第68話 もう、誰も止まることなどできないだろう。大きく狂っていく世界に

 ヘルメスは彼らの変わりゆく世界が映る空の上を静かに歩く。


【もう、この動きは誰にも止められない】


 その下に映し出されるのは二人の姿。走り抜ける二人の魔物と女。


「アインツ……もっとアジトの近くに移動してよ!」

「ミミ様、さすがに能力にも限界がありますので……」


 困ったように答える吸血鬼とふてくされる金髪ツインテールの少女は街中を駆け抜けていく。二人が目指す場所は奥多摩の洋館。二人の動向を見てヘルメスは頬を緩める。


【この終焉から君たちは逃れることなどできない】


「——ッ!」


 その声に反応するように急停止に近かった。


「ミミ様?」


 何かを感じたからミミは立ち止まった。


「…………」


 ヘルメスに視線を合わせる様に少女は遥か上空を見上げる。狂った少女は何か違和感を感じて立ち止まった。何かに見られているような気がした。静かに彼女の冷たい手が自分の喉元に触れる。遥か遠くの上空を自分の喉を首を絞める様に押さえて見ている。


 彼女は目を閉じて耳を澄ます――。


『ミミ――愛してるよ』


 聞こえないはずの声。喉元に懐かしい両手が触れた感触がした。それは少女の過去の記憶。自分の首を力強く閉めた男の記憶。いまは亡き遠い空の住人。


 …………パパ。


 幼かった遠き過去を思い出す様に彼女は瞼を開けて空を見つめる。


「アインツ……急ごう」

「ハ……イ? チョっ!」

 

 慌てる吸血鬼を他所に言い終えた少女は急に駆け出す。その足は大地を蹴り加速していく。ツインテールが風で後ろになびく。


「パパが危ない気がするッ!」

「ミミ様、待ってください!」


 この狂った世界に染まっていくように彼女の狂気も加速していく。


【時代を担う君たちが進む先が終わりに続く道だとしても】


 誰もが動き出さずにはいられなかった。鈴木玉藻も涼宮強も、櫻井はじめもミミも走っている。それぞれがそれぞれの物語を描くように走り出す。


【――走れ】


 ヘルメスの視線は別の場所へと飛んだ。そこに映るのは違う人物たち。


【時代の陰で暗躍してきた君たちも動き出すのかい……】


「お前たち、これは総理からの勅命だ!」


 仲間を前にアジトで吠える女。結わいた長い髪が胸元で揺れる。白い聖なる服を叩きつけて揺らす。白い修道服が彼女の戦闘服。それに身を包んだ女は吠える。


「動く時間が来た……任務だ!」


 声を張るお頭に獣人で十代ぐらいの狼少女が嬉しそうに飛び跳ねる。手甲てっこうをつけた拳を叩きならしてやるぞと気合を入れている。


 そこは蝋燭だけが灯る暗闇のアジト。

 

 日本特殊諜報機関――御庭番衆のアジト。


 その横で男が呆れた様に問いかけた。


「お頭……」


 二十代半ばの男、口元が隠れるほどの赤い長襟のコート。白と黒が縦のラインに混じったメッシュの長髪。髪で片目が隠れていながらも、見えている片方の紅い眼でお頭を強く見つめる。

 

「全員揃ってないけどいいのか?」

「レン、ココにいないやつはにあたっている。私達だけでやる」


 まだここに揃っているのは五人、全員で十人。レンと呼ばれた男はメンバーが不足しているがお頭がいうならしょうがないと小さいため息をついて答える。


「……了解」

「まぁ任務で五人も揃っていれば上等な方だろう、キャシャシャ!」


 レンの呆れた反応に横で男が気味悪く嗤う。レンの視線が自分より下を向く。背中が曲がっているせいで余計低く見える身長。屈折した体勢から床につく長い黒髪。片目は義眼なのか肥大して瞼を突き破りそうだ。


 そんな男が両手で鋼鉄製の長い爪をつけて楽しそうに嗤っている。


「ソウの言う通りだ、レン」


 ソウと呼ばれる男は妖怪の類だと言われても納得しそうなほど気味の悪い笑い声と風貌をしている。その妖怪が五人でも多いとマシだと言った。お頭と呼ばれる女が答えた背景にあるのは御庭番衆という集団の力に他らない。


