第5話
芥川緑は、女性結婚ボランティアだ。葛飾区にある実家から都内の女子大に通っていたが、世の中の混乱で学校どころではなく、ボランティアに応募した。危険きわまりない明治の土地を踏むことに両親は反対したが、こちらでぼうっとしていても、いつ消え失せるかわからないといって説得した。芥川竜之介の子孫ではないが、明治二十年の段階では、まだ文豪は生まれていないので、会いにいくこともない。
彼女は、近所に住む幼なじみ鈴木遥香と一緒にボランティアに応募した。遥香は明治時代から続く老舗和菓子店鈴乃屋の長女で店の手伝いをしている。明治二十一年の春に高祖父の佐吉が、いちという女性と結婚することになっている。そのこともあってボランティアになった。当時の戸籍は手書きで読みづらく、名前以外は判読できなかった。
ボランティアの担当地区は、基本今自分の住んでいる地域だ。ついこの間戦争を行ったばかりの相手なので、安全のためチーム行動をとる。服装は一目でボランティアとわかるよう、かつ怪しまれないよう、和服仕様の制服を用意している。男性は短髪にするだけでいいが、女性は髪を結うことになった。東京周辺は海外文化が一気に入ってきており、そこまでしなくても問題ないようだが、全国統一の仕様なので仕方がない。
明治側の行政は承知済みだが、庶民まで通達を完全に回すのは難しいので、訪問先でいちいち事情を説明しなけばいけない。できるだけ今の子孫からの手紙などを持っていき、相手の理解を得るようにする。当然、トラブルも予想される。危険な任務だが早めに手を打っておかないと、とんでもないことになる。
明治十九年に戸籍の形式が近代的なものに変わったが、明治二十年の時点では役場によっては戸籍をとっていなかったり、その後廃棄したり、火災で燃えたりして、すべてが揃っているわけではない。それでも、やらないよりはましなので、残っている婚姻記録をもとに、きちんと結婚が成立しているか確認する。
それだけでなく、予定外の新規カップルが誕生するケースも想定されていて、戸籍に乗っていない婚姻が発生していないか調査し、見つけ次第阻止することも忘れてはいけない。今住んでいる地区を受け持つといっても、百年以上前なので、土地勘はあまり当てにできない。
東京東部チームは、東京湾からフェリーで出発し、船内で睡眠をとった。一緒に向かうボランティアの人数は百人を超えているが、十班に分かれて行動する。電話網がないなど、日本と連絡をとるのが難しいので、あまり長くはいられず、一ヶ月したら一旦引き上げる予定だ。
翌日。到着して驚いたのは、大勢の外国人がいたことだ。それも学者や技師だけでなく、外国企業が連れてきた労働者が、雇われ日本人に混じって、インフラ工事に従事していた。
「この調子でいくと、すぐに明治に抜かれるかも」
緑がそう言っても、遥香は「まさか」と笑うだけだった。
緑の配属先葛飾区B班は十三名で、三軒の空き屋を借りて、そこを拠点に活動する。当時は、東京府南葛飾郡だった。班長は一昨日からこちらに来ていた。本業は区役所の職員で、明治政府による活動許可証のコピーを全員に配った。
緑の班は、四チームに別れて訪問をする。彼女のチームは、遥香と吉本という25歳の男性の三人。吉本は飲食店の店員で独身。女性だけでは危険と考えての組み合わせだ。
荷物を運び終えると、もう午後だった。少しでも件数をこなしたいので、訪問を開始した。最初に訪れたのは、拠点の近くに住む畳職人で、そこの息子の結婚が迫っていたはずだが、父親に聞くと、知ったこっちゃないと激怒された。それでも、
「せがれなら、いま、ウメの湯に言ってるよ」と教えられ、近くの銭湯に行った。
番台は、江戸時代に江戸で生まれた江戸っ子だった。
「今湯に浸かっているよ。お代はいいから、入っていきな」と言われた。
相手は男湯にいるはずなので、吉本が入浴することになった。
その間彼女達は銭湯の客や通行人に、「この近くで、祝言のご予定はありませんか」などと聞いたが、記録にあるものばかりで安心した。戸籍記録にない新規のものなら、破談に追いやる必要がある。
吉本は、探していた男性と一緒に出てきた。
結婚は訳ありだった。
