第81話 未来を超える二匹の蛇

 頬から出る血をレンが止める間もなく櫻井が攻撃をけしかける。時が拳を引き戻すと同時に横に躱していた体勢を整えて足を上げて体を捻らせる。レンにとっては苛立たしくてしょうがない。


 ——このガキッ!!


 防御は間に合う。それでも視界に映る顔が気になる。ただ氷のような冷めきった視線でこちらを視てくる。見下ろす様に僅かに瞼が降りている。だが、気をとられているわけにもいかない。赤い瞳がレンに危機を知らせる。

 

 ——なんでッ!?


 未来で蛇が踊る。空を泳ぐように荒唐無稽な曲線がレンの体を襲う。櫻井の攻撃の合間を保護するように放たれる蛇が何より厄介だった。気を抜くわけにはいかない。未来予知すら完璧に捉えられない軌道。


 ——何がおかしい……何をしたッ!!


 回避しながらもレンの顔が歪む。


 明らかに最初の三竦みの時とは違う。二対一になった時とも違う。


 ――この短時間で……何を掴んだッ!!


 殺気の質が変わったことよりも、その無表情な仮面を被ったことよりも、


 違う――動作のキレが明らかに上がっている。迷いがなく恐怖がない。


 ただ、それだけでもない。違いすぎるのだ、お荷物と思っていた相手とは。


【そのピエロは何も変わっていないさ】

 

 神々は櫻井の戦いを見つめて口角を緩ませている。変貌と取るには些かレンは分かっていない。ステータスが変わったわけでもない。攻撃力もスピードも防御力もそのままでしかない。


【最弱でありながらも舞台に駆け上がってきた道化どうけに他ならない】


 それでも神々は知っている、その男は道化だ。


 神は櫻井に異世界での戦闘経験がないことも知っている。見るも無残な人生だった。当初は神は一人として彼の物語に見向きなどしなかった。彼の物語には絶望しかなかったからだ。舞台に立てる器などないとタカをくくっていた。


【それでも彼はいくつもの絶望を超えてきたんだ】


 しかし、段々と終焉の中心に着々近づいてくる足音に気づいたのは最近だ。




【取るに足らないと侮ったのが君の間違いなのさ、蓮!】




 神は知っている。この戦場を一変させたのは他ならない櫻井だと。時でもレンの動きが鈍ったわけでもない。いま戦闘を巧みに操っているのは舞台の上で踊る道化に他ならない。


 ——大したものです……よもや、ここまでとは。


 櫻井の後ろで視ているトキも知っている。これが櫻井の作戦だと。


 ——少々、わたくしも見誤っておりました……櫻井さん。


 櫻井の後ろで戦うトキには丸見えだった、死の恐怖と隣り合わせに近い状況でただ冷静に動いているに過ぎないことが。それでもソレがこの状況で出来るのが予想外だった。


 ——その年でよくもそこまでなられたものです……。


 高校生という年で死を前にして恐れを知らぬ。それも人の指示に任せて命を預ける状況でありながらも自分を見失うことがない。完全に信頼とは違う。この男は自分で決断をしている。


 ——年甲斐も無く……


 時の体を熱いものが駆け巡った。櫻井の背中を視ていると心が躍る。体の動きのキレは鍛錬の証。磨き上げてきた肉体だということは分かる。そして、武の基本を誰かからしっかりと学んできたことも見て取れる。


 ——止まりかけの心臓が……


 それには時も興奮を隠し切れなくなり顔がにやけてしまう。


 銀翔との特訓で身につけた武術、限界を超えるハードトレーニングで作った肉体。なにより一番に感じるのはここ一番で発揮された、その胆力ということに他ならない。この少年はこの追い詰められた状況で時政宗の指示に合わせて完璧に動いているのだから。


 格上の戦いに割って入り一番苛烈な場所で役目をはたしているのだから。


 櫻井が乱入して最初のガードをした時に合図があった。


 時の視線が下がった。それは櫻井のガードに使われていない手を見たものだ。その掌に赤いペンで書かれた作戦。それはレンを倒すために、未来予知を超える為に、考えに考え抜いて練った櫻井の策。


『背中に触れればいい。口に出せずとも時さんの指示がオレに伝わるから』


 心読術を使った連携。背中に時の指が触れればそれを読み取ることが出来る。レンとの戦闘で生き残れたのはなぜか。


 時の指示が、時の助力が、あったからだ。


 だからこそ、櫻井はトキの指示に身を任せて動くことを決断した。


 それでも、それは簡単なことではないとトキには分かっている。


 この命がかかった状況下で他人の指示に身を任せられるという胆力が優れているのだ。頭で分かっていても心が臆するはずだ。そこに死があるのだから。一番死に近い場所へと踏み込むのだから。


 それを迷いなくこなすにはが必要だということを時政宗は知っている。


 

 ――跳ねてしまいますぞッ!


 

 その若き愚行への称賛に鼓動が喜びを伝えてくるのを止められるわけもない。

  

 ——ダメだ……押され始めているッ!?


 次第にレンの攻撃が繰り出されなくなっていった。止まることのない連携。お互いに穴をつくように入れ代わりで攻撃が襲ってくる。それも段々と二人のスピードが上がってきている。未来予知が段々と追いつかなくなっている。


 ——コイツの……狙いは……


 そこで櫻井のをレンは理解した。


 何の為に櫻井が、レンとトキの間に挟まれているのか。防御をしながら気づいた。これは赤い瞳の未来予知を理解していると。自分の能力がどういうものなのか考慮しての作戦なのだと。


 ——目隠しブラインドかッ!!


