第4話

 真美の父親は、娘婿や孫が消えてからというもの鬱気味だった。さらに妻と二人の娘を失い、ひとりぼっちになった。どうにかして、娘達をとりもどすことがきないか真剣に考えていた。

 何故、結婚式の最中に、妻と娘が消えたのだろう。


 彼は、留三と明治二十三年に結婚するはずだった糸という女性のことが気になった。娘が留三と結婚したことで、その女性は留三と結婚しないことになる。当時の女性が一生結婚しないとは考えにくい。誰か他の相手と結婚したと考えられる。その相手の男性が誰なのか現時点ではわからないが、その男性が本来結婚すべき女性との間の子供が生まれないことが推測できる。その子供が、真美の母、つまり自分の妻の先祖に当たる人物だったら、説明がつく。

 なんということだ。これでは、明治の人間が戸籍通りの相手と結婚しないと、今の日本人が誕生しないことになる。

 それで、終戦後も消滅する日本人が後を絶たなかったのだ。このままだと、どんどん減り続けていくしかない。彼は、人材喪失相談センターに報告した。


 日本側としては戸籍データを使い、本来結婚すべき相手と結ばれるようにしなければならない。日本政府は、明治政府に事情を話し、敗戦国は結婚ボランティアの受け入れを認めた。それは、明治政府からすれば、相手の弱みをつかんだことになる。


 留三は、真美と結婚しなければ、彼女が消えずに済んだと思い、自分を責めた。そのうち、今からでも自分が本来結婚すべき相手と結婚すれば、真美は蘇ると考えるようになった。そこで、能登に戻り、明治二十三年に結婚する予定の相手を捜した。

 相手は港の花街にいた。最近、こちらに来たばかりなので、これまで知らなかったのだ。彼は明治二十三年を予定に婚約を交わした。そして日本に行くと、真美は普通に暮らしていた。


 彼は素直に喜んだ。

「よかった。生き返ったんだ」

 真美は留三の姿を見て驚いた。

「留三さん、帰ってきた。いままでどうしてたの?」

 彼女は、自分の身に何が起きたのか理解できていなかった。彼女の記憶では、留三と結婚式をあげていたはずだが、気が付くと自宅にいる。留三はいない。結婚式は夢だったのか。伊豆の親戚に連絡をとると、自分が式の最中に消えて、留三は国に帰ったと聞かされた。それで、彼女のほうから、福浦を訪ねようと考えていたところに、留三が戻ってきたという。


 留三は、自分のとった行動を説明した。

「私がいなくなったから、糸さんと婚約したと言うの?」

 彼女にとっては、結婚したばかりの相手が、他の女性と結婚したことになり、相当のショックだった。

「そうじゃなくて、真美さんに戻ってきてもらいたくて、糸と祝言あげることにしたんだ」

「じゃあ、私との結婚はどうなるの? あなた、佐藤靖として生きるんじゃなかった」

「残念だけど、俺と真美さんは結婚できない」

 留三はきっぱりと言い切った。

「そんな、あんまりよ」

 彼女は泣き出した。

「泣きたければ泣けばいい。いくら泣いてもどうしようもない」

 女が泣いたくらいで、明治の男は動揺しない。


 その夜は、留三はこちらに泊まった。別々の部屋に寝た。長くいると、気持ちが変わるかもしれないので、明日、地元に帰るという。真美は、ひとりになって冷静に考えた。留三の言ってることは正しい。彼が自分と結婚すると自分は存在しない。いや、彼が糸さん以外の女性と結婚すると、自分は存在しない。自分だけでなく、先祖の多くもいなかったことになる。自分のわがままで、大勢の人生を奪うことは許されない。

