第83話 怠惰を許さず……進化を止めない君だからこそ

 レンは時たちから離れて工事現場に身を隠す。まだ出来上がりきってない打ちっぱなしのフロアに落とす赤い足跡。腹部から滴り出る血が止まることなどない。内部から指で肉を抉られて掻きだされたのだ。


 そのダメージから呼吸が自然と早くなる。


「あのジジィ……ッ」


 コンクリートの上にへたりこみ傷口を抑える。容赦のない攻撃だった。一歩間違えば蛇の毒牙に蝕まれ死んでいたであろう。その激痛に耐えながらもコートから携帯を取り出し、レンは任務失敗の報告に移る。


『どうした……レン?』


 レンの上がっている息を聞くように電話口からお頭の訝し気な声が聞こえた。レンは唇を一度噛みしめる。任務失敗のこともあるが、なによりこの重体ではアチラの任務に参加することも叶わない。


「すまない……お頭。総理の孫を取られた……」

『誰に?』


 お頭の声に任務失敗に対する怒り色はなかった。それはレンの事を信頼しているからに他ならない。レンほどの手練れが失敗する原因が何かと情報を聞くことに集中しているからだ。


 レンは先程の戦いを思い出す――相手の名前は特徴は何か。


「白髪の老人で執事服を着た、時と呼ばれる男……」


 その名を聞いた瞬間に舌打ちに似た音が聞こえた、聞き覚えがある名前というレベルではない。お頭はそのトキという人物を良く知っている。一緒に視線をくぐり抜けた時の自分にとってのお頭に他ならないのだから。


 ——相手がそれじゃあ……仕方ないか……。


 それは仕方がないとお頭が眉を顰めているところにレンの声が届く。


「あと……」


 レンは苦い顔を浮かべる。侮ったが故に招いた失態だった。


 戦闘のやり方などいくらでもあったのだ。櫻井がお荷物であったところをもっと攻め立ててしまえばよかった。櫻井が時と会話する前に攻撃して遮ることだって出来たはずだった。それらの選択を誤った後悔がレンの言葉に恨みを乗せる。


「マカダミアの制服を着た男」


 それを聞いてお頭はある一人の人物を明確に想像した。


 確かにソイツと時政宗が相手であればどうしようもない。


『涼宮強……』


 おまけに鈴木玉藻がターゲットである以上、それぐらいの配慮は必要だった。


『アンゴルモアか』

「すずみや……?」


 どこか行き違いがあると感じるレンは言葉を繋げる。


「お頭それは違う、サクライって呼ばれる奴だった」


 戦闘中に時が何度もその男の名を呼んでいたから忘れるはずもない。


『サクラ……イ?』


 想いもつかない名にお頭は首を捻る。マカダミア自体が優れていることは知っている。それでも、あくまで学生レベルに過ぎない。そんな中でトキとレンの戦いについていけるものなど、涼宮強以外にありえない。