相手の女性は、落ちぶれたとはいえ由緒ある家柄の娘で、身分違いから、駆け落ちを考えているとのこと。明治十九年式の戸籍ではそこまでの事情はわからない。娘の両親は問題ないのだが、昔気質の畳職人の父親がうんとはいわない。
それで四人で、父親の説得にあたることになった。
「他人様には関係ない。帰ってくれ」と言われたが、
「結婚してくれないと困る人が出るんです」と、緑は訴えた。
「赤の他人のことなんか知ったこっちゃねえや」
「あなたのお孫さんやその子供もそのまた子供も生まれなくなるんです」
「俺に孫なんかいるわけねえじゃねえか」と父親は怒った。
父親は、今世の中で何が起きているのか、よくわかってないようだ。
国ごと未来の世界に来たと説明しても、信じようとしなかった。それで、三名のボランティアは「とっとと帰れ」と言われ、追い払われた。
「ああ、疲れた。無報酬で、なんでこんなことしなけりゃいけないんだ」
自分から志望した仕事だが、吉本は文句を言った。以前はロン毛の茶髪だったが、今は短く刈り上げ、着流しに兵児帯という服装だ。
「あそこはあきらめて、次、行こうよ」と遥香は言った。携帯にダウンロードした古地図のデータを見て、訪問先を調べている。「ああ、わかりにくい。この辺って空襲とかあったの?」
「百三十年も経てば、街の様子も変わるよ」
吉本はそう言って、空を見上げた。「ああ、タバコ吸いてえ。誰か一本持ってないかな?」
「この頃は高級品だと思うよ」と遥香。
「でも、東京は外国からいろんなものが入ってきてるんだろう?」
「東京といったって、葛飾は東京市ではなく、この辺も村扱い。そうだ、遥香。他行く前に、ご先祖のところに寄ってみる?」と緑は提案した。
「え~? 今はちょっと」
「とりあえず、今日はこれで終わり。もう戻ろうよ」
吉本はそう言って、歩きだした。
拠点に戻ると、他のチームの男性が疲れた様子で、畳の上に寝ころんでいた。訪問先であまりいい顔をされなかったようで、「早く帰りたい」などとぶつぶつ言っていた。
食事をすませたとき、緑達のもとへ畳屋の息子が訪れ、おかげさまで父親が結婚を認めてくれたと報告した。
翌日も、昨日の畳職人の家の近くを回る。緑達に感謝した畳屋の息子が、いろいろと協力してくれたので、随分はかどった。
午後四時頃、もう一軒回ろうか、明日にしようか思案していたとき、緑は、
「今から、遥香の家に行ってみない?」と切り出した。
「え~? 今から?」
遥香は先祖に会うことに戸惑っている。
「それ、まだ先のことだろう?」
地方から上京した吉本には、自分の先祖を優先的に扱おうという態度が気にくわない。「俺も、熊本のボランティアに行けばよかった」
「ボランティアというより、お菓子買いにいったついでということにして」
という緑の言葉で、彼も納得した。
「コンビニの一軒もないし。甘いモノくらい食べないとな」
「本当に行くの?」
遥香は決断できない。
それで、緑と吉本の二人だけで行くことにした。
携帯に地図データを入れてあるので、それを頼りに探す。もちろん、GPSは使えない。
「今と同じ場所のはずなんだけど」
百三十年の時の流れは、別の町にいるようだった。
「いきなり行くと、追い返されるかもな」
と吉本は言った。畳職人の協力がなければ、今日も大変だったはずだ。
「おそらく、この辺りが今、私が住んでいる場所。ということは……あ、あそこじゃない?」
緑は、道の右側を指さした。
和菓子店は、緑の見知った立方体の建物ではなかった。瓦屋根でガラス戸などなく、暖簾は大きく立派だが、全体にこぢんまりとしている。この建物は大正時代に震災で倒壊した。その後、再建したが、昭和六十年頃にまた建て直した。
「すいません」といって店に入ると、中年女性が店番をしていた。従業員なのか、遥香の先祖なのかわからなかった。
今日ではガラスケースに陳列しているが、ここでは箱の中に商品が並べてある。創業時からの名物と聞いていたくず餅が売られてなかったのは、少しショックだった。
まず普通に客として、饅頭を買った。代金を払い終えると、
「私、芥川と申します。あの、私たち、今のニッポン、じゃなくて、北の国から来ました」
北の国という表現はおかしいが、女性はすぐ理解した。東京市近郊は情報が豊富なのだろう。
「向こうの国のお方ですね」
