第65話 蟻地獄にも似たとても大きな底なしの奈落の終焉に巻き込まれるように

 落ちないはずの砂が落ちていく――


「これは……ッ!」


 異常事態を告げる砂時計。女はすぐさま砂時計を手に走り出す。急激に加速して止まっていた時を進めている。だから、その女は顔に焦りを滲ませながら荒野の上で叫ぶ。


「ハルオッ!」

「どうした、美麗ちゃ……ッ!」


 男は振り返り女が手にする砂時計に目を見開いて悔しさを滲ませる。来たるべき時の到来を告げる様に砂は落ち続けていく。それは特異点に何かあったということを知らせる重力を無視する砂。


 異常事態を告げる砂の崩落――


「早く日本に戻らないと、晴夫!」


 子供たちの危機であることは間違いなからこそ母親は気持ちが先走る。


「ダメだッ!」

「アンタ、こうしてる間にも強たちがッ!」


 止めにかかる晴夫に美麗は声を荒げて返す。子供たちの身を案じているからこそ苛立たしさを爆発させる。それは晴夫とて気持ちは同じだ。一刻も早く帰ってあげたい。


「そんなことは分かってるッ! けど無理だッ!」


 それでも男には曲げられない理由がある。だからこそ美麗に対して声を荒げる。理解しろと。大抵のことは自分のいうことを聞く旦那の怒声に美麗の勢いは殺され、歯がゆさだけが表情を曇らせる。


「まだ足りねぇんだ……この程度の戦力じゃ……」


 美麗と同じように晴夫も歯がゆい顔を返す。


「全然足りねぇんだよッ……!」


 晴夫とて駆け付けられるなら今すぐにでも行ってやりたい。その準備を進めなければいけないことも分かっている。だからこそ国外で彼らは活動に力を入れていた。


「国を、相手にするには……!」


 日本という一国と戦う覚悟を持って晴夫達は国外で活動をしてきた。それでも、まだその時ではない。日本という国を相手にするには、鈴木政玄という男を相手にするには、力が足りないことを自覚している。


 自分たちの力の足りなさをたった二人の人間はイヤというほど分かっている。


「ハル……オ……」


 だからこそ美麗は晴夫の胸に顔をうずめる。この異常事態に力になることも出来ない自分を恥じる様に悔しがるように。そして、涼宮晴夫もその痛みを受け止めることしかできない。


「どうか、頼む……」


 だからこそ、日本へと続く遠い空を見上げて晴夫は言葉を飛ばす。


「みんな……ッ!」


 砂時計は二人をあざ笑うように落ち続けていく。下に溜まっていた半分の量の上にサラサラと積み上がっていく。時が満ちるのを速める様に。


「これは……」


 そして、その砂を持つもう一人の人物も落ちゆく無重力砂アンチグラビティーズをただ眺めていた。手に取りまわす様にしてその変化を確認していく男。その室内に落ち着いた様子の秘書が姿を現す。


「政玄様、連絡がはいりました」

「はぁ……」


 男はため息をつきながら女から電話の子機を受け取る。その電話口の後ろからは異常を知らせるサイレンの音が休みなく漏れ出していた。


『やぁ、君の為に仕事を持ってきてやったぞ。政玄』

「ミチルくん……それはなによりだ」


 二人は電話口に口角を緩めて相手を試す様に笑う。この異常事態を楽しんでいるかのように会話を続けていく。この電話が告げているのは砂時計に紐づくものだ。


『一時間半後に栃木と京都に奈落の門アビスゲートが開く。今回の規模は六体神獣に匹敵するやもしれないぞ、喜べ総理』

「それは困ったねェ……」

『こちらからの情報提供は以上だ。此処から先はお前の仕事だ――』


 第六研究所で判明した結果を伝え終え、役割を終えたと言わんばかりの田島みちるはニヤニヤとした声で電話口の相手に告げる。


『鈴木総理』


 鈴木政玄は砂時計を机の上に置きため息をひとつ入れる。その吐息を聞いた田島みちるは電話口でクスクスと笑う。この男が滅入っているのが堪らなく楽しいかのように。


『歴代最高を更新して株を上げるチャンスだろ。この対応次第でまた国民の支持率があがる楽なお仕事だ、総理』


 それだけを残して電話が一方的に切られた。電話を秘書に渡して鈴木政玄は席を立ちあがる。ただ淡々と上着に手をかけて羽織っていく。これから何をするかなどとうに分かりきったことに他ならない。


「これは困ったねェ……すまない」

 