 もし、可能性があるとするならば――。


『とりあえず、事情は分かった』


 ただ、お頭は其処までで話を打ち切ることにする。これ以上の話し合いがいま必要な事ではないと判断をした。いまやるべきことは他にある。


『レンはアジトに戻って回復に専念しな。あとの事はコッチでどうにかしておく』

「了解した」


 お頭は電話を切って少し考え込む。


「サクライ……ねぇ……」


 何かを思い出す様にレンから聞いた言葉を出した。何か引っかかる様に瞼が僅かに落ちる。嫌な名前だという表情に隣から声が上がる。


「レンちょん……何かあったの?」


 心配そうに狼少女が耳を垂れている。その愛らしい姿にお頭はため息をすまないと言わんばかりに一つついて少女の頭を撫でる。


「多少は傷を負ったが心配はない。報告もスムーズだったからね」

「ケガしたの?」


 下から自分を見上げる少女のあどけない表情は彼を心配してのもの。それを理解しているお頭はにこやかに笑って見せる。


「相手が悪かったのさ、先代のお頭を相手にするなんてのは」

「お頭の……前のお頭?」


 先代と言う言葉を紐解くように少女は語り掛ける。お頭は強い、そのお頭の前のお頭も当然強いのでないかと蓮の身への心配が膨らむ。


「そうさ、先代お頭の時政宗。あれを相手に生き残ってくるとは大したもんだよ」

「…………」


 気にすることはないと表情を緩やかにするが、狼少女はただ心配そうに尻尾を下げる。仲間想いであるが故に少女は元気を失くしたように尻尾を垂れた。


「なぁーに、大丈夫さ。電話口でもちゃんと話せてた」

「……ホント?」


 お頭の陽気な言葉に狼少女は上を見上げて綺麗な眼を向ける。彼女の狼だ。耳には呼吸が上がっているレンの声が聞こえていた。彼女はお頭に嘘をつかないでと瞳で訴えかける。


「シャオ……」


 耳の間を狙うようにコンと頭を叩く。


「いま、やるべきことはなんだい?」


 頭を叩かれ少し俯きながらも少女はお頭の瞳を見つめる。


「……任務」


 それが一番大事なはず。いますることはレンの心配ではない。


 少女は納得しながらもどこか悲しそうに尻尾を振るう。


「そうだ。レンが心配なら急いで終わらせるよ」

「……わかった」


 少女は拳に力を入れる。それが一番早い。いまある任務を終わらせればレンの状態を確認できる。その姿は純粋に真っすぐなように見える。だからこそ、お頭は彼女に愛おしそうな視線を送る。


「ささっと、行くよ」

「うん!」


 狼少女の耳と尻尾が意気込みを伝える様に上に上がる。それを見てお頭は背中を向けて山の中へと踏み込んでいく。そこは東京の端にある山。そこはとある組織のアジトがある場所。



「こっちに来たがってた、レンの分も暴れてやらなきゃね!」



 遠くにそびえ立つ洋館を目指して彼女たちは山の中へと歩き出す。





 一人疲れた体で座り込んでいた。


「御庭番衆って……なんだよ……」


 最後の攻撃で奪い取った情報。渾身の浴びせ蹴りで蓮が何者なのかを探ったが故に手に入れた言葉。それを噛みしめる様に櫻井は一人座っていた。


「何がなんだか……わからねぇ。けど……」


 戦闘により破壊された住宅街で、人避けがされている場所で、


 ひとり空をぼぉーと眺めていた。


「命知らずか……」


 時から受けた忠告の真意は分からない。それはレンとの戦闘に挑んだ弱い自分への叱責なのか、それとも別の何かなのか。それが何を意味するのかも分からない。


「その程度って……っか……」

 

 ただ分かるのは自分が弱いということだけだった。強くなろうと足掻いてきた。それでも届かぬ高みがあると諦めていた。強化がなければSランクが限界値だと決めつけていた。


「確かによえぇな……俺は……」


 他の学生と比べれば抜きんでている。それでも、それを良しとしなかった。求めている先は違う。もっと遠くを目指していたはずだと。大地という底辺から空を羨むように光を求めたはずだと。


「このままじゃ……ダメだよな」


 それを忘れている自分を自嘲ぎみに笑ってしまう。その懐かしき思いが蘇る。強くなりたいとがむしゃらに坂道を登っていたはずだと。ここで止まって迂回している様じゃだめだと今回の戦いで悟った。本当に目指すべきは純粋なトリプルSランクの強と同等になること。


「……強くなりてェ」


 願うように言葉を出した、どこかで満足してしまっていた自分を悔やむように地面を拳で殴りつけながら。先の戦闘を思い返せばいくらでも浮かび上がる課題。全然足りてなどいない。強化を使うこともできない。


 ——九字護身法には時間がかかる……

 

 祝詞を唱える時間。それは長文詠唱に近い。動きながらでも唱えられるが手を使う動作が必要になる。おまけに集中が削がれている状態で格上と闘うことなど出来ない。命のやり取りの中で余裕などない。


「止まってんじゃねぇよ……」


 時のが叱責じゃないとしても自分で自分を叱咤する。


「強くなるしかねぇだろ……」


 もっと、やらなければならないことが山積みだったのだと。





「オレッ!」





 その戦いが櫻井に与えたもの。トキの忠告が櫻井に与えたものは大きい。


【君のそういうところだ、櫻井】


 その瞳の輝きは諦めを拒む。その拳は何度も握られる。


【怠惰を許さず……進化を止めない君だからこそ】


 敗北を知って、なおも前に進むことに慣れている心。


【最弱から終焉の舞台に上がった君だからこそ】


 だからこそ、神々は評価するのだ。その絶望の中でも輝くことを止めない光。


【僕たちは期待している――君が面白くしてくれるのだと】


 そこにあるのが人間の本当の強さだと神々は祝福するように彼を見守る。



《つづく》

 

 

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