第39話 仕掛けられた渦巻く何か

 俺から見える櫻井の姿は悲惨なものだった。不幸のレベルが人間という存在を飛び越えつつある。魔女狩りや悪魔裁判に近いものでしかない。縛り上げられ謎の白い箱に体を包まれて地に手足を着く姿は土下座に近い。


「みっちゃん、終わった?」

「終わったから外していいよ、タマ」


 当の元凶である二人はにこやか。俺は櫻井に同情する。マジで無邪気とか怖い。櫻井のあの姿を見ても何一つ心を痛めないあたり残虐性に特化している。さらに教室中の櫻井を見る眼が殺意すら匂う様な汚物を見る視線。


 ――さくら……


 あまりの居た堪れなさに俺は櫻井に駆け寄ろうと席を立ちあがった時だった。


「さっちゃん、焼き肉弁当で脅迫なんて酷いよッ!」


 お前の方がよっぽどひどいわぁあああああああああああ!


 この空気でソレをやってのける天然。ギャグではすまない空気にとんでもない一言。櫻井の言う通りアイツの精神鑑定を依頼したい! 多分、結果はアタマお花畑ェエエエエエエ!!


「ハッ……ハッ……」


 玉藻の空気を読まない発言により出足を取られた俺を前に櫻井が変化を見せ始めた。肩がフルフルと揺れている。泣いているのではなく男は空気を幾度となく漏らしている。それはピエロ。ケタケタと嗤っていた。


「ハハ……ハッハッ」


 ――どうした……さくらい……、


 その行為が周りに及ぼした影響。空気が張り詰めた。どこか遠い頃に感じたような身を刺す視線。俺はソレをどこかで味わったことがある。ただ一人の異物に向けられる好意ではないもの。


「何笑ってんの気持ち悪いのよッ!」「ホントだ、犯罪じゃねぇか!」「やっていいことにもラインがあるだろ!」「変態! 変態!」


「オイ……待てよ……」


「ハッハハハハ!」


 俺の言葉はすぐに渦に飲まれた。大きく止められない何かが動き出した。狂ったように嗤い続ける櫻井に降り注ぐ罵倒。俺が感じるものと周りが感じ取ったものが違いすぎたことを理解するには十分だった。


 ——なんで……こんなことになってんだよ……


「お前、明日から学校来るんじゃねぇよ!」「ホント最低!」「チョーキモい!」「いつまでも嗤ってんじゃねぇよ!」「自分が何したか分かってんのかよッ!」


 ——さっきのでそんなことになるようなものなのかよ……


 怖いと感じる。さっきのVTRで俺が見ていたものと奴らが目にしたものは一緒なはずなのに全然違う。全員が怒って櫻井を嫌っている。俺にはあんなものはギャグにしか見えなかった。最後の奴だって悪ふざけをしていただけにしか見えなかった。


 教室で櫻井がレポートの講師をやっていた時にアイツがトチ狂ったやつなのは知っている。だから悪ふざけにしか俺には見えなかった。なのに、なんでこんな騒ぎになってんだよッ!


「なんでアンタがココにいるのよ!」「同じクラスってだけで吐き気がする!」「やっぱお前狂ってるわ!」「警察に通報しよう! 通報!」


「ちょっと……みんな……!」


 ようやく玉藻も気づいた。どこか狂気が蔓延している空気に。櫻井の結界を解除して止めようとした声は聞こえていない。誰もがイライラしてオカシイことになっていると感じる。それでも俺はどこか躊躇っている。


 ——なんで……どうしてだよッ!


 俺が正しいのかが分からないから。


 歯がゆくても俺は動けず。玉藻がこんな結果を望んでいないことは分かっている。アイツがこんな結果を望むはずがない。櫻井だって……こんなに憎まれるような存在じゃないはずだと思う。


 ——俺が……おかしいのか……


 けど、皆が考えることが正しくて俺が間違っているのかと迷いが生まれた。俺と玉藻はどこかオカシイ。ズレている感性。人と違うことが当たり前だ。それを俺たちが異様だと感じたとしてもこれは正しくないのかもしれない。


 そんなくだらないものに縛られて、動けない俺よりも早くヤツが動き出した。

 

「全員不幸にしてやるよ!」


 ——櫻井ッ!?

 

 白い輪っかに体を捉えられた状態の櫻井が立ち上がりクラスメイトにめがけて走っていく。その途端に悲鳴が上がった。


「何コイツ!」「コッチくんなよ!」「触んじゃねぇよ!」「キモイィイイイ!」


 まるで櫻井が病原菌でもあるかのように皆が悲鳴を上げて逃げた。その瞬間に俺の胸が強く痛んだ。息が詰まりそうに苦しいくらいに。


『こっちくんじゃねぇよ!』『ついてくんなよ!』


『ボクも仲間にいれてよ!』


『強ちゃんはダーメェ!』『早く逃げようぜ♪』『そうだ、そうだ。みんなで行こうぜ!』

  

 避けられて遠ざけられて、嫌われてっていうのが苦しい。見ているだけで蘇る。小さい頃と同じように悔しくて拳を握った俺の手は強く震える。思い出したくもない過去。それが今の櫻井とどうしようもなく重なる。

 

