第302話 合法ロリと櫻井恭一郎
櫻井
「
「……」
幼女は話しかける恭一郎に目もくれずに窓の外を見て欠伸を一回した。外の景色に目を細めながらどこか眠たそうにしている。部屋にはその珈琲を飲んでるゴスロリしかいない。幼女は論文を拾い上げ片手に目を通す。
「田島教授ッ!」
「……」
声を荒げる恭一郎の一人芝居のようになっている。幼女は論文を「陳腐」と吐き捨て投げ捨てる。恭一郎はその幼女につかつかと歩み寄る。
「田島教授、無視しないでください!」
「うるさい……櫻井恭一郎。私はいま忙しいんだ」
幼女は何やら年不相応な対応で恭一郎をあしらう。それもそのはず。彼女は合法ロリ。この研究室のトップにて大学名誉教授――田島みちる、その者なのだから。
「君のような哲学野郎は要件が長くていけない。顔が知れた二人の間で名前を呼ぶ行為に何の意味があるという?」
「京子の休みが少なすぎます! このままやってたら妻の体が持ちません!」
「それはどこの病院のどれだけ有名な医者の見解だい? 明確な情報がないと判断に値しない、答えも出せるわけがない」
理路整然と感情を逆なでするような回答に恭一郎の顔が歪む。二人は旧知の間柄でもある。大学生活を櫻井京子と三人で過ごした。そこから数えれば十年近い付き合いだ。それでも恭一郎と田島みちるは仲がいいわけではない。
だからこそ、田島みちるは新しい論文を掴み、珈琲を片手に恭一郎の話を聞き流す。それに恭一郎も頭に血が上る。
「どんな研究をしているのか知らないが、たかだか数学になぜ何日も徹夜が必要なんだ!」
「たかだか……恭一郎」
田島みちるはコーヒーを机に置いてため息をひとつ付いた。そして、そこで初めて櫻井恭一郎の方に体を向ける。これは自分の研究に対する冒涜という挑戦状として受け取った証拠だ。
「君みたいな学問のゴミと呼ばれる哲学バカに教えるのは苦労するが、いいだろう、私が受けてたとう」
「哲学が学問のゴミ!?」
「そこから証明して欲しいのならしてやる。哲学などは思想だかなんだか知らないが、勝手に人間という生物を決めつけるクソみたいな行為だ。それならまだ心理学の方が統計的結果に基づく分野として確立されている。要は心理学という進化系があり、それ以下で何一つ生み出す価値もないゴミが残ったのが哲学というものだ」
「……ッ!」
幼女はまくしたてる様に自分の研究対象をゴミだと言い放つ。それも何かを証明するように説き伏せる様に威圧的に論破する構えをとっている。
「哲学など、そもそもが解がないものに答えを出そうと躍起になっている妄想野郎どもの浅知恵に他ならない。ニーチェだかカントだか知らないが要はそれっぽく言って煙に巻いて誤魔化しているだけだろ。名言? 笑わせる。私から言わせれば迷言の間違いだ。何を血迷ったのか妄想して中二的発想で難しい言葉を使ってさも、頭がいい君なら共感できるだろうみたいな見え透いた価値観が見え隠れする」
「ちょっと、田島!」
友人の暴論を止めに入ろうとした恭一郎だが、もはや彼女もといい幼女は手が付けられないほどにヒートアップしている。
「教授をつけろ! 名誉教授だぞ、私は!!」
「田島教授!」
「そうだ、それでいい。まだ証明は終わっていない、良く聞くことだ。哲学というものは人の生き方に対して考察されているようでまったくの別物だ。一日中妄想を繰り返す狂人たちの戯言。妄想というマスタベーションを繰り返して突発的に絶頂したようなものだ。その精子をありがったがっているのがお前ら哲学フェチだ!」
「……ッ!」
席を立ちあがりズイズイと恭一郎を壁の方に追いやって畳みかけていく
「そもそも思想を語るうえで文化や環境の違い、生活の違いなど考慮していないだろ。前提条件が無く、そもそもが自分以外の人間の状況という大切な情報を無視している言葉だ。じゃあ、一個だけ哲学野郎の君に反撃のチャンスをやろう。人間はそもそも生まれ持った遺伝と環境どちらに依存して形成される?」
