後編 世界改変《ミレニアムバグ》

 三本の針がゼロを指す、


「「ゼロ!!」」


 2000年の始まり。


 ソレがこのの始まりだった――。





 誰にも聞こえぬ遠い場所で赤ん坊が泣き叫ぶ。時刻の到来を告げる様に乳を求めてなのか不安を感じてなのか。遠くにも聞こえる様にと助けを呼ぶように声を張り上げる。悲鳴にも似た高い声で。


 深夜にも関わらず人々が真っ暗な道路を走っていく。


 何かに逃げ惑うように寝間着姿のままで遠くへと逃げていく。


 オフィスの二人は息を止め、黒いウィンドウに緑色のコードが書かれたモニター画面をしばらく見つめ作業を終えた。首を振りオフィス内を見渡して何も問題が起きてないことを確認する。


「……稼働ランプのチェックOK」

「……同期も問題なし。年数の相違も無し」


 システム上に何もエラーはなかった。


「システムログにエラーなし」

「データの整合性も確認とれるか?」

「チェックOKっす、問題なしっす」

「こっちの時刻跨ぎでの処理もエラー無しっと」

「…………」

「…………」


 沈黙しながらしばらく画面を見つめる。


 ちょうど一分が経ったところで


 ぷっは~と呼吸が漏れた。


「……先輩、大丈夫そうっすね」

「あぁ……問題なしだな」


 二人は切り替えに漂っていた緊張感から解放され、時を無事に超えたことを祝いたくなる気持ちだった。対応が上手くいったことで多少気が抜けている。これでバグによる事象は解消された。


「遂に二千年突入っすよ」

「あぁ、来ちまったな……年くったわ、俺も」


 新たな時代が始まった。


「なに言ってんすか、まだ二十代じゃないっすか」

「ギリちょんだよ、今年で三十路だ」


 二人は見えていないからこそ、気づかなかった。


 暗い夜道を集団が慌てて走り駆け抜けていく。車の赤いテールランプが不気味に光る。信号機が動かず車が渋滞してクラクションが雷鳴のようになり続ける。混乱を伝える様に遠くでクラクションが大量になろうとそれは二人には届かない。


 慌てて逃げる母親の怒声が止まっている少女に降り注ぐ。


「早くコッチに来なさい!」

「ママ……」

「いいから来て!」


 困惑する子供を抱きかかえて親は走る。少女がお気に入りの人形を道端に落とすが大人に手を引かれていく。暗い道路に転がる人形に抱きかかえられながらも手を伸ばす。その少女の顔が何かの光に照らされた。


 明るく光る物体。


 それを少女は見上げる様に空を見た。


 眼の中に金色の輝きが映り込む。


「とりあえず無事終わりましたね、先輩」


 そんな光景を想像もしない二人は気づかない。


「なに言ってんだよ?」


 何も終わってなどいない。


「これから、しばらくは様子見だぞー」


 これから新しく始まるのだから。


「あとで全件データ確認すっからな」

「へーい」

「そこが一番キツイんだよ」

「あいー……あいさー」


 先輩の声に後輩は気の抜けた返事を返す。緊張が終わってもまだやることは残っているのだと。


 その新しく始まる年を前に後輩は首を回して


「どうした、後輩?」

「その前にっと、」


 リラックスした雰囲気で椅子を横に動かして、


「ちょっと年明けの一服しませんか?」


 先輩に近づき相談を持ち掛けた。

 

「まぁ、そうだな。先に年明け最初の一服でもするか……」

「よっしゃ!」

「げんきんなやつめ……うい奴よ」

「へへ」


 二人で同時にタバコを咥えて火をつける。煙草を深く吸い込む。


 煙が口の中に入ってきて苦い味を広げるのを堪能する。


 それを肺まで吸い込んで口から煙を吐いた。


「超……うまいっす……」

「年明けの一服は最高だな……」


 静まり返った中、二人の煙がオフィスを行く当てもなくただよう。


 机の上の灰皿に灰色のガラが落ちていく。


 緊張から解放された余韻を楽しむように沈黙が続く。


 煙が天に昇り彷徨い消えていく。


「よっこらっしょっういち……」


 後輩が煙草を口にくわえながら窓に向かって歩き出す。


 パソコンの冷却ファンが静かなオフィスに反響する。


 後輩は二千年初めての夜景を眺めようとブラインドの隙間を手でこじ開けた。


「これは――??」


 後輩は何度かブラインド開けて閉じて眼を擦る。不思議な物でも見たように瞼を閉じたり開いたりして目を細めて窓の外を眺める。口を閉じたまま咳をして、もう一度ブラインド越しに見える景色を見る。


