第3話

 戦争には勝利したものの、現代日本には様々な問題が発生していた。

 明治列島が嫌がらせのように、日本のすぐ下を塞いでいるので、日本の南は太平洋ではなく内海に変わり、黒潮がもたらす恵みは絶えた。メリットとしては台風の被害が減ることぐらいで、運輸、貿易、漁業への悪影響はもちろんのこと、気候変動から農業に深刻な被害をもたらしていた。

 地政学的な変化からも、米国にとって軍事面での日本の役割は大きく減った。それが原因かどうかわからないが、まともな武器もない相手に近代兵器を使用した日本に対する非難が巻き起こり、日米同盟は更新されなかった。


 最大の問題は、先祖を殺害することによる直接的な人的被害だ。敵軍が致命的な被害を受けているまさにそのとき、戦争とは無関係な数万人もの日本人が突然消え去ったのだ。

 明治側の戦死者の名簿を入手して調査したところ、いなくなったのはその子孫と判明した。死んだ人間にすでに子供がいれば問題ないが、その人物が死ぬことで、子供が生まれなくなれば、当然、今の子孫はいないことになる。

 相手に下手に手出しをすると、自分のところにその何十倍もの被害が出るということだ。これでは、いくら勝利しても強気の交渉はできないことになる。

 日本政府はこの問題に対して、国民からの問い合わせに応じる専門の部署を設けた。そこは本当はお堅い名前だが、人材喪失相談センターと呼ばれた。


 明治政府は降伏を認めたが、もともと失うものが少ない。国連の仲介のもと、両国間の協議が行われ、互いの独立を認め、賠償金等は請求しないことが決められた。当然、明治側は二度と攻め込むことはないと約束させられた。

 こうして、二十一世紀の世界に、大日本帝国は正式に国家として認められた。日本国は、名前の響きでは格下だが、開発資金提供を申し出るなど、先進国として大人の対応をした。大日本帝国は、日本国以外の支援なら喜んで受けた。



 近くに伊豆半島が現れてから、能登半島西岸の漁師達は、捕った魚を地元に持ち帰らないで、伊豆の漁港におろすようになっていた。理由はそのほうが金になるからだ。その金で必要物資を買って、地元に戻る。ちょっとした密入国だったが、相手側は大目に見てくれていた。

 それは伊豆側にとっても好都合だった。これまでと潮の流れが変わり、名物キンメダイの漁獲高は激減していた。伊豆の漁船は、油で動くのでコストがかかる。漁に出る機会を減らし、能登の漁師達の収穫を当てにするようになっていた。


 福浦港は、かつては北前船の交易で栄えていた。今、すぐ北に日本列島が出現したことで、貿易港としての重要性が増し、最盛期を越える活況を呈していた。

 岩田留三も福浦の漁師だ。明治八年の平民苗字必称義務令で、岩田という苗字を頂いたが、それ以前はただの留三だった。とうに二十を過ぎていた。かなりの男前のくせに独身で、早く身を固めろと周囲から言われていた。

 漁師達は、伊豆の港で捕った魚を卸し、何万円とかいう信じられない金額をもらう。こちらと金の価値が違うから、それほどたいした金ではないらしい。それでも、物資が豊富なので、買い物が楽しみだ。

 港のそばの食べ物屋で空腹を満たした後、漁協の人たちに自動車という油で動く車に乗せてもらい、スーパーというところによる。そこで野菜、米、麺、紙などを買う。その後、コンビニという店にも寄る。


 福浦の漁師達は、自分達で漁に出るだけでなく、研修という名目で、伊豆の漁師の手伝いをすることもあった。ディーゼルエンジンや魚群探知機を見て、自分達の船で漁をするより、便利で効率が良いことを知った。どのみち伊豆に寄るのなら、最初から伊豆の船で出たほうがいい。漁だけでなく、能登にはたまに帰るだけで、普段は伊豆で暮らしたほうがいい。そう考えるようにもなっていた。