向こうの国という表現もおかしい。
「はい。実は、私の知り合いが、ここの若旦那さんのお孫さんのそのまたお孫さんにあたりまして、それで、ここの若旦那さんと少しお話ししたいんですけど」
「お待ちください」
女性は奥に引っ込んだ。しばらくして、
「手前ですが」といって、作務衣姿の青年が出てきた。数えで二十五になる素直そうな青年だ。
緑が事情を説明すると、怪訝な顔をされた。
「本当ですか?」と言って、信じようとはしない。
そこで証拠として、携帯で遥香の写真を見せた。カラー写真の噂くらい聞いているのだろうが、小さな機械に鮮明な写真が表示されるのを見て衝撃を受けているようだ。
魔法使いにでも会った感じなのだろう。
「この女の人が、孫の孫ですか……」
まだ子供もいない若者に孫の孫の存在は、しっくりこないのだろう。面倒なのですぐ近くに来ていることは黙っておいた。
少しは信用したようなので、「ご結婚のほうは、まだですよね」と尋ねた。
「ええ」
「ご予定は?」
「ありません」
翌年のことなので、まだ相手は現れていないようだ。
「来るのが早かったな」と吉本は言った。
緑は、未来の配偶者について知らせていいか躊躇したが、
「こちらで戸籍を調べたら、来年、いちさんという方とご結婚なさるみたいですけど、お心当たりはありませんか?」と明かしてしまった。
佐吉は首を傾げた。
「いち? 知らないです」
「そうですか。また来ると思いますので、そのときもよろしく願います。お孫さんのお孫さんにはよろしく伝えておきます」
そう言って店を出ようとすると、佐吉はもう一度携帯を見せて欲しいと言ってきた。緑は言われた通りにした。
「それさ~、スクロールして。スクロールわかんない? 指動かすの。あ、出た、出た。凄いでしょ」
同世代の吉本が、馴れ馴れしく、かつ自慢げに機能を説明すると、さらに興味を示し、
「また来るんだったら、それ、ちょっと貸りられないかな」と言ってきた。代わりに、
「好きなだけ菓子持っていっていっていいから」と言われた。
「貸してあげたら」
吉本は人ごとのように言った。
「え? 私が?」
赤の他人の自分ではなく、子孫の遥香が貸すべきだと、緑は思った。だが、あの様子だと彼女は拒否するだろう。
「俺も持ってるから、別に困ることないよ。メールが使えるわけじゃないし」
ここでの携帯は、電波が通じないので、小型で性能の低いノートパソコンだった。
「どうしようかな」
数万円もする精密機械だ。
「貸してもすぐに電池切れるし」
緑は迷った。
「またソーラー充電器持って来ればいいよ。それに壊れたら、あの子に弁償してもらえばいいし」
吉本にそう言われ、無碍に断るのもあれなので、緑は見られたくないデータを削除し、佐吉に渡した。肝心の通話、メール機能は使えないので、動画、音楽の再生方法を教えておいた。かなりの数の曲が入っているので、当分、退屈はしないだろう。
水に濡らさないことと、落とさないこと、近いうちに充電器を持ってくると告げ、店を出た。
緑たちが帰った後も、佐吉は、まだ夢心地でいた。
仕事の合間に、彼女が貸してくれた未来の機械を、手にとってみる。使い方を聞いたが、自分ひとりで、操作できるか不安だった。
動画を再生した。
さきほどの女性が映っているが、髪も長く、服装は、西洋人のようだ。
他に数人の女性がいて、彼女を囲んでいる。
白い桶を逆さにしたようなものに何本も蝋燭を立てている。
「ハッピーバスデーツーユー」
歌を歌っているが、意味がわからない。
彼女は蝋燭の火を吹き消した。
動画は終わった。一体、何だったのだろう。
宗教の儀式のようで、気味が悪かった。
その一方で、女性としての魅力を感じていた。
この機械で歌が聴けると聞いている。教えられた通りに操作すると、再生リスト一覧が表示された。
アーティストやジャンルの名前が並んでいるが、何ひとつわからない。とりあえず、「お気に入り」を選択した。緑のお気に入りはフォーク系だった。佐吉は、歌詞の意味もよくわからなかったが、切ないメロディーを聞いていると、この機械を貸してくれた女性のことが頭に浮かんだ。
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