彼岸の牛丼

めらめら

彼岸の牛丼

黄泉野家よみのや


 築地の魚河岸に構えられたその店は、今となっては珍しい個人経営の牛丼専門店であり、擦れっ枯らしの牛丼っ喰いどもの有りと有らゆる我儘な注文に瞬速で対応する「神店」としても有名だった。

 今日も今日とて引きも切らない常連客が、


「おやっさん、並。ネギダク、ツユダクダク!」

「へいおまち!」

 並盛の飯にネギ多め。黄金の汁をたっぷりと湛えた丼が、注文から三秒で出てくる。


「アタマ。ツメシロ。ネギちょいヌキ、ツユちょいちょいヌキ!」

「へいおまち!」

 肉の大盛り、冷たいごはん。ねぎは少な目、汁控えめで、急いで食べたい猫舌の肉好きには堪えられない。


「大盛り。トロダクダクダク。玉子、温泉黄身だけ!」

「へいおまち!」

 ごはん大盛り、脂身たっぷり、温泉卵の黄身だけ乗せた、濃厚かつワイルドな一杯だ。


「特盛り! 全部ダクダク、チョモランマ!」

「へいおまち!」

 まるで洗面器のような丼に、山のように肉をねぎと汁を盛った、牛肉ビーフ小宇宙コスモが誕生する。


 斯様に凄いその店に、まだ常連客も誰一人として試したことの無い、謎のオプションがあった。

 百戦錬磨の牛丼喰いつわものどもでさえ、恐れをなして手を出さないという、そのメニュー。

 だがある日、無謀と言おうか、若さと言おうか。ついに好奇心に負けた一人の男が、店主に「それ」を注文してしまった。


「おやっさん……全部ヌキヌキ、ブラックホール!」

「……お客さん、本当にいいのかい?」

「ああ、頼む!」

「後悔しないね?」

「ああ、頼む!」

「わかったよ……へいおまち!」


「これは……!」

 出て来た丼を覗いて、男は目を瞠った。

 丼の中には、「無」が在った。

 男は無に魅入られて、無に飲まれ、そのまま丼の中へと消えた。


 男の行方は誰も知らない。

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彼岸の牛丼 めらめら @meramera

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