 福浦の網元は、伊豆の漁協組合長に、伊豆で働きたいという希望者が多いので、受け入れてくれるように頼んだ。

 組合長はあまりいい顔をしない。自分達の仕事が奪われることを心配しているのだろうか。その点は心配ないことを強調すると、

「あんたたち、密入国者になる。これまで港に寄るだけだから、なんとかなったけど、こっちで暮らすとなると、役場に届けないといけないし」

 組合長の言い分ももっともだが、あなたがたには迷惑かけない、しばらくの間だけでもいい。そのうち、自分達で最新式の漁船を手にいれたら、元の生活に戻ると訴えた。すると、組合長は、

「そちらさんが、魚群探知機手に入れたら、うちのライバルになるな」と警戒した。「そうなるぐらいなら、うちの手伝いしてもらったほうがいい」

 能登の漁師の一部は、伊豆で暮らすことになった。


 それで留三は、魚群探知機装備の漁船に乗っている。船長(といっても乗組員は二人)は、倍ほども年齢を重ねているが、留三のほうが百年ほど早く生まれているので、年上扱いしてくれる。

 疑似針がついた釣り糸を複数本ひく引縄漁法だ。カツオやブリなどがとれる。魚群探知機を見るのは船長の役目だ。彼は糸を調整する。他の船とぶつからないように注意する必要もある。

「お昼にしましょう」

 船長は魚群探知機から離れ、留三に声をかけた。

「昔の漁は大変でしたでしょう」と尋ねられると、

「今の漁のほうが大変だ」と答えた。

 いまひとつ魚群探知機というものがわからない。使い方もそうだが、何故、魚のいる場所がわかるのか、どう考えても理解できない。魚群探知機はレーダーと同じ仕組みだと船長に説明されても、レーダーというものがわからない。


 留三は、かねてからこちらの生活がうらやましかった。それが、人間消失で混乱する様子を見て、ある考えが思い浮かんでいた。それで、

「俺、こっちの人間になれないかな?」

 と船長にさりげなく聞いた。

「こっちの人間? もう、伊豆で暮らしてるじゃないの」

「そういう意味じゃなくて、最初からこっちの人間ってこと。消えた人間の代わり」

「そういうことか。いなくなった人になりすましても、この状況じゃわからないかもしれないな。でも、そのうちばれると思うよ」

「ばれてもかまわないさ。こっちで暮らせるなら」

「たしかに向こうより便利かもしれないけど、すぐに追いつくと思うよ。いや、たぶん、十年くらいで追い抜くよ。こっちはただでさえ年寄りが多いのに、大勢人が消えてたりするし。それにそちらの政治家って、幕府を倒した傑物が揃ってるでしょ。今の日本の政治家は、戦後活躍した政治家の子供とか孫ばかり。俺が留三さんなら、明治のほうを選ぶな。そうだ、俺と戸籍交換しない?」


 グローバリゼーションで途上国の暮らしが急速に先進国に追いついている。船長の言うとおり、百三十年の差もたいしたハンディではないのだろう。だが、今のことしか頭にない留三には、船長がお世辞を言ったのだと思った。

「船長は子供がいるからだめだけど、俺ひとりくらいなんとかなるんじゃないの? どうにかして、こっちの人間になれないかな」

「留三さんがそこまで言うなら、知り合いとかに当たってみるよ」

「恩に着ます、船長」


 船長は何人かの知人に相談した。年金もらえるから、消えた年寄りの代わりの引き合いはあるけど、若い人は難しいと言われた。それが、数日経つと、神奈川のほうに旦那と子供が消えて、寂しがってる女性新聞記者がいて、消えない亭主を望んでるみたいだから、一度、会わせてみたらと言われた。



 佐藤真美は、夫と子供を亡くした。死んだのではない。最初からいなかったことになっている。それなら自分は誰と結婚したのだろう。

 新聞社などマスコミ各社は大忙しなのだが、あれ以来、仕事が手につかず、休職している。もともと、子育てをしながら、記者の仕事はきつかったが、デザイナーの夫が自宅を拠点に活動していたので、なんとかなった。今は独身時代と同じ立場に戻ったが、喪失感から、世の中の出来事に興味を失っていた。


