第69話 それは人々に対するものだ。人類という種に対する神の問いだ

 ヘルメスは宴の前に身を清める。これから彼にとっては仕事があるのだから。招待状を送った神々を持て成さなければならない。宴を開いた以上は彼が主催者になる。


【いつから、君たちは夢を見ることを諦めた……】


 失望にも似た声で届かぬ声で問いかける。


 それは人々に対するものだ。人類という種に対する神の問いだ。


【いつから、君たちはそんなに憶病になってしまった……】


 だからこそ、彼は人々に思いをはせる。


「美麗ちゃん……大丈夫、心配ねぇさ」

「ハルオ……」


 眼帯の男は妻を抱き遥か遠くへ続く空を見る。時を告げる砂時計が落ちたということは大きい事態が起こるということ。


【いつから、君たちは未来に不安を感じるようになった……】


「どうにかしてくれるさ……」


 その不安を払拭するように彼は愛する者へ声を大きくして告げる。


「俺の仲間たちがッ!」


 神などに祈らない。晴夫が信頼しているものは違う。自分の意志を受け継いだもの達がいる。それを日本という国に置いてきたのだ。彼と共に戦った仲間達がいる。彼がゼロから作ったものがそこにあるのだから。


 残っているのだから――。



【いつから、君たちは責任を負うことを恐れるようになった……】


「俺の班と志水班のメンバーいま言った通りだ!」


 晴夫の一番の舎弟だった男は仲間に吠える。彼が引き継いだものの重責は計り知れない。西日本という広い範囲をカバーしなければいけない重圧。それでも彼は吠える。


「時間がねェエエ」


 涼宮晴夫という始まりの英雄が残した黒服が彼の誇りでもある。それを廃れさすことなど火神恭弥という人間にとっては許されざる行為に他ならない。


「いますぐ全員戦闘準備を始めろォオオオオオッ!」


 ハイ! 


 と、その怒号のような号令に大阪支部の隊員たちは答えるように動き出す。


「あの……ちょっとお話いいっすか、火神さん?」


 散開するなかで、ただ一人だけが指揮官の元へと駆け寄っていった。


「なんだ……?」


 彼ら二人を残して全員がロッカールームに向かい自分の武器を手にする。自分の装備を黒服の上から整える様に装着していく。誰もがこの異常事態にその責任と緊張を持って張り詰めていた。


【いつから、君たちは死というものを救いだと思うようになった……】


「田岡くん……」

「志水班は第二波に備えて大阪で待機だったよな」


 彼女は心配そうに話しかけた。ローカーを閉めながら同期を前に大柄な男は気さくに話す。これから死地に向かうというのに笑っている男。二人は別々の行動をとることになっている。田岡は火神班に所属し京都の現場へと向かうことになっている。


 彼女の心配そうな瞳に男は返す。


「大丈夫、必ず帰ってくるから」


 田岡の言葉に志水は瞳を潤ませる。彼が行く場所は危険だ。自分とてどうなるかなど分からない。それでも彼が言ってくれたのだ、自分の元に帰ると。


「心配してないわよ……」


 だからこそ彼が帰ると信じて言葉を送る。彼は少し出掛けてくるだけなのだと。


「帰る時間がわかったら、」


 志水は火神がいつもするように彼の胸を願いを込めて軽く叩いた。


「連絡ちょうだいね♪」


 大丈夫、彼は死なないのだと信じるように。ヒロインの声に男は斧を肩に担ぎ威勢よく部屋を出ていく。


「オォウッ!」


 帰るのが当たり前なのだと声を上げた。これから戦場に出る男は帰るべき場所を確認し終え、決意を瞳に宿す。


【いつから、君たちは自分が強くなれないと諦めてしまった……】


「俺も火神班に入れて欲しいんですけど」

「三嶋……テメェ、俺の話を聞いてなかったのか、あん?」


 グラサンの奥の瞳が怒りで歪む。その男は命令を無視している。待機組である志水班に配置したはずだ。それを否定する若き男に怒りの眼光が向けられている。


「聞いてましたよ」


 それに細身のクールな男は強い眼を返す。


 それを分かった上で自分は言っていると。


「けど、俺は――」


 クールに見える男。それでも彼は違う。中身が違う。


「強くなりたいから、貴方と行きたいんです」


 熱き心を秘めている。三嶋隆弘とはそういう男だ。憧れていた支部長の死を誰よりも悔やんだからこそ、三嶋隆弘は強く願う。その願いを火神恭弥の威圧に返す。


 しばらく睨み合いのような時間が続いたあとで、


 火神が三嶋から目を逸らして背を向けた。


「身の程知らずで死にたいなら勝手にしろ……」


 火神恭弥は呆れた様に声を出した。自分の決定事項を認めない完全なる命令違反。それは大人としてはどうなのだと思う部分がある。


「俺は死んでも骨のひとつも拾わねぇぞ……それでも、なぁ――」


 だからこそ、その子供じみた意志を馬鹿にするように言葉を並べ立てる。


 そして、口元を緩めて彼は声を荒げた。





「強くなりたきゃ、死に物狂いで着いてコォイッ、三嶋ァアア!」





 その心意気を買うように黒服は背中で語る。三嶋は願いが届いたことに口元を震わす。この男の魅力はそういう魅力なのだと彼は知っている。強き男の背中を見ろと、その背中を追いかけろと。


