第138話 涼宮強は、勇者などではなく世界にたった一人の――

 眼前に迫る敵がいくつもの手を伸ばす光景を目の前にした。無数の口が怒りを露わにして唾液を飛ばして荒れ狂う。それでも、其処に恐怖は生まれなかった。どれだけの絶望が押し寄せようとも涼宮強には、そんなものは感じられなかった。


 ――楽しいな…………


 危険が迫ってくることに、ドキドキと胸が高鳴る。


 ――さて、どうやって逃げよう……かな?


 自分が狙われていることなど百も承知。でも、笑っていられる。


 ――ニンゲン……ニンゲン……ニンッ


 許せないことに敵が笑っている。眼がなくとも感じる。魔物たちに備わった感覚が物語っていた。マウスヘッダーたちの怒りが襲い掛かる。


 ――ゲェエエエンンンンンンンンンンンンン!!

 

 一つの生命体であるかのような感情の呼応。止まることのない怒りの連鎖がマウスヘッダーたちに広がる。ただ一匹の異世界の獣へ向けて全身全霊をぶつけに行く。集団で個を抑えつけようと魔物が絶望を纏い襲い掛かる。


【涼宮強……キミは勇者などではない】 


 絶望に抗う者を勇者と呼ぶのならば、涼宮強は違う。


 目の前の絶望に抗う素振りなどない。特別な能力を神から授かってなどいない、ただの一人の少年。装備もなくあるのは自分という存在だけ。ただ、楽しみを待つかのようにニへへと笑っている。


「ホップ!!」


 絶望に捕まるよりも早く、動き出した。地面を蹴ることが嬉しいのか、涼宮強は笑っていた。捕まえようとしても捕まえきれない。涼宮強が立っていた場所にマウスヘッダーたちが勢いよく雪崩れ込む。空を飛び跳ねた者も地を這って突進したものもぶつかり合い密集に密集を重ねていく。


 ――ドコニイッタ……ドコ、ニ!?


 気づいたら、もう姿がない。絶望が涼宮強を捉えきれない。


 球状の体を激しく揺すり、行方を捜す。


「ステップで!!」


 地面を蹴り、さらに楽しそうに二歩目で空中を蹴り上がる。さらに高く高く昇って地上にいる魔物たちと離れていく。ギリシャ神話の全知全能の神は大きな指を涼宮強へと向けて、


【マァアアーーベラァアアアアアーース!!】


 歓喜の大声を上げた。ゼウスの全幅の期待が寄せられている。


 どんどんと成長していく少年を止められなどしない。


 ソレが絶望であろうとも――。


 天高く上がっていく強の体が緩急をつけていく。膝を曲げて、背中が曲がっていく。ゆっくりと回転を始めた。上空に上りながらもクルクルと宙返りを繰り返していく。


 神々であろうと次の予想がつかない。これは戦闘ではない。


 ましてや、絶望との戦いでもない。


 もっと違うものだと見せつけられている。


 神の音楽を鳴らしていた手が止まった。ワルキューレたちの踊りが終わりを迎えた。目の前で重力を無視している宙返りは上空に向かうほど加速して回転を速めていっている。


 誰もが手を止めて少年を見ていた、その一挙手一投足を。


【本当に………楽しそう】


 そして、少年と同じように笑った。


 感覚を共有するように。微笑ましい瞳で神々は少年を見つめ神殿に無音を作る。


 ヘルメスは静かにその光景を見ていた、神々が微笑んでいる姿を。


【さぁ、新たな神話の始まりだ……勇者ではない、君の】


 ヘルメスの視線が強へ向かうと同時に魔物が気づく。その意識が共有され、全個体が上空を向く。捉えきれない獲物は自由に動き回っている。地上にいる生物は飛ぶ鳥を落とせない。


 ――コロセ……コロセ……コロセ


 殺意だった。絶望が少年へと向ける殺意。


 ――アイツを……コロセェエエエエエエエエエ!!


 憎悪の塊がたった一人の人間にぶつけられる。それでも、届かない。


「にゃははは♪」


 クルクルと回転しながらも自然と笑っていた。だんだんと上空へ向かうスピードが落ちていく。落ちれば絶望が殺意を剥き出しにして待ち構えている。そんな光景を空か見降ろしても、涼宮強は変わらなかった。


 ――いっくぞぉー!!


