第51話 じゃあね、おじ様

 金髪の少女の右腕を掴み制止をかけた吸血鬼。眼帯の男は僅かに隙を伺いながらも事象の確認に思考をめぐらす。


 ——鈍ったにしてはだな……


 警戒を怠ったが故にミミへ不覚をとった。そこからは気を引き締めていたにも関わらずその存在に気づけなかった。突如として現れた人型。


 ——イカレタ小娘だけならよかったが……これはマズイか


 相手の能力を知らぬが故に二人の動向を注視する。確かに吸血鬼は言った。お迎えに上がりましたと。とも、なればここから立ち去る準備が整っているはず。


「アインツ……ミミの」


 少女は下から吸血鬼の方へ顔を向ける。それは凡そ助けに来た者へ見せる表情でなく、仲間に向ける者でもなかった。


「邪魔をする気なの」

 

 吸血鬼の体が電流が流れたように激しく一瞬だけ揺れた。体格では圧倒的に劣る少女の剣幕ひとつでそれは立場の違いを表す。少女としては面白くないのだ。それだけのことだが、ミミにとっては殺意が宿る程に許しがたい。


「ミミ様、リーダがお呼びです!」

「パパ……がぁ?」


 慌てた吸血鬼の言葉に少女の殺意が揺らいだ。殺意が解かれたほんのひと時。その瞬間を見逃さずに動き出すは眼帯の男。吸血鬼は慌てふためき少女へ説明を繰り返す。


「そうです、リーダーが手薄になるから戻ってこ――」

「相手が二人だろうが関係ねぇ」

「ナッ!」


 綻びを見逃さすずにもうすでに二人を射程に捉えている。踏み込んだ足を軸に後ろ脚を上げて放つは必殺の一撃。それは技と呼べたものではない。それでも必殺になる。どんな伝説が付与された武器よりも磨き上げられた歴戦の肉体。


「アインツ!」

「ミミ様!?」


 咄嗟に少女が吸血鬼を蹴り飛ばす。だが男はそんなものを気にせずに一撃を撃ち終える。金髪のツインテールが焼け焦げる程の加速を生んだ蹴りはマカダミアの塀をいともたやすく半壊させる。


「あるだけ狩る」


 少女はその威力を見て気圧された。さきほどまでは全力でなかった。男のこれも全力とは思えない。まだ何かを隠し持っている。それでも横に連なる塀に広がるほどの攻撃。


「それが俺のやり方だ」


 ましてやマカダミアの塀であればなおの事。特殊な術が施された強化済みの建築物。それですら耐えることを許さない。男の足はそれほどの代物。聖剣などとは比較にならない。


 塀を壊してなお視線で追ってくる鋭い眼光。


 ——ミミでも……これは


 少女はその光景に死を見た。間一髪うまく躱せただけだ。吸血鬼を蹴った反動でいくらか距離を取れていなければ頭部を削り取られていた。そこからミミの思考は切り替わる。


 ——相手にしてられないか。


 今この場で優先すべきことが楽しむことでなくなった。先程の吸血鬼の言葉で揺らいだ天秤が完全に傾く。この場でオロチと愛し合ってる時間はないと。獲物としては魅力的なことに以前変わりはないが、このままで存分に愛し合うことも叶わない。


「アインツ!」


 ミミの思考は早かった。完全にスイッチが切り替わった。オロチが動き出すよりも早く本能で解を出した。この場から徹底する決断はついた。


「狩るって言ってんのに逃がすかよ」


 ミミの反射速度を超える脚。それはもうすでに追撃の体勢に入った。しなやかな筋肉で膝より上に上がる足先。溜めた力を解放し袈裟斬りに近い角度で少女の座っている場所へと撃ち込まれる。


 大地が砕け、コンクリートの破片が宙を飛んだ。


 ——躱したか……


 ミミは反射でなく本能で感じ取った。殺意を感じ取り死のイメージを創造しその場からの回避を試みた。それでも速度が間に合ったのはギリギリ。彼女の顔に激しくコンクリートの破片が散弾となって打ち付ける。それでも眼を閉じてはいけないと彼女は全神経を集中した。

 

 それは正しく、オロチという男の足は少女を狙い撃つ。


 ひやりと冷える背筋の感覚。打ち付けた足と入れ替わり逆の足が自在に動き出す。軌道をよむにしてもしなやかな脚が生む軌道は曲線を描き出す。直線ではなくカーブに近い軌道でうねっている。