「先輩、オレ……ちょっと疲れてるかもしれないっす……」


 眉間にしわを寄せて真剣に窓の外を眺めていた。


「まぁ夜勤だからな、疲れて当然だ! タバコ、うめー!!」


 その問いに先輩は煙草を片手に上げてしょうがねぇと返すばかり。


「そうっすよね……夜勤続きですし……でも」


 けど、後輩は状況が違うことをどう伝えたものかと言葉を捻り出す。


「疲れすぎてぶっとんだ幻覚が見えるんすよ……」

「はぁーあ?」


 絞り出す拙い言葉にようやく後輩の異変に気づく。


 ——なにやってんだ……アイツ?


 後輩は目を擦り眠気を覚ますように見開き、ブラインドの隙間を覗き固まっている。りつかれたようにただ外をじっと眺めている。


 ――まじで、どうした……?


 うーんとかはぁーとか唸るだけで何かを見ているだけだ。


 ――お仕事に疲れちまったにしても……なんか違うような……


「お前、新年早々なに言ってんだ?」


 ――だいじょうぶか??


 固まった後輩を心配し、


「頭がハッピーニューイヤーか、この野郎?」


 先輩はブラインドの方に声をかけながら近づいていった。


「イヤ……窓の外にね……空飛んでる馬鹿デカいトカゲがいるんっす……よ」


 何を不思議なことを言ってるのかと先輩は後輩に近づいていく。


 ――なに言ってんだ?


 本当に相当疲れが溜まっているのかもしれないと。


 冗談めかして元気づける様にジョークを交えて


「ヤバイくすりでもやってんじゃねぇだろうな?」


 彼の横を目指して歩いていく。


「先輩として業務上困るよ、そういうのー」

「あっ……火を吹いた!」


 出てくる単語がオカシイ。何かを見ているのは確かだが、


「火吹いてるのはうちの仕事だ。頼むぜ、後輩ちゃん」

「…………」


 ――俺のギャグに反応なしか


 言葉からして普通ではない。


 ――ドッキリとか、そういう類にしては演技がうますぎだ。


 おまけに呆けているアホな顔がなんともいえない。


「ホント……なに言ってんだよ……」


 ――どうした、俺の後輩?


 淡々と返し語られていく言葉は意味を成さない。後輩の言葉は地に足がつかないようにフワフワとしている。仕方なく後輩が指で開けている隙間から先輩も同じ景色を覗き込もうと身を屈める。


 ――うわ………


「ビルが燃えてますね……」

「なんか燃えてんな……」


 ――燃えとるわ


 二人は静かに目を見合わせる。


 ――うちの仕事より燃えとるわ……


 外が明るく見えた。オレンジの光がゆらゆら揺れている。


 それはけして街灯などの生易しい光ではなかった。


「品川のほうっすか?」

「たぶん品川だな……」

「お前……俺にトカゲって言ったよな?」


 ただただ味気なく淡々と見たものが語られていく。


「えー、羽が生えてるバカッデッカイ、トカゲが豪快に火を吹いてますね。薬をやってない俺にはそういう幻覚がみえます。うんで東側が燃えてますね。いや、燃やされたって感じっすかね……」