 背中越しに秘書に呼びかける。


「防衛省に自衛隊の緊急出動要請とブラックユーモラスへの依頼を」

「かしこまりました、国民への全国放送は何分ごろ行いますか?」

「五分だけ時間をくれないか……」

「では連絡事項を終わらせて、総理を五分後にお迎えにあがります」 


 そういうと秘書は扉を静かに開けて外に出ていった。一人部屋に残された政玄は携帯を取り出しコールする。これはこの緊急時だからこそ彼に必要なことだった。


「ちょっとした依頼だ、頼めるかな?」


 総理はただ無表情のまま電話口で用件だけを二つ伝えていく。そこに込められる感情はなくただ冷静に一縷の動揺もなく、その電話を終えて彼はまた砂時計を手にして眺める。


「これは……どうも……」


 その仮面の表情が割れる音がした。取り繕ったものが剥がれ落ちて剥き出しの人間の感情が溢れかえる。これは常勝無敗の彼自身も望んでいない事柄だった。


「やってくれたねェ……」


 その矛先が向かう先は決まっていた。その為に電話である者たちに連絡を取ったのだ。その者たちの敗北を願うように。その者たちの行く末に呪いをかけるように。


「総理、約束のお時間です」

「あぁ……いま行くよ」

「総理、お待ちください……」


 秘書に言われて席を立ちあがる総理の前に秘書が近づいてく。そして総理の頬に両手を当てて彼女は無表情のまま総理に苦言を呈す。


「そのお顔のまま会見をされては印象が悪くなるかと思われます」

「あぁ……そうだね。これではいけないね……」


 その一言で彼は仮面をかぶり直す。


「じゃあ……行こうか」


 誰もが認める、誰もが讃える、歴代最高の総理大臣と言われる男の表情へと。カリスマを持ち、知性をうかがわせる表情に僅かに微笑みを混ぜた総理大臣の顔へと。


「傑作だった、政玄のやつにため息をつかせてやったぞ!」


 鈴木政玄の電話での応対に田島みちるはご満悦の表情で笑っていた。


「これだけでヤツに電話してやった介があるというものだ!」


 隣で見ている研究員は苦笑いでその姿を見ている。田島みちると鈴木政玄の関係は歪だと周囲は認知している。お互いに飛びぬけた存在。歴代最高の数学者と歴代最高の総理。どこかでお互いに通じ合うものがある。


「所長……いくらなんでも相手は総理大臣ですので……」

「構わないさ! アイツと私はそういう仲だから」


 お互いにやるべきことをやるだけの人間であることを理解しているが故に感情を揺さぶるのがお互いに楽しくてしょうがない仲なのである。国の飼い犬となる研究所所長でありながらもどこかで飼いならされることを嫌う田島みちるの我が出たが故の関係に他ならない。


「銀翔さん、総理官邸から連絡が入りました。場所は栃木と京都です!」

「杉崎さん、ありがとう……」


 どこまでも波紋は広がっていく。砂時計の砂が加速した日を追随するように多くの人間たちが踊らされていく――蟻地獄にも似たとても大きな底なしの奈落の終焉に巻き込まれるように。


「頼めるかい――」


 会議室で三傑会議を行っていた銀翔は二人に顔を向ける。


「豪鬼、火神」

「承ったでござるよ」

『寝言いってんじゃねぇぞ、銀翔! 京都なら元から大阪の管轄だろうがぁッ!』


 テレビモニター越しにグラサンの男が吠える。銀翔はそれにため息をついて困惑して驚いている杉崎に戻っていいよと告げる。そして、モニターに眼を向けて解散を言いかけた時に慌てた声が飛び込んできた。


「後付けで申し訳ないです! 今回は六体神獣クラスの可能性が高いとの……ことですッ!」


 三人が一斉に声を出した主に向く。その顔は何かを思い出す様に杉崎莉緒の顔を貫く。あの日に起きた出来事の当事者たちであるからこそ、その言葉の意味の重みを知っている。

 

 三人の強い視線を受けて瞼を閉じるのを堪える杉崎。


 だが、すぐに視線は逸れて三人がことの重大さを認識するように視線で何かを伝え合う。この異常事態がどれほどの規模であるかを三傑が認識した瞬間だった。


『こっちはこっちの判断でやる。そっちはまかせるぞ……銀翔』

「わかった。それで構わない」


 そういうと舌打ちしながら男が写る画面が消える。剣豪の深く大きな溜息が会議室に漏れ出ていく。それはこれから望む戦いに気合と覚悟を入れる様に見えた。


 剣豪は日本刀を脇にさして立ち上がる。


「銀翔殿は第二波に警戒をお願いするでござる。栃木は拙者にまかせられたり」

「豪鬼……何かあった時は駆け付ける!」


 心配そうな声をおくる銀翔。会議室の扉に手をかけ剣豪は振り返る。


 その刀を握る手に力が入っている。


「拙者が全て叩き斬って終わりでござるよ。銀翔殿は万が一の際にイレギュラーの対応を頼む」


 頼もしくも見える風貌に銀翔は無用な心配だったかと静かに笑って見送る。豪鬼は廊下に出た刀にかけていた手を降ろす。どこか力を抜くようにして目に力を込める。


「今日は残業確定だな……おひとり様でレンジでチンか」


 ふざけた言葉を吐きながらもその渋い男の顔は戦闘に赴く準備を整えた。



《つづく》

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