「……それは……」
試すような問いに恭一郎は顔を歪ませる。そんなものは誰も解明など出来ていない。才能というものが遺伝によるものなのか、環境によるものなのか解明など出来ていない。
予想通りの反応と決まりきった答えに田島みちるは勝ち誇り、自席へと歩を進める。
「あー、そうだろうな。君たち哲学者はそんなことは考えない。人間を理解したふりをして本当は人間などというものを根本的に理解しようとしていない。人体の構造、構成物質はなんなのか、感情というのはどういうものなのか、脳という未知の臓器の動きを把握すらせずに決めつけている。考えない君たちは、これが理系に対する冒頭行為だとも理解しもしないだろう」
喋りつかれたのかコーヒーを一口飲み彼女はまたティーカップを机の上に置く。
「思想など個人個人で違うものが生まれるに違いない。それでも多く共感を生む言葉もある。『正義は勝つ』とかがその前提にあたる。しかし、その『正義』という価値観を君たちは不変のものとしてとらえている。変わらないわけがない。正義などその場その場の状況次第で形を変える。この世に絶対的な正義など存在しない」
彼女は勝ち誇った笑みで演説を続ける。恭一郎に反撃の余地など許さない。
「正義というものは、力ある者が振りかざす暴力を気持ちのいい言葉に置き換えたものだ。侵略や略奪を正当化するための言葉に過ぎない。そんなものが共感を生むのだから私は鼻で笑いたくなるよ。力で相手をねじふせているのが正義だ。勝って相手の口を黙らせて言いたいように言うのが正義だと。善悪などは作られるものだ。善悪の判別は子供時代に私達は植え付けられるんだ。道徳という形でこれが悪い事でこれがいい事だと。そして、それは時代によって変わる。戦争が正義だった時代もあったのに、今は戦争は悪となっているようにね」
「それは人を殺す行為だからだッ!」
「そうやって、お前らは考え無しに当たり前のことを言えばいいと思ってるんだ、哲学者くん」
恭一郎の反論すらも飲み込むようにゴスロリ幼女は嗤って見せた。
「人を殺すのが悪であるのなら、人間の歴史は悪だ。悪という行為の上に私達は成りったっている。一番文明を推し進めてきたものは、人類を反映させるに至ったものは、何か? 答えは簡単だ」
彼女は呆れた様に
「戦争だよ」
哲学者をあざ笑う。
「君たちが悪とする、人を殺す行為が人類を一番進化させて繁栄させてきた。そもそも最初から人類は多種族を弊害してきた。自分達の都合の悪いものは悪として害敵を駆除する。あらゆる生物の根源である種の繁栄に基づいているのではないか? 敵を排除しろと?」
幼女は小さい頭を傾げて恭一郎にどうだと試す。
「戦争の恩恵はすさまじい。命がかかった状態で皆がイカレ際限を知らない狂気の研究は、あらゆる科学や技術を進歩させた。何の為にと問われれば人を殺すためだ。敵国を打ち砕くためだ。自分が殺される前に相手を殺すためだ。それをたまたま殺す以外のことにも使えたという偶然の産物の他ならないがね。そして答えだが、悪である私達が生態系の頂点になったという矛盾した答えだ。正義などどこにもない」
それが事実だと彼女は告げる。それに恭一郎は口を噤む。
その姿を見て彼女は嬉しそうに新しいコーヒを入れに立ち上がる。
「これが君たち哲学者の大好きな禅問答だろ。答えがないものに答えを無理やりつけて他者の思考を捻じ曲げるのが相手の口をへし折る学問の正体、哲学だ」
彼女はコーヒーを片手にふーふーと冷ましながら自席に戻った。
「それっぽい言葉を並べ立て他者の思考を誘導するのは私はどうかと思う。人の生き方など一つではない。人間にはそれぞれ個性がある。それを蔑ろにするような答えの出し方を私は良しとしない。それに事象の確認も再現性もないものは、下書きみたいなものだ」
