第294話 少年の勝利を祝福するように
一時間の戦闘の勝敗を告げる鐘の音が終わり迎えた。誰も声を上げなかった。頭を打ち付けた態勢で止まっている二人。時が止まったように静かだった。
風の音も無く静けさの音だけが聞こえる。
——静かだ……何も聞こえない……。
だからこそ櫻井は終わりを確信する。黒崎の瞳が白目に変わっていく。膝からゆっくりと前のめりに倒れていく。触れたから分かった。黒崎の思考がなくなったことが、意識がなくなったことが、無音の世界を作った。
——終わった……。
その瞬間に体を動かしていた怒りは消えた。こときれた体は立っていることを止めた。その差は秒にも届かない。スローモーションのように見える動き。それでも少年は勝利を確信した。幾度となく求めたものを手にしたと思った。
最後に残った意識で僅かに体を反転させた。
——勝った……。
黒崎よりわずかでもいいから遅れて倒れるように。仰向けになった櫻井から見える静かな世界は黒く染まっている。日を超えたばかりで山という状況の中、見える空はどこまでも深く闇を広げている。
——そこにいるのか、絶望……。
幾度なく見た絶望の色が前から消えない。それは少年から幾度となく希望を奪ってきた。立ち上がれないくらいに、生きることをやめるくらい、彼から多くのものを奪ってきた。
だからこそ少年は閉じかける瞼を堪えた。まだそこに在る、絶望を見るように。
幾度となく少年を敗北へと導いた絶望。櫻井のみた世界は絶望で溢れていた。どこに行ってもそれは空のように彼に付きまとう。世界のどこにでもそれは在った。
少年を逃がさないように。
だからこそ、もう動かない体で暗闇に向けて口角を緩める。
——もう、俺はお前には負けねぇから……。
その足は一度生きることを止めて止まった。絶望に負けて動けなくなった。それでもまた動き出した。進む先にそれが待ち構えていると知っていても生きる為に歩き続けた足は強くなった。
だからこそ、少年は絶望へと再戦の意気込みをぶつける。
そして、今日が彼の復帰したての初戦。
その為の準備を幾重に何度も重ねてきた。強くなる為に。まだ目指す光までには暗闇の道が広がっている。それでも、この軍配はどちらにあがったのか。
『お前も勇者なら絶望に抗ってみろよ!』
少年の絶望になるといった男は砕いた。絶望に抗うどころかぶっ殺すつもりでやってやった。もう心も体も空っぽになるまでぶつけてやった。そして勝ち取った勝利だ。少年は絶望に一矢報いた。
そして初めて望んだ勝利を手に入れた。
それは、彼の復讐の第一歩となる。
――くたばれ、絶望……。
だからこそ、彼は絶望に向けて悪態をぶつける。
初めての勝利の余韻に浸りながらも意識が飛んで消えていく。だが、この男はどこまでも足掻くやつだ。最後の力を振り絞って櫻井は無限に広がる空の絶望に向かって死にそうな声をぶつけた。
「ざまぁ……みろ……」
今日こそお前に勝ってやったぞと。それが最後に出た言葉。どこまでも口が悪く狂ったやつの捨て台詞。『最弱』にして『最低』で『最狂』の男が絶望に吐き捨てた言葉。
黒崎の体が地べたを舐める。だが櫻井の体はその手前で止まった。
「よく戦った……」
その勝者の体に土がつくことをその者は認めなかった。その手は倒れる体を支えるように抱きかかえた。ここまでズタボロになった勝者を労うように。その者は最初に時間が過ぎることでしか勝敗を勝ち取ることは出来ないと考えていた。
その眼は愛おしそうに男を見る。
まさかこんな勝ち方をするとは想像もしていなかった。学園最強に近い試験官を最弱の受験生が倒すなどと想像してもいなかった。助けに来るために走っていたのに着いたのは彼の勝利を見届ける役目だった。
「よく頑張ったな……櫻井」
獣塚の視線はどこまでも優しく勝者を包むように釘付けとなった。
「これで試験は終わりにゃん」
「はい……校長」
実戦試験の終了を迎えた。校長と佐藤は全てを見届けたと足を動かし、校舎へ戻ろうとしている。その動きに獣塚の視線が向かう。
「校長、結果は……」
その声は何も言わずに去ろうとする裁定者たちに問いかける。この戦いを見て何も感じなかったのかと。この男をはかり間違えていただろうと。興奮した様子も無く、ただ静かに見据える眼は訴えた。
この試験の勝者は誰かと――。
「見ればわかるにゃんよ」
猫は獣塚に答えを返す。その眼は黒崎と櫻井に向けられた。
「どちらが敗者でどちらが勝者かは一目瞭然にゃん」
「えっ……」
猫の言葉は明確には答えを提示してこなかったことに獣塚は不安を抱える。そして、櫻井を見る猫の視線がどこかオカシイ位置を見ているのが気になる。
「獣塚さん、黒崎君と櫻井君の回復はまかせるにゃんよ」
「それでお前らが帰宅指示を無視した件は不問にする。あとはまかせた」
「ハイ……」
校長と佐藤はその言葉だけを残して去っていった。獣塚は不思議そうに実戦試験の二人をみた。黒崎は地に伏して倒れている。櫻井は自分の腕に抱きかかえられている。
——まぁ……勝ちってことだよな……?