「ハァイッ!」


 彼らに待ち受けるのは奈落の門の使い。それも少数ではない。大規模な一個師団を率いてくるであろうことは分かっている。その戦場に向かう理由を彼らは背負って戦っている。





【いつから、自分には何も守れないと思ってしまった……】



「ふぅー……………」


 その黒服を着る男は刀を抱いて精神を集中するようにロッカールームのベンチで佇む。その男は剣豪だ。異世界で剣聖と呼ばれた男だ。


 ——我が家にぶじ帰れるだろうか……俺は生きてかえれるのだろうか……


「……豪鬼さん、集中してるな」「あぁ……スゲェ集中力だ!」「精神統一が様になりすぎだぜ……」「やっぱ……格が違う」「頼もしい人だ、いや頼もしすぎる」


 その姿に誰もが期待を抱く。あまりに渋い姿。絶大な信頼が一人の男に向いている。誰もが彼をその風貌と言動から勘違いする。


 ——死んだら車とか家のローンとかどうしよう……弔慰金ちょういきんで足りるのか……娘の学費とかもあったな……学資保険はいくらだっけ?


「うーむぅ………」


 唸る男は自分の死後を考えすぎてめいいっぱい眉間にしわを寄せる。その表情を渋い男がするのだ。必然と周りの目には意気込んでる渋い顔に見える。だが、豪鬼の頭に浮かぶのは未来のことばかり。


 ——娘と最近まともに会話してないからわからないけど……アイツ、大学とか行きたいのかなぁ……高卒で就職するようなヤツじゃないよな………。


「死んだらさすがに……」


 ——医学部いきたいとか言われたらキツイなー………さらに金かかる私立とかだったらキツイよなー。ミーハーだから海外留学とかもあるかもしれん!


「きびしいなぁ………」


「いま厳しいって言ったよな?」「豪鬼さんでもキツイってことか?」「豪鬼さんですら厳しいのかよ!」「六体神獣規模だって話だからな……」「けど、豪鬼さんなら俺は大丈夫だと思う!」


「うぅん……ぅぅ」


 日本刀の持ち手を弄るように握り直して中年親父はご家庭のことで唸るような声を出した。自分がいなくなったらどうなるのかを真剣に考えてみる豪鬼。


 ——アイツは楽な道選びそうだし、うちの娘は家計を助ける為に絶対国立とか行くタイプじゃないもんなー。家帰ってもソファーでスェット姿で携帯いじってばっかで勉強してる雰囲気ないし、豪鬼やってるの見たことないし。


「娘、いや……」


 ——嫁は俺に生命保険いくらぐらいかかけてんのかなー、かけてないのか、どうなんだろう? ヤッバァ、大黒柱なのに全然家庭のこと知らねぇよ、オレ!?


「家族の為に……」


 豪気が妻子持ちだとみんな分かっている。その渋い顔の裏側に映るのは家族への想いに他ならない。そんなカッコいい悩みではないごくありふれたものだとしても、渋顔フェイスが人々に錯覚させる。彼は決死の戦場に行く前に家族のことを思っているのだと。


 ——今いくら貯金してるかも知らないし、俺が死んだらヤバイよな!?


「——オレは死ねねぇ」


 目を閉じてボソッとこぼした剣豪の言葉に誰もが目を見開いた。これから行く戦場への意気込みが自然と漏れていた。


「豪鬼さん……!」「そうだ……守るものがあるんだよ」「豪鬼さん……かっこいいっす!」「俺たちが死んだら家族が悲しむよな!」「豪鬼さん、やってやりましょうよ!」「魔物なんかみんな斬り殺してやりましょう!」

 

「えっ……?」


 いきなりの展開に困惑する豪鬼の弱弱しい声をかき消す様にロッカールームの扉が開いた。そこに映るのは銀翔の秘書に近い女、杉崎莉緒である。


「皆さん、出撃用の車両の手配が整いました!」


 栃木までの移動経路に使う軍用車両が届いた。それに彼らは乗っていくのだ。誰もが準備が整った瞬間に視線を一か所に集中して見つめる。その男が動くのを待ち構えるように期待の眼差しが降り注ぐ。


 ——これは……豪鬼に何か言えっていう注文ですね。


「いざ、戦場へ――」


 誰もが指示を待っている。剣豪は立ち上がり刀を腰に差す。そして、無言で隊員の横を通り過ぎて扉の杉崎を追い越していく。それに皆が後を着いていく。寡黙な剣豪をリーダーに据えて杉崎莉緒もついていく。彼の後ろに黒服の軍団が続いていく。


 ——なんて言おうか……期待に応えないといけない。よし、言おう!


 皆が期待する言葉をチョイスして豪鬼は渋い顔で吠える。





して、まいるッ!」




 その剣豪の期待に応える号令に誰もが戦場へ赴く決意を固めた。それぞれが守るものを思う。家庭の為に、家族の為に、友の為に、ヒロインの為に、愛する片思いの銀髪の為にと。


 ハイ!


 と守るものの為にと威勢のいい返事が返ってくる。それを豪鬼は背中に受けて、先頭を歩く。彼は頼り無い男である。それでもその背中に背負うものは火神と同じく大きい。


 ——俺がリーダーだから……


 期待が大きい分だけ、彼が背中に受けるものは大きく重くなる。それでも彼はやり続けてきた。だから黒服を着ている。そして、その中で駆け上がった。その地位はブラックユーモラスに於いて、堂々のNo.3。


 ——みんなを無事に帰さないといけないよなッ!


【いつから、どこで君たちは変わってしまった……】




《つづく》

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