 彼と別れる以外の選択枝はない。


 二人は、別れの記念に旅をすることにした。彼女は、留三に、

「せっかくこちらに来たんだから、今の福浦に行ってみない?」と提案した。

「そうだな。古里がどうなってるか、一度見てみるのも面白そうだ」

 北陸新幹線で、金沢まで行き、そこで一泊した。

 そこから現在の福浦港を訪れる。明治時代と地形は変わらないが、道路にはアスファルトが敷かれ、あちこちに電柱が立っている。


「あれが、新しい灯台か」

 留三は、新灯台を見て言った。

「古い灯台もまだ建ってるから」

 上陸し、海岸沿いの道路を歩く。

「家も全部変わってるな」

 留三は感慨深い声を出した。

 明治32年の大火事で街は焼けた。火事がなくても、明治中期では昔すぎて家屋は残っていないはずだ。

 名字は岩田ではないが、留三の血を引く子孫の家を訪れた。事前に連絡を入れていないので、かなり驚かれたが、貴重な経験が出来たと感謝された。

 それから、旧福浦灯台に向かった。周囲は畑になっている。


 つい先日、明治列島側の同じ場所を訪ねたが、そのときは船長もいて、式こそ挙げていないが結婚した気分でいた。今回は、二人だけで、しかも別れの記念に来た。


「世界一長いベンチ見にいかない?」

 真美は言った。

「ベンチ?」

「椅子のこと」

「椅子が長いってどういうこと?」

「行けばわかる」

 二人は、タクシーを拾い、海岸沿いを北に進み増穂浦海岸で降りた。

 出来た当初は一本のベンチとしては、世界一長かった。その長さ460メートル。完全とは言えないがほぼ直線だ。

 壮観な割には、誰もいなかった。

 ということは、会話を誰にも聞かれる心配はない。

 もう夕方だった。

「どこに座ればいいかな」

 留三は迷った。

「真ん中にしない?」


 ほんの十メートルほど先から海だ。その間に細いアスファルト道路と草の生えた土地、先端にわずかな砂浜がある。

 そこから見る海景色は、対岸に伊豆半島はない。本当の日本海だった。

 この辺りはサンセットヒルイン増穂と呼ぶらしい。

 沈む夕陽を眺めた。といきたいが、まだそんな時間ではない。

「まだ時間あるから、能登金剛に行きましょ」

 来た道を引き返すことになる。行きはタクシーだったので、ゆっくりと歩いて風景を堪能した。


 二人で歩いているとき、心中という言葉が彼女の頭に浮かんだ。

 ここで彼が死ねば、彼の婚約者の糸は別の男性と結婚し、その男性と別の女性との間に生まれるはずだった子供が誕生しないことになる。その子供は、真美の母方の先祖に当たる。すなわち、また自分が消えてしまう。結婚と違い、人間の行動次第で元に戻すことはできない。彼が今死ねば、自分は永遠に復活できない。

 それもいいかもしれない。少なくとも自分は苦しんで死ぬことはないから。いくら理性で抑えても、捨てられた女の怨念がこみ上げてくる。

 母親に申し訳がない。さきほどあったばかりの留三の子孫の方にも、お詫びしなければいけない。


 福浦港のある志賀町には、能登金剛と呼ばれる奇岩と青松に囲まれた景勝地がある。

いかにも二時間サスペンスのエンディングででできそうな光景で、映画「ゼロの焦点」の撮影も、能登金剛で行われている。

 巌門と呼ばれる穴の開いた名物巨岩がある。

 そこの洞窟にも入った。


 それからも周囲を歩き回った。

 いつしか日が沈み、辺りは赤く染まった。

 その岩場に名前があるのかわからなかったが、そんなことはどうでもいい。真美は留三を誘うように、断崖の先端に来た。

 二人は、海が良く見えるように並んだ。

 真美は、一歩下がり、後ろから留三に声をかけた。


「ねえ、私たちいまからでもやりなおせない?」

「馬鹿なこと言うな」

 留三は、きっぱりとはねつけた。

「わかったわ。いままでありがとう」

 真美は、留三の背中を押した。振り向く間もなく、声を出すこともなく、海に落ちていった。明治の男は、地元で死ねるのだから本望だろう。


 彼女はその場で立ちすくんだ。

 下は海だから、落ちてすぐには死なない。溺れて息が止まるまで何分かかかるのだろう。

その数分が自分に残された時間だ。

 それまで景勝地の絶景を目に焼き付けておこう、と彼女は考え、これまでの人生を振り返った。


 そして、数分が経った。

 自分はいる。どういうことなのだろう。


 糸という女性は、現段階で留三と婚約を交わしている。それが原因で、生涯独身を貫いたか、留三がいない場合に結婚するはずだった相手が変わった。そう考えればつじつまが合う。

 嬉しくはなかった。これでは心中ではなく、自分はただの殺人者になってしまう。


 それから、さきほど訪れた子孫の家も訪ねてみた。子孫は相変わらず無事だった。

 どういうこと?

 彼女は迷った。


 帰りの列車の中で結論は出た。

 明治の人間でも、こちらにいれば、現代の人間と判断され、死んでも子孫に影響しないということに違いない。

 真美はこの発見を黙っていた。人を殺して知り得た事実だからだ。

 罪の意識から、その逆の発想が浮かばなかった。今の日本人も明治列島に行けば、明治の人間とみなされ、先祖の動向にかかわらず、生き続けるという考えを。

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