「ん?」
だが、ふと視線が向いた。それは猫が去り際にみた視線の先にあった。櫻井のある場所。それを見て獣塚はそういうことかと嘆息を吐いた。
それを見れば猫の言う通り一目瞭然だった。
——これは櫻井の勝ちだ……。
勝者の体を癒す様に獣塚の手から白い光が輝く――みるみると血だらけだった体は血色を取り戻していく。胸の抉れた血肉も傷痕となって修復されていく。
そんな獣塚の元に三人が恐る恐る獣塚によってきた。
「あの櫻井は……」
岩城が勇気を出して獣塚に櫻井の結果を問いかけた。
「あっ、忘れてた!」
「ごめんなさい!」
それを受けて獣塚はびっくりした声を上げ、それに三人は肩をビクっと震わせた。獣塚は三人を驚かせたことに悪い悪いと平謝りして笑顔を作る。
「それなら大丈夫だ」
三人がほっとしたような顔を見せた後で獣塚は忘れていた方に体を向けた。この結果を待ち望んでいるものが他にもいることを。だからこそ、富田たちが待つ山の方向を向き右手を強く上げる。
——みんな……
そして、その右手のひとさし指と中指は大きく開き少年の勝利を仲間達に告げた。
——櫻井がやったぞ!
櫻井の勝利を告げるピースサイン。
「かっ……たっ……?」
獣塚のサインに三葉が膝から崩れ落ちた。足に力が入らなかった。手は震えていうことをきかない。声は震えてうまく喋れない。自分で口にしてもその事実を受け止めきれていない。
「富田ぁあああ!」
「やったぁあああ!」
富田の体を抱きかかえ、名も無き僧侶はクルクルとダンスでも踊るかのようにその場で回った。 三葉がへたりこんだ体を揺さぶるように誰かが抱きついた。
「三葉、あの子、勝ったよ! 勝ったんだよ!」
「かずねぇ……」
興奮を抑えきれない双子の姉の喜びに三葉の前から大粒の涙がこぼれだす。ずっと見てきた。ずっと待っていた。その努力が報われる瞬間を。待ち望んでいたからこそ堪え切れなかった。
「三葉! やったよ!」
感情を爆発させて喜ぶ姉。力強く抱きしめる姉の涙が少女の肩を濡らし、体を揺さぶる。それにつられて三葉の涙腺は崩壊を迎えた。
「う、えぇえええんんん――」
声をあげて泣いた。ずっと不安で心配でしょうがなかった糸が切れたかのように少女は大泣きした。少年の勝利を喜ぶようにその涙は収まることなく溢れだした。
「岩井……やべぇな……」
「武田……ッバいわ……」
剣士とタンクは震えながらお互い見つめ合う。興奮が制御しきれない。
「岩井……見ろよ……オレ、手が震えちまって止まんねぇよ……」
剣士は絶望を乗り越えた少年の死ぬ気の頑張りに魅せられた。受け止めきれない感情に言葉でどう出していいかも分からないから、体が顕著に反応を示ししていることを震える声で伝えることしかできなかった。
「武田……俺なんか……見てみろ、足がビクビク痙攣してやがる……」
それはタンクも同じだった。体の震えが止まらない。お互いどう表情を作ったらいいかも分からない。泣きたいのか笑いたいのかも分からない。それでも胸が熱くなって興奮を殺しきれない。
「アイツ……試験官に勝っちまったぞ、岩井……」
「アイツ……やりやがったな……武田……」
自分たちで事実を再確認したが故に、二人はもう感情が爆発して止まらない。
「「ヒャッホォオ! 勝ったァアアアア!」」
自分の体だけでは感情を表現するには追い付かず、お互いの胸を思いっきり何度も殴り合って感情を爆発させる。遠慮なく殴るが喜びで痛みなど感じない。二人は涙を流し笑い合いながら、胸の内の喜びをぶつけ合あった。
誰もが少年の勝利を祝福するように喜びを爆発させた。
獣塚がピースサインを下ろすと岩城達が気を失っている櫻井を見ていた。
「どこの誰だよ……コイツを落ちこぼれだなんて言いやがったのは」
岩城が笑いながら悪態を付く。
「まぁ、言ってたのは本人だけど」
富島が肩をすくめてお茶らけて見せた。
「どこまでも嘘つきなんだよね、櫻井さんっは」
三人がクスクスと笑う姿に獣塚も微笑んだ。
「三人とも見てみろ、コイツの右手」
そして、三人に校長から言われた勝利の証を見せることにした。
獣塚に言われて三人は櫻井の右手に視線を落とす。そして、それを見てしまったからどうしようもない差を感じた。この男と自分達とでは違いすぎるのだと。笑えてしまうくらいに志が違いすぎる。心の強度がバグっている。
だからこそ、四人は小さく笑った。
彼が愛し殺した赤髪の少女は未来が見えるといった。
『はじめは……ホントに泣き虫で弱虫なんだから』
赤い髪を揺らしながら背中を着いてくる彼という弱い存在に困っていた。それでも彼女は彼がそうなる未来を信じて疑わなかった。赤髪の少女は言った言葉を飲み込んで彼のほうへと振り返った。
『けど、きっといつか――』
そして、それを獣塚は見届けた。
「櫻井はじめ、お前は本当に――」
その先は奇しくも赤髪の少女の言葉と重なった。その校長が見つけた勝利の証がそれを証明している。気を失っているはずなのに、指の骨は全部折れているのに、それでも少年の右手はこれからも戦う意志を残した。
進藤流花の女の直感が告げていた。
彼女は振り返り彼に愛を込た笑顔をおくり予言する。
『誰もが認めるスゴイやつになれるよ』
「スゴイ奴だ……」
赤髪の少女が信じたその未来はいま描き出されたようにそこに始まりの跡を残す。その右手は意識がなくともいまだに拳が作られたままだった。
その右手は初めての勝利を噛み締めるように、握られたままだった。
《つづく》
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