怒涛のまくし立てる論破に黙る恭一郎。相手のフィールドを荒らすだけ荒らして満足した彼女は「さてと」」と本題に戻る。
「京子の休みの件だったね、私と京子の研究には時間がない。京子自身も君にそう伝えてあるはずだと思うがどうだい?」
「……」
確かに櫻井京子はそのように言っていた。
「京子自身が休みが欲しいというのなら、私は快諾しよう。彼女の裁量で彼女の判断で決めたことであるならば尊重すると約束しよう」
「……」
「しかし、これが君個人の意見であれば論外だ。櫻井恭一郎」
全てを見透かしたように彼女は言う。それに恭一郎は言葉ではなく表情で返すほかない。嫌なことばかり着いてくる難敵。自然と顔が嫌悪に歪む。それを見て勝ち誇ったように田島みちるは鼻で笑う。
「まぁ、京子がそんなことを言うはずもない。私は百パーセント断言できる。これは櫻井京子を私が理解しているからだ。夫である君以上にね」
「…………」
櫻井恭一郎の顔がさらに歪んだ。
「君たちと違って私達は答えを導き出さなくてはいけないんだ。どんな事象にも必ず答えは存在すると証明しなければならない。妄想でも言葉でもなく、君が言うたかだか数式ってヤツでね」
そこが哲学とは違うのだよと勝ち誇る田島みちる。それに恭一郎の眉がぴくぴくと震える。出てきたのはもはや反則の言葉だった。
「まだ、大学時代に俺に振られたことを根に持っているのか……」
「ブブッ!」
田島は口から勢いよくコーヒーを吹きだす。それは人の感情にまつわる答えの無い話。そして櫻井恭一郎が口にした田島の告白は事実。
だからこそ、田島みちるは動揺する。
「か、勘違いするな! きょ、恭一郎ッ!!」
「あの時に俺が京子を選んだから、いまだに嫌がらせを続けるんだな!」
「バ、バカも休み休み言え!!」
顔を真っ赤にして幼女は苦々しい思い出に打ちのめされる。あっさりと振られたのは言うまでもない。そもそも二人の相性はそこまで良くないのだから。
「お前も結婚して少しは丸くなると思ってたのにッ!」
「五月蠅いっ、五月蠅いッ! 昔の事を持ち出す必要がこの話にはないはずだ!」
「いいや、大いにありだ! 京子を休ませないのも俺に対するあの時の復讐なんだろう! やるなら京子にじゃなくて俺にやれよ!」
「ああー、もう黙れっ!」
田島みちるは論理的な話は好きだが、これ系の話題は苦手だった。答えの出ないクソ問答に彼女は対応できない。なぜなら、そこに答えや論理が存在しないから。だから彼女はすぐに答えを出しにかかる。
「京子を明日の朝六時まで休みにしてやるから、私の前から消えろッ!」
「…………」
「ほぼ十二時間、半日も増やしたんだ! とっとと消え失せろッ!」
「わかった……今日は引き分けってことにしてやる、田島」
恭一郎のセリフに田島の赤面した顔の片眉が吊り上がる。その田島の反応を気にせずに恭一郎は勝ち取った成果を元に研究室を跡にして自宅へと帰っていった。
「なんで、私は……あぁ……あぁ……ァアアアア!」
恭一郎のいなくなった研究室で田島みちるは机に突っ伏してその小さい体で足をブンブンと振るう。過去の自分を殺したい。恭一郎に告白したのは事実だがそこに恋愛感情などない。それがまさか弱みになるとは思ってもいなかった。
「よりにもよって、京子はなんであんな奴を……ッ」
悔しさのあまり学生たちが書き上げた努力の結晶の論文を握りつぶす。それは一人の友人を思いやっての過去の行動でしかない。田島みちるは恭一郎のことは大好きなのではなく、むしろ大っ嫌いである。
《つづく》
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