「……ジャンプ」


 天から宙づりになっているような体勢。絶望に頭を向けている状態。


 空気の層に圧力がかけられていく。浮かび上がるでもなく落ちていくのでもなく。つり合いが取れている状態で涼宮強の膝が曲がっていく。足に力を込めていく。

 

 空気の層を蹴り飛ばした。言葉は嘘だと言わんばかりに。


「――――しないッ!!」


 つい先ほどまで上空に飛び上がっていたのに、


 上がりきったところで真っ逆さまに勢いをつけて落ちていく。


 殺意を持った絶望たちの元へと、空を蹴り飛ばして墜落してくる。


 ――ナンダ……オチテ


 逃げ回っていたと思った獲物が向かってくる姿に絶望の殺意が止まる。自分たちを弄ぶように涼宮強は勢いをつけて落ちてくる。固まっていた密集地帯のど真ん中を目指して。


 ――キタ!?


「イヤッホォオー!!」


 楽しそうに奇声を上げて地獄のど真ん中をぶち壊しに行く。


 地面に叩きつけられる恐怖が消されていた。魔物たちが向けていた殺意が亡きモノにされた。下で待ち構えている絶望が飲み込まれていく。涼宮強という特別な少年に。


【絶望に抗うこともない君だけは違う】

 

 絶望があろうとも本来の強のままであれば、


 笑ってやり過ごせてしまうのだろうとヘルメスは感じざる得ない。


勇者ユウシャなどではないのだから】


 涼宮強に勝たなければいけない宿命などない。世界を背負う重圧もない。


 これほどふざけて楽しそうに戦う勇者などいない。


 マウスヘッダーたちの手が上空へと伸びていく。上から落ち来る少年を捕まえようと一匹につき四つの魔手が向かっていく。その光景が強の瞳に映る。黒い手が無数に自分に向かってくる。


「ちょこざいな……」


 それでも――


「にゃろぉおぉおおー!!」


 笑っていた。純粋無垢に屈託もなく、挑戦の声を上げた。


 子供だった。どこにでもいるような子供のようだった。


 失敗など恐れはしない。それすらも笑ってしまうのではないかと。恐怖などまだ身についていないかのように危険な行為を実行する。絶望になど染まるわけもない。先のことなど何も考えていないのだから。


 あるのは、ただ一つの純粋な心。


 ――楽しいぞ……楽しいぞ、っ……


 ソコに映るのは遊びの原点。


 自由で何にも縛られていない剥き出しの童心。何もかもを忘れるほどに一時にかける情熱。得体のしれない意味不明な行動力。無制限に近いスタミナと集中力。剥き出しの感情と己の全てをぶつけて紡ぎだす幸福感。




 ――コラァアアアアアアアアアアアアアアア!!




 恐怖や絶望すらも飲み込んで、楽しんでしまう遊び心。


 ソレが絶望とぶつかって、吹き飛ばす。黒い無数の球が大きく弾けて空を飛んだ。衝撃が円を描き広がっていく。ボーリングのピンが激しく飛ぶように魔物たちの体が無残に地面を転がっていく。


 地面に思いっきりぶつかって衝撃を残した一人だけが、


 その場に残っていた。


「イテテ……ん、よっと」


 上から頭から落ちて足が空を向いている状態で転がる。これだけのことをしながらも、無邪気にでんぐり返しして地面に開脚した。その状態のままで座って周りを見渡す。はたから見ればバレエダンサーがストレッチをしているような状態に近い。


 遠くに魔物たちが飛ばされているのが、砂埃を払っている強には見えた。


「もう……」


 ぼぉーとしながらも、魔物たちを物欲しそうに眺めていた。





「一回やりてぇー……なー……」




 周りの吹き飛んでいる景色とは対照的な言葉。人差し指を口に加えてぽつりとこぼした一言に神々が拍手を送った。勇敢などとは違う。物足りないと言わんばかりの一言。


 いくつもの勇者たちの逸話を見てきた神々は笑って拍手するしかなかった。

 

 この子は、涼宮強は勇者などではないのだと――全く違う者であると。 


【ふふっ……ふふふ……】


 ヘルメスも思わず声を抑えきれずに笑ってしまった。


 あまりに似つかわしくない、勇者などでは出てこない強のセリフ。


【君は勇者ユウシャではないかもしれない……でも、ユウシャだ】


 ヘルメスは涼宮強を我が子を見るように愛している。涼宮強だけはきっと違ったものを見せてくれるのだろうとヘルメスは期待を込めている。そして、彼が最後の英雄となることをヘルメスは心から願っている。


【涼宮強は、この世界にたった一人の】


 そんな期待をヘルメスは言葉に込めて、




【――――遊者ユウシャだ】



 届かない声で涼宮強へと送った。


 絶望に抗うのではなく、絶望すらも飲み込んで遊ぶ者と。


《つづく》

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