終焉を告げる砂時計は加速する。神々からの万雷の喝采をッ!
第64話 国立第六研究所に広がる波紋
ただ、それだけのことだった――
ただ、それだけのことでしかなかったはずだ。
「どうしよう……どうしようッ!」
——強ちゃんに……どう思われ……て。
走り続ける少女が間違えて特異点と呼ばれる彼に告白をしてしまっただけのことだ。そんな彼らの普通の学園生活がこれからもたらす災厄に他ならない。この一日を長い一日に変えるなどと。
誰がそんなことに気づくというのだろうか。
たった二人の存在が世界を狂わすと。
たった、それだけのことで――世界が大きく動き出すと。
「所長、所長ぉおおおおおおお!」
大声を出しながら研究員が研究所を走り回る。そこは日本国における国立大六研究所。赤いランプが警報を鳴らし緊急事態を知らせる。真っ白な廊下を白衣を風になびかせ男は大声を上げながら駆け抜ける。
「くそッ、くそ!」
自動扉の前で素早くカードリーダに個人カードをつける。慌ててパスワードを入力するもエラーが返ってくる。焦りが彼を狂わせる。認証が厳重であるが故に手順が多い。網膜をスキャンさせ扉が空くと同時に彼は部屋の中へと体を潜り込ませる。
「所長ッ!?」
彼は慌てて顔を逸らす。彼の前にいる布団に腰掛けた少女はやかましいと言わんばかりに顔を歪める。真っ白な部屋に下着姿のままで彼女は足に黒いニーソックスを通しながらもその男に話しかけた。
「わざわざ呼びに来なくてもわかってる……」
外見を見れば十代でも下の方だろう。慌てて視線を逸らしている研究員の視線など気にせずに彼女は室内のクローゼットへ下着姿で歩いていく。
その幼女はこの研究所の長である。
「すみません、田島所長のお着換え中に!!」
彼女に敬意を払うが如く研究員は頭を勢いよくさげた。彼女はそれに見向きもしない。田島みちるにとってはそんな謝罪の行動などどうでもいい。
彼女が求めるのは結果に他らない。
「この最大音量の警報がなっていれば、私だって起きる」
人を不快にするような警報音。それが研究所全体で悲鳴を上げているのだ。彼女の室内にいてもそれはけたたましくも危険を知らせている。彼女は衣装棚から黒のゴスロリ服を取り出し袖に腕を通していく。
着替え終え、服に入ってしまった髪を弾き外に出すと田島はやっと研究員に眼を向けた。
「そんな私をわざわざ呼び起こしに来たということは」
それは侮蔑に近かった。別に下着姿を見られたからという理由ではない。
「既にデータは整って用意してあるんだろうな?」
それを言われて研究員は顔を引くつかせる。異常事態に冷静に動けと言わんばかりだ。そんなことをしている暇があったのかと問われればノーだ。
「そのっ……」
「お前のいい訳に割く時間が惜しい」
二の句すら継がせぬ彼女は部屋にかけてあった黒いリボンに手をつけた。その皺を伸ばす様にして彼女は研究員の前で引っ張って音を立てて威嚇する。
「ないなら、私が準備を終えて行くまでに用意しろ。これから着替えて歩いてく私よりこれから走って戻るお前の方がいくぶん早いだろう。その間に全てのデータをまとめておけと他の者にも伝えろッ!」
「ハイ!」
田島の声を聞き研究員は逃げる様に走り出す。廊下を走りながらも愚痴が漏れる。今からデータの整理などできるかよと。田島はふんと鼻を鳴らしてゆっくりリボンを髪の間に通していく。
「今日はそれなりにデータが取れるといいがな」
警報が鳴ろうが彼女に動揺はない。いずれこういう日がくるであろうと待ち望んでいたのだから。この警報が鳴り響く日を彼女は待っていたのだから。
「さて、アイツ等ボンクラ共がどれだけ出来損ないのデータを出してくるか」
リボンをつけ終えて鏡の前で衣装のチェックをしながら彼女は軽く体をほぐすように動かして脳を叩き起こす。彼女の脳はこれから酷使される準備を整える。
「お手並み拝見といこうか……」
この研究所の生命線に等しいブレインは間違いなく彼女でしかないのだから。
「じゃあ、行ってくるよ」
彼女は写真立てに目を向けて、すぐに振り返り背を向ける。扉前にかけてある白衣を取り袖に身を入れながら彼女は研究所の長の風格を纏う。
「恭一郎、京子」
櫻井夫妻と自分が写った大学時代の写真に今日の始まりを告げる様にして彼女は動き出す。そして彼女が向かう彼女の戦場は火を噴いていた。
「おい、そっちの計測値ずれてねぇかッ!?」「入力作業は慌てず急いで!」「監視モニターの配置がちげぇぞ!」「中央モニターにマップ出ます!」「間に合わねぇって……間に合わねぇって!」「口を動かさずに手を動かせよ!!」
声が飛び交い錯綜する。赤いランプに囃し立てられるように祭りになる研究所。数十人の白衣を着た研究者たちが声を荒らげタイピングし続ける。頭を掻きむしるように誰もが沸騰する頭を痛めつける。
その間にも田島みちるは白衣のポケットから棒付きの飴を取り出し、口に入れて転がして研究所の廊下を優雅に歩いてくる。
「M3ケーブルが足んねぇぞ!」「私、格納庫に走ってきます!」「処理間に合ってないよー」「並列処理台数の稼働を最大限に増やせ!!」「もう、やってます!」「なら、複数並列処理を優先順位でタスクに切り替えろッ!」「停電に備えての発電機の稼働準備は済んでのかッ!?」「いま、第四処理区画まで進んでます!」
この研究所の担う役割を大きい。だからこそ皆が必死に声を張り上げ処理を進める。人員に休みは無く稼働できるだけの機材をフル稼働する現場。そこに来訪者が表れる。
