第82話 元御庭番衆からの忠告

 櫻井がふいに見せた悲し気な表情。それは時から与えられていた世界の終わりを惜しむ顔。ただ静かに終わりの合図にピエロが頷く姿に、レンの顔が怒りで歪む。


 ——なんだ……


 レンは櫻井が自分と云う存在を憐れんでいるように捉える。

 

 ——そのツラはッ!


 その赤い瞳が怒りを帯びる。予定された未来を見越すために。


「——ッ!」


 だが、レンの未来予知に広がるものは真っ黒な影だった。それは近い未来の出来事。赤い瞳が視る世界。その暗闇は創り出された未来の空白。


 ——こうすれば、お前は見えないんだろう


 櫻井が手を伸ばして自分の赤い瞳を遮るように掲げてくる。


 それは未来を超える為に出された右手、攻撃ではない。


 ——未来が。


 ただ、視界を塞ぐための目隠しだ。


 櫻井はある結論に達していた。レンの未来予知に関係するのは赤い瞳だと。髪で隠れているほうではなく、その紅玉のような眼球にあると。なぜなら戦闘中にレンの瞳に力が入る瞬間は不自然だった。


 攻撃が来るよりも早くそれは力みを帯びていた。


 そして、レンの能力は限定されている。


 神のように上から未来が見えるわけでもない。それは限られた空間の二秒先の未来。その赤い瞳に映る景色に他ならない。人間的欠陥の能力。しか未来を映し出せない能力。


 の二秒先までしか見通せない欠陥。


 未来に生まれた空白の暗闇。その僅かなレンの動揺を二人は見逃すはずない。ずっと思考を合わせてきた。その積み重ねが花開く。一心同体だった二人の思考は完璧なタイミングで重なる。櫻井は手を掲げたままバックステップで距離をあける。


 ――前衛後衛交代スイッチ

 

 その空いた隙間に年老いた蛇が身を入れ込む。一番警戒するはこの蛇だ。咄嗟の視界の変化に戸惑い対応が一瞬遅れる。連携の隙の無さにレンの対応が浮足立つ。


 その男の蛇を宿した拳は未来においても変化をするのだから。


「チェイッヤァアアア!」

「クッ――ッゥ!」


 気合と共に老人の両手が素早く交差する二連突き。ガードさせられるレンを前に老人は攻撃の手を休めることはなかった。後ろに引かれた蛇拳がうねるように再度レンに襲い掛かる。


 ——変化が……捉えきれねぇッ!


 未来が見えたとしても見えないモノに反応はできない。櫻井の後ろで隠れていた蛇の動きまでは見えない。視界に二人映っていれば見える。背中越しに隠れた対象の未来が捉えきれないが故に混乱が生まれる。


 老人の蛇は巧みに加速し、レンの心の隙間をついてくる。準備した防御をすり抜ける様にレンの体を狙い撃っている。必死ですり抜けてくる攻撃を回避する男の前で老人が声を出す。


「合わせなさい――」


 レンの動きを止めて背中に触れることが出来ない時が大きく声を張り上げる。


「櫻井サァンッ!」


 ――どうに……か?


 防御を固めて反撃の機会を伺うレンの瞳にまた闇がさした。上から覆いかぶさる大きな影。レンの瞳が上を向く。老人が腰を曲げた後ろから飛び上がっている男の姿。バックステップで隠れていた男が飛び跳ねて現れている。


 ——勝負……


 櫻井は身を捻り力を込める。それは銀翔から教わったことの一つ。


『ジャンプ攻撃は無防備になるから以外では悪手だよ』

 

 ——所ッ!!


 レンは未来で上からの攻撃を喰らうことに向けて両腕をクロスさせて構える。時の下げた顔はこれを予期していたかのように綻ぶ。櫻井の瞳に力が入る。ここが未来を超える瞬間になると渾身の力を振り絞る。


「カシコォオオオオオオッ!」


 浴びせ蹴りのように左足を捨て身で投げ出す様に御庭番衆のレンへとぶつける。レンの腕に重みが走る。それでもレンは足を踏ん張って堪え切る。


 ——この程度なら弾き飛ばせる!


 攻撃の重みが足りなかった。これがランクの差だ。たった一撃ではどうにもできない。両腕をクロスして耐えた腕を上に広げれば櫻井を弾き飛ばせる。


 されど、未来予知も発動しているレンの顔が歪む。

 

 ——何故ナゼだ……


【残念だったね……】


 未来から櫻井の姿が消えない。弾き飛ばすと決定しているのにその視界が動かない。いま目の前で老人が右腕を引いて力を蛇の拳に溜めている。一刻も早くここから、この状況から脱出しなければいけないのに未来の自分が動いていない。なぜか無防備な腹を蛇の前にさらけ出したままだ。


 ——ナゼ……動けないッ!


