棄することを命じた。翌日、現内閣総理大臣榊原修吾の姿はどこへともなく消えた。彼だけでなく、名門一族の大半がいなくなった。

 相手の奥の手を知った日本の権力者達は、ターゲットになることを避けるため、政治家を辞任する者が後を絶たなかった。後任はなかなか決まらず、政治的空白が続いた。


 大日本帝国にとって、子孫の地日本国併合は国策となった。海外からの投資を受け入れる条件が、併合を認めることだった。加えて、国連や各国への根回しが聞いて、十分実現可能な計画となっていた。

 婚姻を調整して子孫を根絶やしにすれば、戦わずして北の列島が手に入る。それは、国土が倍になるということだ。いや本国は今のままで、北側は属領という形にする。それでこそ帝国といえる。



 一ヶ月間のボランティア活動をすませ、緑は一時帰国した。ボランティア達は全員、無事帰国できたことを喜んだ。それは危険な任務をこなしたということではなく、ボランティア中に消えた人間がいなかったからだ。

 次回の出発は一週間後。帰国して感じたのは、同じ日本といえど、明治はやはり別の国という思いだ。現代に戻るだけでこんなに、ほっとするものかとあらためて思った。


 しかし、玄関のドアを開けると、父の様子が変だった。

「緑? 本当に緑なのか」と、腰を抜かさんばかりに驚いている。

「当たり前でしょ。髪型が明治仕様だけど、出ていくときに見てるからわかるでしょう」

「なんでおまえがいるんだ?」

「何言ってるの?」

 母はどこかへでかけているのか、家にいなかった。

「お母さんは?」

「死んだよ」

「え? どういうこと? どこか悪かったの?」

「消えたんだよ。俺の目の前で」

「それおかしいよ。だって私ぴんぴんしてるんだから。ひょっとして私、捨て子?」

「馬鹿いうなよ。間違いなく、母さんが産んだ子だよ。俺の子供かどうかは知らないが」

 こんなときに冗談を言う父を批判できなかった。

「何で、教えてくれなかったの?」

 電話は通じないが、重要な知らせなら行政経由で送ることができる。

「だって、おまえもいなくなってると思ったから、連絡なんかするわけないだろ」

 と、父は涙ながらに理由をいった。彼の言い分ももっともだ。産みの親である母が亡くなったのに、どうして自分は今ここにいるのだろう。

「これって、先祖が死んでも、明治列島にいる限りは消滅しないってことじゃない?」

 父に問いかけても、

「よかった。よかった。おまえだけでも生きていてくれて」と言うばかりだった。


 それから、すぐ遥香のところに行った。同じ屋号の店なのに、昔のものとはまるで別物だ。

 母親が消えたというと、彼女は不思議そうな表情を浮かべた。

「嘘、おばさんが消えたんなら、緑がここにいるわけないもの」

「それがどうも、向こうにいると、明治時代の人間って神様だか宇宙が判断して、先祖に何があろうと関係ないみたい」

「それ、本当? からかってないよね」

「私、ついさっきまで泣いてたんだよ」

「本当だ。目が赤い。本当ならご愁傷様かしら」

「お気遣いなく」

「もし、それ本当なら、みんなであっちに行けば助かるってことだよね」

「消えるってことはなくなると思う。だけど、遥香も行ったからわかってると思うけど、むこうで暮らすの大変でしょう? 私たちはほぼ東京だからまだましだけど、いきなり田舎で暮らせと言われても」

「命には代えられないよ。早く移住したほうがいい。相談センターに言わないと」


 明治列島にいる限り、明治の人間と判断され、明治時代の先祖が亡くなろうと、死ぬことはない。緑はそう考え、人材喪失相談センターに伝えた。この大発見は、政府首脳まですぐに知れ渡り、確認のため実験が行われた。子孫の少ない明治の人間を見つけだし、結婚ボランティアを名目に子孫を明治列島に移した後、殺害した。それで緑の説が立証された。



「政治家になる目的で帰化した男ですよ。ついこの間まで、韓国籍だったんですよ」

「彼は在日三代目で、ずっと日本で暮らして、日本語しか話せない。先祖が明治の日本にいなかった彼なら、消滅することなく、総理の任期を全うできる」

 与党議員の間でそんな会話が交わされた結果、金田洋一という新人議員が総理の座についた。普通なら考えられないが、明治側の婚姻変更策で消されてしまうことがない。金田内閣は、総理だけでなく、主要ポストに在日外国人を置くことで明治側の攻撃に対応した。その一方で、積極的に明治と交渉する、対明治融和策を打ち出した。



 緑にとって二回目の明治列島訪問の時がきた。母親を失ったことで、何が何でもやりとげないといえないという使命感に満ちていた。前回同様、遥香も一緒だ。明治列島にいる限り、消滅することがない。前回と同じ地区なので、拠点も同じ。

 班長から吉本とは、連絡がつかないと言われた。アパートに出向き、大家に鍵を開けてもらうと、テレビが点いたままだったそうだ。たぶん、消えていると結論づけられて、ショックだった。

 残り少ない人生を充実させるとは、テレビを観ることだったのだろうか。


 荷物を運び終えると、もう時間も遅く、その日の訪問はないことになったので、彼女は遥香を連れて、鈴乃屋に向かった。

 店に着いた。緑はもう慣れていたが、遥香はまだ緊張している。前回は手ぶらで訪ねたが、今回は土産物を用意していた。携帯の代わりに、音楽プレーヤー。動画も再生できる。それにソーラー充電器。他に、現代の菓子を用意した。

 実は現鈴乃屋の菓子を持参しようとしたが、遥香の父から、ご先祖に出せるようなものじゃないと断られた。そこで、近所で購入した洋菓子を持っていった。日持ちのいい、土産物用のマデラケーキ二十個入り。マデラ酒という洋酒入りだ。

 明治中期は、日本に洋菓子店が登場しはじめた頃だった。明治列島でも都心にいけば、外国資本の店がいくつかオープンしているようだが、ここ下町では見かけない。佐吉もこれまで一度も口にしたことがないと言う。


 どうやって食べていいのかわからないと言われ、そのまま口にいれるだけ、と答えたが、パック入りドリップコーヒーも持ってきたので、目の前で説明する必要があると思い、居間に向かった。

佐吉の両親も注目している。

 湯を用意してもらい、湯飲みにコーヒーを淹れる。

「お砂糖入れますか?」

 と聞いたが、分量がわからないようなので、適当にしておいた。

 包装紙をはずし、箱を開封する。ひとつひとつが透明な袋に入っているのが珍しいようだ。

 佐吉も両親も、興味津々といった表情で見つめている。

 まず、佐吉から。

 遥香は袋から出し、高祖父に渡した。

 佐吉は一口噛んだ。

「これが洋菓子か」

 初めての味に衝撃を受けているようだ。

 頑固職人の父親も、ケーキの味を認めたが、コーヒーの苦みはきつかったようだ。

 試食が終わり、肝心の婚約者の話を伺うと、まだ現れていないという。


 その夜、床に就いた佐吉は、洋菓子職人になる考えが浮かんだ。

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