第2話
明治列島が出現したことで、俄に先祖に対する関心が高まった。日本政府は、過去の戸籍をもとに、先祖データのデジタル化を始めた。
明治政府の対日戦略が功を奏したのか、日本の政府与党は、明治に対する国民の憎悪をかきたてる方針をたてた。総理が侮辱されたこと以外にも、何かとやっかいな存在になっていたからである。
明治列島の出現は、日本列島からすれば、太平洋を塞がれたということだ。太平洋側に主要な港があり、特に首都圏を含む東日本と海外との航路は、明治列島を迂回しなければいけなくなった。余計にコストと時間がかかるだけでも大変なのに、途中の狭い海峡に、海賊が出現するようになった。もちろん、乗組員は明治の人間だ。
その海賊に、どこかの国が武器を提供しているようで、輸送船には海上保安庁の警護が必要になった。さらに、明治政府は、領空を旅客機が飛ぶことに文句をつけ、準備が整い次第打ち落とすと声明した。
そんななか、自衛隊が海賊と間違って、北前船を破壊してしまい、これに明治政府は激怒。日本政府は、交易船を装った海賊と主張し、謝罪をしなかった。明治国民は傲慢な子孫達に対し開戦を訴え、「偽日本を殺せ」という論調が新聞に掲載された。日本でも、「伊藤は女好き(本当らしい)」「明治を滅ぼせ」などという街頭スピーチが行われた。
日本の国内メディアはこぞって、明治の欠点を取り上げた。相手は百年以上昔なので、遅れていて当然だ。インテリ層は冷めた目で見ていたが、民衆はマスコミのいいなりなので、先祖を馬鹿にするようになった。
その結果、日本で南北戦争とのニュースが、世界中のメディアで報じられた。サウスジャパンがジャパンに戦争をしかける。だが、明治列島は出現以降、エイプリルフールねた扱いだった。実際、人類の三割がまだその存在を疑っているのだ。
帝国陸軍に入隊したばかりの総左右衛門は、故郷佐渡島に配属された。新兵ながら、偽日本と戦う上での重要拠点の地勢に長けている貴重な人材だ。
彼は、偽日本国の姑息なやり方に激高していた。
「先祖に逆らうばかりではなく、話し合いにも応じようとせず、他の国々に根回しして、我が国を支配しようとはけしからん」という上官の言葉に賛同し、日々鍛錬に励んでいた。
彼の部隊には、千葉県出身者も大勢いる。海を隔てたすぐ向かいには、敵国の房総半島が控えている。房総なら我が国にも存在する。むしろこちらが本家で、向こうは偽房総だ。房総半島を熟知している仲間がいることは心強い。
兵器の優劣が雌雄を決することを嫌と言うほど知っている明治政府は、軍艦同士の直接対決を挑むつもりはなかった。数隻の軍艦に敵の注目を集め、その隙を窺って、漁船で九十九里浜に大量の兵隊が上陸する作戦だ。その後は首都圏に潜入、ゲリラ戦を仕掛ける。
そのため、開戦直前には両津港と小木港に、全国から大量の漁船がかき集められた。
総左右衛門も、軍艦ではなく漁船に乗る。地元漁師の子供である彼は、下手な海兵よりこの任務に適している。軍服を着ることなく、漁師の格好だ。これなら敵に見つかっても、兵隊とはばれない。簡単に上陸できるはずだ。偽日本など恐るるに足りず。
彼に限らず明治兵は皆同じように考えていたが、日本側は明治の作戦を前もって把握していた。
こうして、大日本帝国は日本国に宣戦布告をした。佐渡房総沖の合戦と呼ばれる壮絶な戦いが始まった。
房総沖に待機していた、飛行甲板を持つ日本の護衛艦は、敵主力部隊に向け出航した。戦闘機を搭載していて、敵船はごく少数の戦闘機による攻撃で、ひとたまりもなく戦闘不能となった。その後、魚雷攻撃により、すべての明治軍艦は撃沈された。最初から魚雷だけで充分なはずなので、戦闘機による攻撃は日本側のパフォーマンスといえる。
残りは雑魚ばかりだが、これがかなりやっかいだった。漁船は兵力的にはとるに足りないが、兵力とはいえないので、むやみに攻撃できない。乗組員は本物の漁師なのか、漁師に扮した兵士が乗船しているのか、見極める必要がある。漁船に乗り込んで、武器などがないか調べるのだ。敵とわかった時点で拘束する。当然戦闘が起きるだろうが、明治の銃剣に負けるはずがない。
日本軍は手間をかけながら、確実に明治の漁船を拿捕していった。そんななか、総左右衛門の船は敵の網をかいくぐり、着実に目的地に近づいていった。
入隊するまで漁の手伝いをしていた彼は、漁師の振りをすることに自信があった。彼の他にも一人兵士が乗っているが、房総の漁師だった人物だ。実際、本当に漁をしながら、第二房総半島に近づいていく。どこからどう見ても漁師そのものだ。それに加え、漁船自体も日本から極秘に入手したものだ。網を巻きあげる機械もあり、敵は自国の漁船と思い、調べないはずだ。
ところが、敵の巡視船が近づいてきた。
「そこの船、止まりなさい」という大声が聞こえる。拡声器と呼ばれるもので、声を大きくしていると聞いている。
総左右衛門と房総の相棒は、顔を上げて、敵の船を見た。
「ばれたかな」
彼は言った。
「大丈夫だ」
相棒が言った。
敵船はどんどん接近してくる。
「現在、この海域では民間人が船に乗ることが禁止されています」