「お頭ぁあああああああ!」


 大男が野太い声を上げた。


「——ゥッ!」


 慌てて獣人の小狼シャオランは耳を押さえる。その体は声を反響するには適している。ふくよかな腹と二メートル近い相撲取りのような巨漢。剃り上げた様に光を反射する頭部。首に巻いている直径一メートルを超える数珠。顎から長く伸びる剛毛な髭。江戸時代の囚人のようなボロボロの服。


 男は大きな鼻から音が聞こえるほどの空気を出してお頭を見つめる。


「任務で殺してもいいんだよなぁああ!」


 クリクリした目で興奮気に語る禿げた大男。殺しを望むような野太い声。


「男も女も全員殺して、OKだよなぁああ!」


 五月蠅い声に誰もが嫌悪の顔を浮かべる。言い終わって相撲取りのようなコヒューと聞こえる呼吸音が彼が興奮している様を如実に伝えてくる。


 レンはその狂った姿にため息をつく。


「あぁ、サイ……」


 その姿に聖なる戦闘服を纏ったお頭はニヤリと笑みを返す。




「好きなだけ殺しな――これから任務を伝える!」


 今回与えられた任務は。それをお頭が仲間達に説明する。


 総理から引き受けた内容をそのままにやることを伝えていく。


 小狼は小さく頷きを繰り返す。大男は鼻の穴を広げて顔にしわを作って嗤う。ソウと呼ばれた男は気味悪く手を叩き爪を鳴らす。その中で、レンと呼ばれた男が呆れた表情から変わっていった。


「お頭、俺にいかせてくれ!」


 その任務を聞いて明らかにレンの表情が変わる。そして態度も変わった。


「いま説明しただろ、レン……」


 先程まで冷静に見えたレンが興奮気味に語ってくる姿に逆に呆れた。レンは冷静な男だと知っている。その男がここまで熱くなっているの理由があるのは分かる。


 それでも――


「アンタと小狼は私と行動してもらう。別チームだ」

「なっ……」


 女はそれを許さなかった。私情と任務は別物だ。


「ソウとサイは先に行って奴らに挨拶しときなッ!」

「なんでッ!」


 待てと動き出すレン。自分が違うチームなことにレンが声を張り上げた動作にお頭の右腕が動く。あまりに言うことを聞かないレンの首元に強い衝撃が走った。


 そして、その瞳は殺しをも厭わない冷たさを宿す。


「レン、冷静になってくれ……私が殺さなきゃいけなくなる。お前は——」


 再度強い衝撃が走る。それは女の腕だが腕力は別物に近かかった。身体強化のバフが掛かっている聖職者の力。優しい声色から一転、レンの喉元が閉められ空気が漏れ出る。


「アタシに従えッ!」

 

 体ごと壁に打ち付けてヒビが衝撃で入る。お頭の右腕が離れてレンが体を床に打ち付けた。それに心配した小狼が走ってレンの元へと近づいてく。サイとソウはそんな光景を気にせずに嗤っているだけだった。


「アタシの命令に変更はないッ!」


 お頭はレンに背を向けて、サイとソウに指示を出す。


「先に行けッ! 私達はもう一つの任務を片付けてから合流するッ!」「キィイイイイイイ!」「オッシャアアアアアアアアアアア!」


 歓喜の声を上げる二人の忍び。それを小狼に抱きかかえられる咽ているレンが怒りの眼差しで見つめていた。レンという青年にはどうしても、それが許せなかった。その役割を与えられるのは自分であって欲しかった。


 彼の紅い眼にはが燃えがっていた。


【狂ってるんだ、君たちは。どこまでも狂っている】


 その様子を見ていたヘルメスはクスクスと嗤う。まともな人間などこの世にいるはずもないと言わんばかりに神は嗤っている。ずっとそういう世界を見て来たのだと。


【この世界はどこまでも残酷に狂っている……君たちもだから狂っていく】


「リーダー……どうしたんですか?」

「偶然にしちゃ……おかしいよな」

「ハイ?」

 