 ——大したやつだ……この土壇場で


 その中に潜り込むようにミミは身を投げ出す。軌道の線を辿るように感じそれが辿った場所を目指す様に。死地へと飛び込む覚悟。先程までの狂気とは別物に近い。


 ——集中を上げて来てやがる。

 

 動物的感覚及び本能的感覚を集中力と合わせて先程までとは違う。オロチも肌でそれを感じ取っている。躱されたオロチの足。目的をひとつに絞ったミミはふざけた表情ではなく真剣だった。真剣を通り越して没入しているようなものに近い。


 ミミは無心だった。躱すのではない。


 この場を生き延びる為にどうすればいいのか。


 だからこそ死を肌で神経で感じ取っていた。その感覚に身を預け本能で動いている。それは思考を置き去りにして莫大な情報を斬り捨てている。ただ死の臭いを死の未来を感覚で感じ取るだけ。


 ——後ろ……


 だが足を躱した彼女の背後から死の造形が浮かび上がる。感じた瞬間に慌てて地面に四つん這いに伏せた。一度交わしたはずの足が自分の眼の前に現れる。振った脚を無理やり戻してきて攻撃に繋げてきている。


 振り回した脚は自在に動き回っている。ミミの反射速度を上回るスピード。


 一瞬でも躊躇が生まれれば殺されるかもしれない。それでも彼女は躊躇わず感覚に身を預ける。ついた手に力を入れその場で辛うじて浮きあがる。その下を死神の鎌が通り過ぎて行く。瞬きすることすら忘れて彼女は受けに没頭する。


「終わりだ」


 跳ねたが為に空中でのビハインドが生まれている。ここから逃れる術は早々ない。涼宮強のように空気を操ることが出来ればという話だけだ。そんな都合のいいの能力を持ち合わせていることの方が奇跡に近い。


「クソガキ」


 浮いた彼女を狙うように入れかわる攻撃の足。浮いた彼女を上から叩き落す様に撃ち込まれる一撃。それは背中目掛けて振り下ろされる。人体の中でも面積が広く回避が難しい部位。


 彼女の体へ突き刺さる。パーカーの帽子が貫かれ身に反動をつける。どこからともなく飛んできたナイフが彼女のパーカーの帽子を射抜く。ミミはそれを機にその場から転がるように紙一重ところでの緊急回避。


 眼帯の男にもと居た場所は砕かれた。あと数コンマ零秒遅ければそれが自分の姿だった。それでも迷うことなく彼女は仲間に呼びかける。この場を乗り切ることだけに全神経が研ぎ澄まされた声に迷いはない。


「アインツ!」


 ——しくった……ッ!


 オロチの顔に焦りがちらつく。油断ではなく予想を超える動きを見せた彼女を賞賛するべきだった。咄嗟の行動力、死地での経験を思わせる状況判断。先程までの小娘ではなくこれは一級品の才能に近い。

 

 その才能が生んだ好機にオロチの顔が歪む。


 それを見逃すこともなかった。手を鋭く振るい突如として現れたナイフをオロチに向かって投げる。それは時間稼ぎに他ならない。一瞬の隙に隙を重ねて時間をかせげればいい。


「ミミ様!」


 ——逃がすかッ!


 吸血鬼と少女を一緒にしてはいけないとオロチはナイフに向かって動き出した。その先にある少女をとっ捕まえることが目的だ。投げられたナイフを拳で弾き軌道を変えて直線的に彼女を目指す。 


「——ッ!」


 それでもオロチの動きが止まった。どこからともなく出現したナイフ。目の前で少女が投げた素振りも無く、突如として眼前に一本だけ刃先を自分に向けたものが現れた。咄嗟に顔を横にして避ける。電柱にあるミラーが目に映る。


 ——このナイフは……さっきの


 すれ違いざまにみたナイフ。それが自分が先程弾いたものだと気づいた。後ろにいったはずのナイフが目の前に現れていた。ミラーに映るはずのものが一本しかない状況がそれを物語っている。


 ——これがヤツの能力かッ!


 嫌な予感が当たったと言わんばかりにオロチが急ぎ向かうが僅かに遅かった。ナイフを躱した動作による遅れ。それすらも計算されていたのか分からない。極限状態に身を任せた本能の勝利が告げられる。


「じゃあね、


 吸血鬼に身を掴まれミミの姿は忽然と消えた。少女が消えた後の上にオロチの足がつく。一歩及ぼなかった。気を抜いたわけでもない。ただ単に相手がやり手だったというだけのこと。


空間跳躍くうかんちょうやく……」


 チッと舌打ちするほかなかった。



《つづく》




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