 先輩は眉間に手をやりふぅーと一息ついた。


「うわぁ……えらいこっちゃ」


 後輩の絞り出した言葉と目の前の光景を、


 ――こういうことか……


 頭の中でマッチングしていく。


 ――くそ……やられた……


「大体内容は俺の見てるものと合ってる……」


 ブライドをこじ開けていた指を離して上を向く。


「俺にも見える」


 いま何が起きているのか、いま何を見ているのか。


「ただ報告は正確にキチンとしてくれ」


 先輩は考えをまとめて口を開いた。


「まずアレをトカゲっていうのは、俺はおかしいと思う……」

「……スイマセン」

「お前の認識を疑う……」

「……すみません」


 怒られたような言葉に後輩はぼぉーとしながら頭を下げる。


「あれはチゲェだろ……」


 ただ、それでもその視線が窓の外から外れることはなかった。


「トカゲじゃなくて……どうみても……」


 何かを見る様に高層ビルの窓から直線を見ていた。


「竜とか……ドラゴンとか、ソッチだろう」


 先輩が言ったようなものが見えていた。


「ファンタジー小説を読めよ」

「あれがドラゴンなんっすね……」

「読まなくても分かってくれ、頼むから」

「俺、初めて見ましたよ」


 静寂を少し味わい、長い時間咥えていた


「ったく……どうなってんだよ……」


 タバコの灰が荷重に耐えきれず、


「……俺も初めてだよ、クソが」


 カーペットにポツリと落ちた。


 灰は元の形を保てず崩れ落ちていく。


「後輩業務命令だ」


 目の前にある世界のように――世界は形を変えて崩れていく。


「ちょっと俺の頬をつねれ」

 

 外に視線を釘付けにしながら、現実を振り払うように先輩は命令を発する。


「分かりました。そこで先輩、かわいい後輩からのお願いです」


 後輩も視線を外から先輩に移し真剣な顔つきで願う。


「俺の頬もちょいとつねってくれませんか」

「じゃあ、優しい先輩が応えるのは義務だ」

 

 二人は向かい合い、


「じゃあ同時にやるぞ」

「わかりました」


 呼吸を整え、本気の表情に変わる。


「手を抜くなよ!」

「先輩もです!」

「おっしゃ、いくぞ! 覚悟決めろ!!」

「ハイ!!」


 気合を入れてお互いの頬をつまみ、




「「いっせのーッッ!!」」




 幻覚を振り払うかのように、これがどうか夢で逢ってくれと


 力の限り、めいいっぱいお互いの頬を、


 引きちぎれんばかりにつねった結果、




「「イッテェエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」」




 つままれた頬は赤くなり痛みを発し響くようにじわじわと広がっていく。


「ちぎれる!」

「ちぎれました!!」


 それは先程見ていた景色が現実ということを二人に知らしめる。


「だめだ……後輩」

「終わりました……先輩」


 これは夢などではない現実なのだと。


 ここがいま二人がいるなのだと。


 そして、二人は急いでもう一度窓の外に視線を戻した。


「これ、ヤバくないっすか……」

「何コレ……超ヤバイ」


 夢から醒めない世界。そこに映るのはこの世にあってはいけない生物。


 二人の眼前に広がるのは――暗い夜空に一匹の金色の鱗を纏った輝く巨大なものが鳥の様に羽をはためかせて飛んでいる。それは高層ビルより大きく遠近感が狂いそうな存在感。ビルのように太い手足があり、どこまでも広がる翼がある。