【それはそうさ、だって彼はまだ――】


 それは未来の出来事、それがレンの未来だ。


 そして、ヘルメスは嗤うしかない。神々には上空から見えている。まだピエロが動ききっていない姿が。まだ片足だけしか振るっていない櫻井の姿が。一発目はガードをさせる為のもの。


 そのすべてを溜めた力は二撃目に集約されているのだから。



 

【セリフを言い切っていない】

 



「マリィイイイイイイイイイイイ!」



 雄たけびと共に放たれる右足。片足をガードされ浮いている状態から、斧のように足を振るい垂直直下に全体重を乗せて、ガードの上からお構いなしに放つ。


 それは最初にやられたお返しと言わんばかりのガードの上からの追撃。


 その一撃がレンの動きを止めさせる。両腕に走る衝撃。二撃目を重ねたことによる体勢の固定。吹き飛ばされる未来を否定するように戦場に残った男の抗うとどめの一撃。


 完全に身動きを封じられたレンの目の前に映る老人。殺気を全開にし、溜めた拳は準備を終えている。両腕が櫻井の攻撃の重みで動かない。その警戒すべき男の一撃に間に合うことが出来ない。


 ——ま……ずイッ!?


臓咬ぞうこうォオオ」


 殺しの視線がレンの赤い瞳を見殺す。




蛇陀じゃだァアアアアアアア!」




 それは元御庭番衆お頭の殺しを極めた技術。


 腰を捻り放たれる力を溜めた右の蛇がレンに猛突してくる。それは蛇の毒牙。命を喰らう毒の牙。無防備な腹の内臓目掛けて獰猛な蛇の毒牙が開く。


 奥深くまで突き刺さる指が肉を掴み取る蛇拳。


 尋常ならざる握力を持った三指さんしによる、命を捕食するついばみ。相手の内臓を掴みだす様に相手の体内に入った指が閉じて、無慈悲にレンの体から引き抜かれた。


「——勝負ありですな」


 引き抜かれた速度によって血が舞い飛び辺りを湿らせる。返り血を浴びた老人の手に掴まれる物体。レンの腹から止めどなく体液が滝のように流れ出る。それを押さえる様にレンは手を当てて呼吸を荒らげていた。


「テメ……ェ……」


 悔しそうにこちらを睨むレンを前に、時の手から物体が投げ捨てられカランコロンと音を立て道端を転がる。櫻井はトキの技術を見て眼をひん剥いていた。


 自分も殺すつもりでやっていたが、時は本気で殺す気だった。


 ——アバラを抜き取りやがった……。


 地面に人骨が転がる風景。相手の体内から一本の骨を抜き取ってみせた。レンが未来予知によって反応して後ろに下がったからそれで済んだもののだ。本気で腸や臓物を引っ張り出しかねない攻撃。


 櫻井は殺人行為を躊躇いの一つも無くやってみせることに驚愕を感じる。


 その一瞬を狙われた――。


「クソッ、アイツ!」

「待ちなさい!」


 腹から流血をしながら逃げていくレンを追いかけようとした櫻井の肩を掴んで時が制止をかけた。撤退したのであれば問題ないと首を振って見せた。これ以上の必要はないと。


「アバラを失った手負いの敵を追うよりも、玉藻様の安全確保が先です」

「………すいません」


 これは玉藻からレンを遠ざける戦いだったはずだとトキはいう。自然と頭が下がる櫻井。戦いの中での尊敬の念が強いが故に子分のように普通に頭を下げて指示に従っていた。


 時は「それに」と言い終えて櫻井の肩をトンと叩いた。


「へっ――」


 それは何かの武術でもなかった。ただ時が普通に肩を叩いただけだった。


「その状態で追ったとしても満足に行きますまい」


 櫻井の足がその場に崩れて下にペタリと座り込むような体勢になった。


「なんだ……これ…………」


 櫻井は、そこから立ち上がることも出来なかった。突如としていきなり息がこれでもかと上がり、汗が噴き出して止まらない。格上の戦いに全力で集中し相手を騙すために取り繕っていたものが、露わになったに過ぎない。隠していた戦闘中の疲労が一気に溢れかえったに過ぎない。


 ——こんな状態だったのか……俺は……。


 それでようやく気付いた。格上の戦闘のど真ん中で体験した死地。それを普通にこなせていたわけではないと。トキに支えらえていた部分が大きい。


 もっと知りたいと渇望していた興奮状態が忘れさせていたにすぎない。


「櫻井様、ご尽力感謝いたします」

「時さん……」


 息が上がったままの櫻井を残して執事長は主の下へと歩いていった。その少女の手刀が撃ち込まれた首元を確認し、愛おしそうに軽くさすって軽々と抱きかかえる。


「あと、これは私からの忠告でございます」


 疲労困憊の櫻井に向けて、時は玉藻を抱えたまま振り返る。そこにある少年の姿に悲し気な瞳を送る。よくやったと言ってやりたい気持ちを押し殺し、時はただ冷酷に櫻井へ向かって言葉を吐きだした。




踏み込むのは、あまりに命知らずでございます」




 それは老人からの忠告だった。


「では」


 老人は言葉を残して立ち去って行く。


 時は櫻井が何か強について調べていることも知っているからこそ伝えるべき言葉だった。年にしてはやると言ってもその程度の次元でしかない。


 ——この先へ踏み込むのなら、それでは……足りませぬ。


 だからこそ、忠告なのだ。これ以上、深入りするのであれば死を覚悟しなければならないという忠告に他ならない。櫻井が知ろうとすればするほどにその道が過酷になることを老人は知っている。


 ——いましばらくは生かしておきますゆえ、精進なされ。


 その道がいつか自分とぶつかるかもしれない。そして、御庭番衆との道に繋がるものになるやもしれない。それは櫻井次第でしかない。それを止める権利は自分には無いと老人は少女を連れて帰路を歩く。




《つづく》

 

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