 結婚生活の証となる自宅は、一人で暮らすには広すぎ、まだローンが残っている。人口激減中の今の日本では、手放そうにも、買い手がつかないだろう。

 若くして夫を亡くし、そのうえ子供も失ったので、女ひとり、この先どうやって生きていこうかと思案にくれていた。そんなとき、伊豆の旅館で働く親戚から、かなり男前の独身明治男子がいるから、紹介すると言われた。密入国者を紹介されてもと拒否すると、夫の籍をそのまま使えばいいと言われた。真美の夫の靖は、病院などで死亡が確認されたわけではなく、失踪届も出していないので、戸籍上はまだ生きていることになっている。

「主人の籍をそのまま使うの?」

「そういうこと」

「一緒に暮らすっていうこと」

「もちろんよ」

 ということは、お見合いなのだろうか。彼女は、先祖と結婚するようなことがないように、自分と相手の戸籍データを調べた結果、血のつながりはないことが判明した。

 戸籍の上では、岩田留三は明治二十三年に、糸という女性と結婚している。真美は、糸の夫を奪うことになるのかどうかわからなかった。そんなややこしいこと考えても仕方ない。私だって、未亡人でしかも子供がいないのだから、結婚する権利はあるはず。

 明治の人間とうまくやっていく自信はないが、今は明治時代ではない。相手が若ければ、すぐに適応するはずだ。


 その旅館で相手の男性と会うことになった。畳の間で座布団に正座して向かい合った。

 紋付き袴姿を予想していたが、カジュアルな今の服装だった。こちらで散髪したようで、髷でも散切り頭でも無い。明治時代の人間にしては背も高く、外見だけからすると、今の日本人で十分通用する。漁師をしているだけあって、腕や肩の筋肉が強そうだ。

 真美の親戚の仲居が、この場を仕切る。

「こちらが佐藤真美さん」

「よろしくお願いします」

 留三にも中年男性の付き添いがいる。現代の格好をしているが、留三もそうなので、明治の人間なのか気になった。

「こちら岩田留三さん、俺よりずっと若いけど、百年前に生まれてるから、留三さんと呼んでます」

 現代人のようだ。

「船長、前から言おうと思ってたけど、俺のほうが年下だから、留三さんじゃなくて、留三でいいです」

「そうはいきませんよ。俺の爺さんより年上だから、呼び捨てなんてとんでもない。留三さんは、向こうで漁師してて、年齢は二十八。だけど、数えだから満で言うと、いくつかな……」

 付き添いの男性は、伊豆で漁師をしていて、今は一緒に船に乗っているという。明治列島の漁師と一緒の船に乗るとはかなり変だが、もっとおかしなことがいくらでも起きているので、真美は気にしなかった。


 今はきわめて特殊な状況だ。話のネタがいくらでもあるので、会話は盛り上がった。

「それで、留三さん。エレベーターのこと知らないで乗るもんだから、動き出すとパニックになって」

「あのときは、驚いた」

 一時間ほど四人で話をした。そのあと、二人だけで旅館の庭などを歩いた。

 明治の男と二人だけになると思うと、さすがに緊張した。

「俺、真美さんと暮らしてもいいよ」

 留三は、すぐにそう言ってくれた。

「本当?」

「ああ、真美さんのほうはどう?」

「私も留三さんなら、一緒にやっていけそうだと思います」

 そんなに急に話が進むのは不自然だったが、この特殊な状況なら、何が起きても驚くことではない。

「よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」



 翌日。真美は、留三の仕事ぶりを知りたくて、漁船に乗せてもらった。慣れないので、軽い船酔いに悩まされた。

「どうせなら、このまま福浦に行こう」と留三が提案した。距離的にはたいしたことはないが、

「それまずいよ。見つかったらそっちの警察に逮捕されて、拷問とか受けそう」

 と彼女は心配した。

 船長も、「明治の警官は怖いからな」と同意見だったが、上陸してみたい好奇心はあった。

「すぐ目の前にあって、言葉もなんとかなりそうだから、少しぐらいいいかな」

「俺の顔でなんとかするよ」と留三が請け負った。、

 それで、そのまま福浦港に向かうことになった。



 能登西岸の福浦港は、平地は少なく、すぐ際まで山が迫っている。狭い土地に家が密集し、二百世帯ほどが暮らしている。このころには衰退してきていたが、北前船貿易は続いており、その関係の仕事をする者もいた。人の出入りが多いので花街もあり、江戸時代の最盛期には、船宿が二十軒もあったという。今は、伊豆能登ルートという新たな貿易が出現し、最盛期の活気を取り戻しつつある。