 三十代ぐらいのスキンヘッドが包帯の男が考え込むさまを不思議そうに見つめた。その視線を一切介さずに包帯の隻腕は片腕で顎に手を当て考え込む。


 ——第八と……特異点シンギュラリティ


「あまりに不自然だと思わねぇか……ソリッド」

「……?」


 ——偶然か……。


 総理の放送があったことを知っているが故に包帯の男はソファーに座って考え込んでいた。今日という日に重なったことがあまりにもひっかかる。


「リーダー、ごめん……解除されちゃった」

「あん?」


 三角帽子をかぶった女の人形が包帯男に語り掛けてきた。その後ろにいる操るパーカーを着た小さな少年も申し訳なさそうな顔をしている。両手に腹話術の人形――もう片方のあくどい顔をした男の人形が喚きたてる。


「マカダミアに仕掛けた呪術が消されちまったんだ!」

「そうだよな……それだよ……無道ムドウ

「……?」


 ——奇跡的に重なったってわけでも……ねぇか。


 強たちの教室にその呪術を施したのは他ならない――異世界異端児マッドマーダーという狂人たち。マカダミアに接触したのは単独で面白がったミミが現場に状況を見に行った際に起きた出来事。


「偶然にしちゃ、ちぃーと出来過ぎだな……」


 だが、パーカー包帯男の中で何かが合致していく。


 ——鬼が出るか蛇が出るか……ワリィ予感が当たったな。


「メンバー全員に伝えろ――」


 包帯男は勢いよくソファーを立ち上がる。先程から不可解な発言をしているリーダーをじっと見つめるメンバー。その男が何を考えているのか分からない。だが、男は仲間に向けて声を張り上げる。




「上客が来る、テメェら客を迎える準備を整えろォッ!」





 普通ではない状態を示す言葉が飛ぶ。空手の道着を着た男が正拳突きを止めてリーダーの声に振り返り、間を開けて嗤って見せる。そこに居たメンバーたちも嗤って見せてから走り出す。狂気が動き出した瞬間だった。


 そのリーダーの言葉だけでこれから何が起きるのかを理解した。


 これから来るのは敵襲だ――。


 一人取り残された部屋で包帯の男はソファーに脱力して寄りかかる。


「ったく……ミミがいねぇのがイテェな……」


 嫌な予感があり吸血鬼へ金髪少女に戻るように伝言を頼んだが予感が当たった。この総理が放送をするほどの異常事態が起きた日に重なっただけだ。たまたまそれがちょっかいを出した日に重なっただけだ。


 ソファーに座った包帯の男はそれを予感していた。


 突然、包帯男が体を痛めつけれたような苦悶の声を上げた。


「クァアアア――」


 包帯の隙間をぬうように手がめり込んでいく。顔の部位に指がツッコまれていく。その痛みに男は声を上げたのだ。右目を握りつぶす様に指が動く。包帯から男の血が流れ出る。狂った男は自分で自分の眼球を握りつぶした。


「ちょっと、」


 それは彼の能力を使うためだ。その男の能力系統はソレに当たるのだ――媒介という生贄を要する術という部類に。その右目を媒介に男は自分の予感を確かめに行く。


「見さして貰うぜ」




【もう、誰も止まることなどできないだろう。大きく狂っていく世界に】





【君たちはその歯車なのだから――】




 ヘルメスが空に手から白い鳩を飛ばした。それも一羽ではなく大量に彼の世界を染める。空の上にある世界でさらに空を白く染めていっぱいの伝書鳩を飛ばす。


【鳥達よ……】


 その飛んでいった鳩たちに願いを託すように神は手を広げる。


【招待状届けておくれ】


 鳩が持っていたのは招待状。白い封筒に赤い便箋。彼には役割がある。


 ヘルメスはオリュンポス十二神が一人。その彼が与えられた役割がある。 


【今宵、】


 だからこそ、彼は世界に動きがあったことを神々に知らせる。


 彼は『神々の伝令使でんれいし』なのだから――。


【神々の宴が始まると】



《つづく》

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