「二千年って……めちゃヤバいっす……」

「あぁ……新年早々トラブル発生だな……」


 脚に触れれば建造物が音を立てて壊れていく。目の前で炎を吹き続け、


 辺りのビルや街を燃やして続けている。


 地面がピカっと光って大きな炎のサークルを描きだすが二人は言葉を失った。


「もし、ドラゴンにやられたら労災っておりるんっすか?」

「動物系は……判断が難しいな」


 怪獣映画でも見ているかのように街が破壊されていく景色――


「明日人事に聞いてみるよ……生きてたらな……」


 空想の生物と炎によって破壊されていく在り来たりな非日常の風景。


 0ゼロ1イチの狭間を超えた世界で


 二人はぽそりと零す、




「「世界がバグっちまった……」」




 この世界はバグっていると。






 街灯が停電して真っ暗な街。


 風が吹き荒れる高層ビルの屋上――


 航空障害灯の赤い光が二人の男を微かに照らす。


 二人とも黒い眼帯をしどこかを旅してきたようなボロボロの外套を羽織っていた。


 ボサボサ髪で左目に眼帯をした男はしゃがみ込み、ひげ面をした男が右目に眼帯をして仁王立ちしている。眼帯をした二人の黒服の男もIT企業の二人が見たものと、


「どうなってんだよ……」

「まじかよ……」


 同じ光景を呆れ眺めていた。


 眼前で暴れる龍を前に、二人は現実離れした


晴夫はるお……俺たち」


 現状を見つめつつ、しゃがみ込んでいる方が呆れた様に口を開き


現実こっちんだよな……」


 それにイヤそうな顔をして右目に眼帯をした髭面の晴夫と呼ばれた男が


「どうも……懐かしい見慣れた故郷の景色が」


 ため息交じりに言葉を吐きだす。


の見慣れたもんに汚染されてんな、オロチ」


 呆れた様にその景色を眺めている。電気が消えた都市の上空を龍が飛び回り我がもの顔で破壊していく。暴風を引き連れ、人類が作り上げた世界と文明を壊す様に金の巨大生物が気持ち良そうに滑空している。


 それを前に吐き捨てるようなやりとりが行われる。


「まただ、晴夫」

「人生二回目だ……これ」


 空飛ぶ龍がまるでここは俺の世界だと言わんばかりに狂いが侵食している。


「はぁ……何体目だ、アレに会うのは?」

「数えてねぇし……覚えてねぇよ」


 それはため息にも似たやりとり。


 金色の龍を前にうんざりしていると言ったように彼らはうな垂れる。


 オロチと呼ばれた男が、


「まぁ、仕方ねぇか……」


 膝を叩いて立ち上がる。


 晴夫は、


「見ててもしょうがねぇしな」


 止まって眺めていてもしょうがないと吐き捨てた。


 二人は眼に力を込める。何かを始める様に気合が映し出される。


「晴夫……やるか」

「いつも通りだ……」


 架空の金色巨大生物を前に二人は関節を鳴らして準備運動を始める。


 首の骨を鳴らし、息を合わせるように言葉を繋げる、


「相手が誰だろう何だろうとだ」

「俺様たちを邪魔するならだ」


 二人は言葉と意思、握った拳を



「「あるだけ狩る!」」


 重ねる。

 

 あの世界の異物を排除すると――


 咆哮して気合を入れるともに駆け出しコンクリートを蹴って




「「それが俺らのやり方だッ!!」」



 フェンスを飛び越える跳躍。二十階はあろうかというビルから飛び降りていった。


 二人の視界に広がる暗闇の街。照らす灯りは燃え盛る街の灯。


 噴き上げるような風が二人の黒服をはためかせる。


「「好きにッ――」」


 高層ビルから破滅の光景に向かって嗤いながら落ちていく、




「「暴れるぜェエエエエエエエエエエエエ!!」」




 世界に満ちた絶望に向かって笑い飛ばしながら、眼帯の男二人は空から落ちていく――この世の終わりに存在を誇示するように。終末の世界に狼煙を上げる様に金色の龍へと向かっていく、人の身でありながらも幻想の生物を倒すために。


 眼帯をした二人の男は龍に戦いを挑む。


 この後に、二人は


 『はじまりの英雄えいゆう』と呼ばれることになった。






 この世界は西暦2000年を機に大きく変わった――ぞくにいう2000年問題『ミレニアムバグ』と云われるモノである。


 世界改変と書かれミレニアムバグと記された事件。


 世界は変わってしまった。この世界に無いものなどない。この世界にあり得ないことなどない。この世界に調和などない。この世界に同然などと云う存在はない。


 その変異による代表として語られるものが異世界転生・転移と呼ばれるモノ。


 或る日に忽然こつぜんと人が世界から姿を消し、年月を経て超人として異世界から戻ってくる現象が頻発する。魔法が栄えた。特殊な能力を授かった。対魔物兵器の高度な科学技術が発展した。


 皆が特殊な力を持ち日々の生活を営み、世界は新たに一変する。


 それを人は世界改変ミレニアムバグと呼んだ。


 その世界改変は政府の調べにより元凶が突き留められることになる。

 

 世界の改変ミレニアムバグの元凶――特異点シンギュラリティ


 世界改変の全てはその者によるものと推測され日本の特殊諜報機関は観察する。特異点は漆黒の髪に獣のような鋭い目を持つ傍若無人な少年。その少年は世界を終わらせたものとして『恐怖きょうふ大王だいおう』と名付けられる。


 の存在で、


 世界は大きく変わり


 騒ぎに巻き込まれていく――


 これは、である。



《つづく》

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