「知らない」
大声で答えた。
「なかを調べさせてください」
彼は相棒と顔を見合わせた。
「仕方ないな」と相棒は言った。
総左右衛門は観念した。
「どうぞ」と敵に伝えた。
その日は佐藤聡美の六十三回目の誕生日で、息子夫婦と孫がお祝いに来ていた。肝心の夫は、伊豆の海岸で陸地を目撃して以来、どこかおかしくなり、病院に出かけていた。
リビングでテーブルを囲んで、テレビのお笑い番組を観ていると、突然緊急番組に変更された。
アナウンサーは、明治政府が日本国に宣戦布告をしたことを伝えた。画面には、房総半島に向かう明治の軍艦の様子が映し出された。
「戦争だって」
聡美が言った。
「馬鹿じゃないの。こっちはアメリカの同盟国なのに」と息子の靖。
嫁の真美が、出来合いのピザを焼いたものを運んできた。彼女は大手新聞社に勤めているインテリだ。
「アメリカがこんなしょぼい戦いに参加するわけないわ。自衛隊どころか警察でも勝てる、たぶん」
親子とも、圧倒的な戦力の差を知っているので、スポーツ観戦でもしている気分だった。
孫の優は、「早く、早く」とピザを急かしている。
真美は、テーブルに皿を乗せたが、ピザを四分割する必要があることまで予想していなかった。
「なんか、切るもの探してくる」といって、彼女は台所に向かった。
前時代的な考えから、東京制圧を目指し、能登半島から伊豆半島に、佐渡島から房総半島に上陸して首都東京を挟み撃ちにする両面作戦を展開した明治軍は、日本側から動きをとっくに察知されており、あっけなく現代日本の勝利となった。日本側は、戦力差から敵の死傷者を最小限にとどめる戦法もとれたはずだが、富国強兵で勢いづく敵の士気をくじくため、近代兵器により明治軍を殲滅した。
先祖を殺害することは、はばかられるが 二度と攻めてこないように、やむをえない措置だった。
敵は大勢で乗り込んで来ので、総左右衛門の乗る小さな漁船は人で一杯になった。兵士達は重そうな銃を持っているが、銃剣ではない。
彼は兵士のひとりに名前を聞かれ、「佐藤総左右衛門」と正直に答えた。
すると、相手の顔が険しくなった。
「総左右衛門? 今の人間の名前じゃないな」
総左右衛門は慌てた。今の人間の名前じゃないとはどういうことだ。もしかしてこいつら、セルゲイビッチとかイワノフとか露西亜風の名前なのか。
彼は、相棒に向かって声に出さずに、ロシアと口を動かした。
「そちらは」
兵士は相棒にも聞いた。
「田中ミハイルビッチ」
敵兵は皆笑った。
「ハーフに見えないが、意外と本名かもしれないな。いずれにせよ、明治側の人間に違いない」
一番偉そうにしている男が言った。
まずい。ばれてしまった……。
「飛び込め」
総左右衛門は相棒に向かってそう叫んだ。自らも敵兵の隙をついて、海に飛び込んだ。相棒は残念ながら捕虜になった。
彼は必至に泳いだ。
「戻りなさい」という声が後ろから聞こえる。
「死ぬぞ」という声もする。
なんとか敵の手から免れたが、いくら泳ぎが達者でも、佐渡房総海峡の激しい流れには勝てなかった。
アナウンサーは伊豆半島の状況も伝えていた。上陸前に海戦で壊滅させたという。
「勝利確定だな。賠償金もらえないけど、これで、あいつらの鼻っ柱へし折れた。自分たちの実力を思い知ったに違いない」と息子がいったので、
「あいつらって、ご先祖に失礼じゃないの」
聡美は息子のほうを見ないで注意した。
しかし、返事がない。
「ねえ、何か言いなさいよ。あれ?」
息子と孫が、その場から消えていた。
台所からナイフを持って戻った嫁は、「お母さん、優たちはどこ?」と聞く。
「それが、私の前からいなくなって」
「どこ行ったのかな。ピザ冷めるでしょ」と文句を言いながら、真美は家の中を探した。
どの部屋にもいない。玄関に靴がないことから、外に出かけたようだ。
「先に食べましょうか」と、真美が義母に言った。
そのとき、病院から電話がかかってきた。
「ご主人がいなくなりました」という内容だった。
明治側は一方的な侵略戦争を強行して敗北したので、軍事部門は大幅に縮小された。防衛戦に勝利した日本側は、思い切った軍備増強に踏み切ることになった。しかし、国際世論は、侵略国よりも、旧式の武器しか持っていない相手を、徹底的に打ちのめした日本を非難し、大虐殺と騒がれた。
明治国内では日本に対する恐怖で、人心が動揺していた。完全な敗北。いつ日本が攻め込んで来るかと、人々は不安な日々を過ごした。
大衆は落ち込み怯えていたが、伊藤は上機嫌だった。すべて狙い通りに事は運んだ。亡くなった兵士たちには悪いが、自分もかつて生死をかけた戦いに参加してきた。彼らの死は、決して無駄死にではない。
これで、貴重な国家予算を民生部門に集中できる。総人口こそ少ないが、平均年齢は若い。人件費が低く勤勉な労働力は、製造業に有利だ。経済成長さえ達成できれば、人心は安定する。逆に日本は、厳しい財政状況の中、多額の防衛費負担に苦しむことになる。
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