 ——あのとき感じた視線も……同じだった。


 櫻井に向けられた視線はその時のものと同じ。異物として『普通』というレッテルから外れ罵倒するように向けられる悪意の視線。お前は違うのだと。お前が間違っていると。お前の存在はダメだと。


 言葉でなく心にぶつけられる感情。存在を否定するような多数の瞳。


「いやぁあああ!」「こっちキタァアアア!」


 櫻井は捕縛された状態で動きずらそうにして地べたに倒れながらも立ち上がって騒ぐ奴らに向かっていく。嫌われていようとも関係ないと言わんばかりにヤツは叫びながらも周りを引っ掻き回す。


「もうたくさんだ……もうたくさんなんだよぉおおお!」


「アイツ、無理やり肩を外して!」「おかしいよ、アイツ!」


 床を這いつくばりながらも無理やり肩を脱臼させて輪っかをくぐり抜けた櫻井に誰もが怯える。櫻井は違った。昔の俺は震えることしかできなかった。悔しさをかみ殺して堪えることしか出来なかった。一人で涙を流すことしか出来なかった。


 その行為を見つめる俺の前で暴れまわるように動いた櫻井が掃除用具箱に頭から足をもつらせてツッコんだ。不幸なことで追い打ちをかけるようにその倒れた用具箱は櫻井の上にガンと打ち付けた。



◆ ◆ ◆ ◆



 俺は掃除用具箱の下敷きになって全員から顔を隠すようにした。


 ——いつから……こうなっていた?


 ふざけて教室を動き回りながらこの異常事態の原因を探した。ふざけた状況で気づけなかった。この教室に張り巡らされた仕掛けに。注意深く観察をしているわけもなかった。いつも使っている教室であるが故に。


 ——誰がいつ……何の目的で


 教室が騒ぎになってようやく気付いた。藤代の動画が最後だったからというのもある。教室に充満する残滓。それに俺らは踊らされていた。感情の起伏が激しすぎた。何か増長するように。


 ——時限式の発動型……か。


 教室を支える支柱の壁に刻印された文字が浮かび上がっている。記憶を探るがこの五時限目までは何もなかった。急激に膨れあがった感情。それは呪力によるもの。近しい能力を持つ者だからこそ感じ取れる。


 ——鈴木さんにイライラしている時に気づくべきだった……俺もおかしくされていことに。


 途中から感情が極端に振れていた。正確に言うと振らされていただ。教室で藤代の動画が終わり罵倒が始まった時に気づいた。クラスメイト達の異常な怒り。それはいくらなんでも行き過ぎている。


 ——あくまでマカダミアだ……呪術……

 

 だが、いくつかのピースが頭を駆け巡る。犯行が可能なものがいるのか。目的は何か。また強への恨みから来ているものなのだろうか。呪術の一番の使い手は誰か。


『君が呪術契約書の件で嘘をつくような人間か試したんだ、ごめんよ』


 思い浮かんだのはただ一人――藤代万理華しかいない。ただそれを俺は改めるように思い出す。藤代という人物はそういうやつなのか。藤代万理華がこういうことに呪術を使う人間なのか。


『私は風紀委員長の藤崎と友達なんだ。だから元からどういう目的で呪術契約書を使っていたかは予め知っていた』


 ヤツは俺が呪術を間違った使い方をしないように心配をしていた。それは呪術で人を傷つけるようなことを望まない人間だから。何よりも藤代自身が呪術を愛している。


『本当に知りたかったのは別にあるんだ』


 ――あの時……藤代万理華は何か言っていた……


『ここ最近に不審な呪力の高まりがある。悟られないようにうまくやられているけど、かなり広範囲で何かの呪術式を発動するような気配がちらついてる』


 そうだった。藤代はあの時に俺に疑いを掛けた。それに起因するのは呪術者の存在。思い起こせば俺が校長室で会った時に藤代は何を校長に話にいった。何かが噛み合うように繋がっていく。


『まぁ君本人というよりはが君を巻き込んでいるのかもと思ったが……』


 藤代の手練れという言葉。それはおそらく自分よりも同等かもしくは格上を表しているのではなかろうか。そうとなれば俺たちが気づけなかったのも納得がいく。徐々に徐々に増幅されていく感情に違和感を感じることが出来なかったってことか。


 ——なら……事態をどうにか


 このまま騒ぎにならないように終わらせる方法を模索しようとした機に俺の考えは断絶される。この事態を止める為に動く人間がいた。それは誰よりも注目を集めることになった。





「ウルゥッセェエエエエエエエエエエ!」





 大きな声と大きな破壊音が教室を黙らせた。掃除用具箱の上にある壁を強く打ち付けて破壊したその力に誰もが押し黙った。そして、誰もがその男に目を向けた。俺に集中した視線をかっさらうようにソイツは怒りを露わにする。


「お前ら、いい加減にしろぉおおお!」


 俺自身もその男に思考を奪われた。何が起きたのかを見ているだけしか出来なかった。そういう奴だと思っていなかったのかもしれない。けど、ソイツは俺の為に来てくれた。


「櫻井をイジメてんじゃネェエエエエエエエエエエエ!」


 ――……強ちゃん。


 その強い叫び声と圧倒的な力に俺の思考は完全に奪われ白く塗り替えられた。俺を守るように立つその背中を俺は目に焼き付ける様に、肩を外したままでただ掃除用具箱の下敷きになっていた。



《つづく》

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