「ハロー、諸君」
田島みちるがにやけながら現場を見下ろす様に入ってくる。誰もが一瞬で振り返り『所長、お疲れ様です!』と声を上げたのに田島は片手を振って応える。
「いつも通りでいい、耳だけかせ。手は動かせ、脳は処理に回せ!」
言われて研究員たちは自分の見るべきモニターへと視線を釘付けにする。田島みちる、彼女だけがその緊迫感を背負わずに一番上の椅子に腰かける。
「今日は我々第六研究所にとっての
それは研究員たちを焚きつけている。今日という日が特別なのだと。
「気合をいれろ、脳をフル回転させろ! 一ミリも見落とさずデータは常にとれ!」
田島の気合で空気がしまっていく。誰もが声を出さずにモニターに集中する。指は常に複雑にキーボードの配列を叩き続ける。その光景から目を離し田島は中央にある日本地図が映し出されたマップへと眼を向けた。
「これはデカいな……」
日本全土に広がる波紋。そして、横に周波数帯を映し出すようなグラフが常に動き続けている。点滅する箇所は数百を超えて全国に広がっている。ここからが彼女の仕事になる。
「所長、こちらがデータです!」
「見せろ」
紙の束を持った研究員はすぐに田島の前に差し出す。大量のレポートを前に田島は静かに手と眼を動かして次から次へと一つ一つレポートを捨てていく。
時折モニターに映る数字を確認しながらも、脳を動かす。
「これじゃあ、足りない……」
「えっ……」
「データが足りないと言ったんだ!」
「ハイ!」
田島に吠えられて研究員は身を固める。田島の睨んだ眼を怯えながらも見つめる。これが立場の差。これがこの研究所での役割の差だと言わんばかりに。
「貴様に説明している時間がない、こちらでデータを確認する」
「スミマセン……」
「謝ってる暇があったら内閣府への直通電話を繋ぐ準備をしとけッ!」
「ハイ!」
事態は一刻を争うと分かっているが故に指示が乱暴になる。足手まといを構っている暇などない。これは一分一秒の戦いに他ならない。
だからこそ彼女はマイクの電源を入れる。
「マップの34番から45番を除外」「ハイ!」「各対象箇所のマナの臨界度数のデータを寄越せ!」「いま、送りました!」「15、20、22も除外だ!」「マップ切り替わります!」「磁場の監視係数を三から五に変えろ!」「三から五に変わりました!」「三十以下のデータを除外!」
田島の指示に従い、各研究員が急げと言わんばかりに現場で動く。中には走り回ってケーブルを繋ぎかえる者。必死にパソコンの入力に追われる者。画面に映し出されるデータを照合するもの。
「対象が10に絞られました!」
日本地図の点滅は十の点に絞られる。田島はその結果を見て良しと言いながらマイクから体を離す。それでも研究員たちの激しい動きは収まりを見せない。
「空間振動周波数のデータ送ります!」「過去データとの照合終わりました、結果を送ります!」「空間軸の
田島は送られてきたデータの資料に目を通す。
彼女は何回か頷き地図と見比べる。予想通りこれは異常事態だと彼女は嗤う。
「これは
その間にもマップに移された波紋を大きく波打つように強くなっていく。
「所長、解析結果でました。次元開放まで一時間半を切ってます!」
「それは……それはだな」
その異常事態を笑いながらもやり過す。これから来るのはゲートと呼ばれる空間波動。それは召喚を呼び起こすもの。この世と異世界を繋ぐものに他ならない。
「
「まぁ、そうだろうな。これが、この規模が、」
当然の結果と言わんばかりに田島みちるは解析結果を受け入れる。
「異世界からの帰還ではあるわけもない」
慌てることはない。これから先は未知の領域でしかない。まだ世界が変わって時間が足りない。ここから先は予測でしかない。
「絶望因子の計測データを寄越せ! 地殻変動のサインは見逃すな、起きたらすぐに報告しろ! ここから先は私が判断をする!」
どれだけのデータを持ってしてもまだ解明には至っていないゲートの仕組み。そこから来るのは帰還者か異世界からの脅威のどちらかでしかない。だからこそ、彼女たちはこの一刻の事態にフルで対応する。
「ありったけのデータを私にとっとと寄越せッ!」
そして、分からないものでも立ち向かう。
田島みちるは目を見開き流れ込んでくるパソコンのデータを高速で処理していく。動体視力を要する眼球の動き。考えられる時間は秒にも満たない。あらゆるデータを頭の中で幾重にも織り交ぜ、様々な公式で変換する。
限界に酷使した脳からの信号で僅かに体が痙攣を起こした。
呼吸を整え、震えを押さえて田島はマイクに手をかけた。
「対象は二か所だ……」
——六体神獣には届かなかったか……。
全ての計算を終えて導き出す答えは経験則に近い。これが精度の差だとしてもこれ以上の解析は無理だろうと田島はマップを指さす。これはそれを推定するためのものに他ならない。
「栃木と京都だ」
その二つが異世界からの魔物の出現ポイントだと彼女は答えを出す。
そして、その田島の元にさきほどレポートを渡した研究員が走って帰ってくる。
「直通電話の準備完了いたしました!」
「繋げ……」
警報が鳴りやまない研究所に電話のコール音が鳴り響く。次から次へと波紋が広がっていく中で人々は巻き込まれていく。この世界に隠されたバグに侵されるように。
《つづく》
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