 港に船を停泊させ、三人は上陸した。

「俺、こっちに引っ越しで漁師やろうかな」と船長が言った。

「どっちでも同じじゃないの」留三が言うと、

「そうだな。すぐ近くだからな」と納得した。

「もうすぐ海底トンネルできるかも」

 と彼女は言った。冗談のつもりだったが、船長は本気にした。

「そうだな。橋は難しいけど、トンネルなら出来そうだ」 

 留三には海底トンネルの意味がわからなかった。


 留三の実家は高台のほうにあった。家族や親戚に挨拶をすませると、日本最古の木造灯台として知られる旧福浦灯台を訪れた。このころは現役だから旧はいらない。新灯台と呼ばれる現在の福浦灯台はコンクリート造りだが、目の前にあるものは、高さ五メートル、白塗りの木造三層だ。それでも、慶長13年に建立された初代ではなく、、明治9年に再建されたものだ。

 出来て間もない旧灯台を背景に記念撮影。


 それから彼女と船長は、携帯で街の様子を撮影した。写真に撮られると魂が抜かれるという迷信は、この辺りではなかった。漁師達がいろいろな物資を持ち帰るので、人々は携帯電話の存在も知っていた。

 三人は大勢の人たちに囲まれた。真美は、自分が留三と結婚すると、今いる子孫にどう影響するのか、気になった。

 もうひとつ気がかりな事がある。この港町では、明治32年に住居の大半が焼ける大火事が起こる。後、十二年だが、同じ歴史をたどるとは限らない。

 そのことを二人に話すと、留三は、

「そのとき、俺がみんなに言うから大丈夫だ」と言った。

 船長も、「留三さんがわざわざ教えなくても、後、十二年もあるんだから、ここの人もそのくらいのこと知ることになると思うよ」と言ってくれた。



 留三は、真美の家に越してきた。それはすなわち佐藤真美の夫ということになるが、留三は形だけの夫婦を望み、真美は実際の夫婦のつもりだったので、すれ違いが起きた。留三はこちらで佐藤靖という立場を利用するが、岩田留三を捨てたわけではない。そのうちに故郷に戻り、そこで家庭を持つもりでいた。

 靖の戸籍を利用するが、別人なので靖の勤め先に戻れない。なかなか仕事が見つからないくせに、金使いが荒い。

 真美が小遣いを与えると、あっという間に使い切ってしまう。余計な扶養家族が増えたようなものである。そのうえ、どうも浮気をしているようなのである。留三からすれば、自分は独身のつもりなので、浮気ではなく恋愛だ。最近、消費者金融の存在を知ったらしく、利用しているふしがある。しっかりしてもらわないと困る。

 真美は正式に結婚すれば、明治男の浮気が収まり、夫としての自覚と責任を持つと考えた。佐藤靖として生きていくなら、他の女性のことはあきらめるよう、説得した。説得したぐらいでは、意識が変わるわけないので、すでに戸籍上は夫婦だったが、結婚式を挙げることにした。それで、正式な夫婦になれると、彼女は思った。


 挙式は、伊豆の結婚式場で行われた。能登から家族や親戚を招いた。もちろん、網元はじめ漁師仲間も出席した。

 現代式の結婚式に慣れない能登からの参加者は、騒いだり、勝手に席を離れるなど、スタッフを困らせることが多かった。

 それでも、ウェディングケーキ登場までこぎつけた。

 ケーキカットの瞬間、花嫁は消えていた。花嫁の実母も妹も消えていた。

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