 未来予知を考え抜いた櫻井はある一つの仮説に行きついた。時の攻撃は不規則に変化するが故に対応ができない。さらに自分がいることをレンが嫌がった理由とは何だったのかと。


『未来予知のとは何か?』


 櫻井はそこである結論に達した。未来予知と言っても万能ではない。神のような視点で未来を視ているものではない。もっと不完全で人間的な欠陥を持っているものだと、完全無欠の能力などないと。


 ——あの立って視ていた短い時間で気づいたっていうのか……


 それはレンの能力の欠陥ともいえるモノ。その赤い瞳の先に映る男が解き明かしたに他ならない。おまけに打たれた手は一番懸念していた状況を生み出している。


 ——なめて……いた。


 時政宗の姿を隠されていることがレンにとっての最悪の状況。


 櫻井という男の存在をはかり間違えていた。この状況で命を捨てにきた暴走行為だと認識をしていた。それがここまで化かされるとは思いもしなかった。完全に欺かれていた。気づいた時には術中に嵌っていた。


 ——このガキは……ッ


 歯を強く食いしばるレン。段々と二人の攻撃が早くなっていくことに危機感が生まれる。どうして、そうしなかったのかと後悔にも似た念が募る。次第に二匹の蛇が絡み合っていく。攻撃を重ねるごとにお互いの連携を高め合っている。


 ——もっと早くに殺しておくべきだったッ!


 櫻井の存在に気づいたときに遅かった。圧力がドンドンと上がる。その蛇は一つの脳で動いていることに他ならないのだから。時政宗という人間の思考を吸い取り動いているのだから。


 ——スゲェ……


 櫻井も心中で興奮を覚えていた。背中に指が触れる度に甘い毒が流れ込む。それは時政宗が費やしてきた時間が濃縮された成熟した果実のような雫で流れ込む。


 櫻井の静かな心に波紋を撃ち、広がっていく。


 ——こんな戦闘思考があるのかよ……


 銀翔との戦闘訓練では味わえなかった。銀翔は自分の手を引いて導くように優しくレベルを上げていっているのだから。この死を前にした絶望的状況だからこそ、その思考の雫が櫻井の意識を持っていく。


 ——とんてもねぇよ、アンタ……時さん。


 指示に従うと腹は決めていても、それがどんなものなのか分かっていなかった。時政宗が考える戦闘の組み立てがどうなっているのかなど知る由もなかった。日本特殊諜報機関のトップが持っている戦闘思考など辿り着けるわけもなかった。


 ——これじゃあ……こっちのほうが……、


 頭に流れ込む指示は明確だった。触れた時間に応じた情報しか得られない。それでも端的に速く完結している。身を任せるだけでレンを圧倒していく。


 ——まるで、


 それはダブルSランクの戦いに身を置くことになる経験という甘い体験。




 ——未来予知みらいよちじゃねぇか……。




 うっとりしそうになるくらい心酔しそうになる。ただ方向と攻撃を限定されるだけ。それで時は自分の動きを視て、レンの動きを視て、最適解を出す。どれだけに考えようとも追いつけない。思考のプロセスが洗練され過ぎている。過ぎ去った時間の重みが違うのだと味わうしかない。


 櫻井じぶんを操り、敵を操り、未来を操る、蛇使い。


 ——あぁ、堪らねぇ……キモチィ。


 それと一体になっている感覚は麻薬のようだった。


 ギリギリの死地で口にする年月を重ね成熟した果汁が心を満たす。


【右横に蹴りを放ちなさい!】


 その甘美な指示が櫻井を支配していく。


 ——了解です。


 ただ従うのではなく心酔する。自分一人ではたどり着けない領域。Sランクという限界を感じていた。その先の成長が途方も無く長くダブルSランク迄の成長は諦めていた。


 ステータスが足りないのだと思っていた。


 だが、この次元を知ってしまえば違うのだと分かる。


 これはステータスでは測りきれない領域のものだと。


 攻撃力や速度スピード、防御力といったものとは違う次元の話だ。


 相手を操り自分の攻撃を自在に操る磨き上げられた武だ。まだその高みに届かないということは分かっていても実際に感じたことが大きかった。戦闘はステータスだけでは語れないと。そこにある戦闘的思考も勝敗の一部なのだと。


 ——もっと知りてぇのに……もっと感じてぇのに……


 櫻井の表情の仮面が崩れていく。この心地よさがずっと続けばいいと願ってしまうから。新しい世界が開けた様に広がっているのに。防戦一方になる格上のレン。それを間近で見て体験しているのに。


 未来予知ヴィジョンという反則級の能力でさえ手玉に取れるのだと思い知ったのに。


 ——そろそろ、終わりか……。


 追い詰められたレンの赤い瞳が能力を発動する。


 ——どうにかしねぇとッ!


 だが、未来が変わる瞬間だった。時が櫻井の背中に触れて指示が流れ込む。


【櫻井さん、決めます!】


 ——わかったよ……時さん……。


 櫻井は悲しそうに小さく頷いた。これが最後かと。


 そして――二匹の蛇は赤い瞳に映し出される未来を超える為に動き出す。

 


《つづく》

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