第295話 この物語には主人公が――

 黒崎の暴走に壊れかけた校舎の廊下を猫と女は歩いていた。


 そこで何かを言葉を交わすこともなかった。心に刻まれた戦いに浸るように言葉を出すことを二人は躊躇っていた。どこか足取りは軽く軽快に元いた場所に戻ってきた。


「あなた、何やってるの?」

「ふぇ……っ?」

「高畑……」


 校長室で座り込んで泣いている高畑の姿に佐藤は呆れた様子で笑う。それぞれが、それぞれの立ち位置に戻っていく。校長の隣に立つように佐藤が、机の上に飛び乗るように猫が座る。その前に高畑は立った。


 佐藤はタブレットを操作しながら画面を探す。


 その横で猫は気づかされた間違いに答えをつけた。


「僕は英雄というものを勘違いしていたにゃん……」


 それは英雄に成り損なった少年が見せた悪足掻き。


「強くなければ英雄ではないと思っていたにゃん。勝ち続けた者だけが英雄になれると思ってたにゃん」


 十年近く人間を見てきて分かっていた気になっていた。


「けど、それは間違いだったにゃんよ」


 高畑は静かに立ち上がり校長の話に耳を傾けた。


「英雄っていうのはもっと違うものだったにゃん」


 猫は少年の闘いを思い出した。弱くても、浅ましくても、抗う美しさがあった。


「英雄とは廃れない者を指し示すにゃん。時代を超えて語られるものこそが真の英雄にゃん」


 それは強者だけではない。時代を超えた弱者の英雄もいたはずだ。誰もが魅了されるのが英雄というものだ。そして、それは生き様で語られるものだ。


「英雄に正義も悪も無いにゃん」


 そして、良識あるものだけではない。様々な英雄がこの世には存在する。悪としての英雄も存在している。英雄とは様々な分野で存在する。それでも英雄は英雄として語り継がれていく。


「真の英雄とは――」


 それは英雄を英雄とたらしめる絶対条件。何をもって英雄は英雄となる。多くの人が認める英雄とは何か。いつの時代も彼らは廃れない。その生き様が、生き方が、人生が人の心に訴え、形を残すから。



「人々の魂を揺さぶるものにゃんよ」



 その形は人の行く道を変えてしまうほどに鮮烈なもの。華やかでなくとも泥臭く生きる姿にも人は感動を覚える。神のような人物もいれば、どこまでも人間臭い人物もいる。そして、狂気と呼ばれる愚行を繰り返す者も。


 猫は言った『英雄』とはそういうものだと。


 校長の話が終わり佐藤がそっとタブレットを校長の前に置いた。


「で、校長、どうなさるおつもりですか?」


 置かれたタブレットはまるで猫を試す様に映し出す。その者は英雄たるのかどうかと、猫にどうするのかと問いかける。もう扉は閉められていた。百枚の切符は配り終わった。マカダミアの受験には合格者の定員が決められている。


 上位百名のみと――。


 閉ざされた門の前で抗い続けた少年に渡せるものはない。


 ならばと、


校長特権こうちょうとっけんを発動するにゃん!」


 校長は声を上げる。


 それは涼宮強が学力試験で全科目零点を叩きだした時に高畑が願ったもの。この学校の責任者である校長だけに許された特権。百枚のみの切符を増やすことの出来る権利。


「櫻井はじめを――」


 ずっと戦い続けた少年に贈られる英雄への切符。そして、それを少年に渡す様に猫の前足は力強くタブレットへと叩きつけられる。櫻井はじめという少年の顔写真の横にポンと押された。




「合格とするにゃんッ!」 



 

 校長が彼を認めた証の肉球スタンプが。




 それは少年が初めて勝ち取った勝利。絶望だけの世界を変えたプロローグ。


 櫻井はじめはこの後に落験という制度に怒る田中へ受験のルールを語った。


『マカダミアの受験は一日のみで受験者人数も一万人を超えてくる』


 それは変えられた後のルールだった。この櫻井はじめの受験を機にマカダミアの受験制度は変わった。決められた人数から不定数の数へと。


『その中で僅かを選び出すためには時間がないんだ』


 一人の少年の絶望との戦いが世界を変えた証は残り続ける。


 そして、この少年の絶望はまだ始まったばかり。


 まだ先に絶望が待ち受ける。彼が倒したのはあくまでも、マカダミアの黒崎という試験官でしかない。せいぜいAランクがいいところであろう。


 彼が目指す者はもっと遥か先にある。


 その男は扉の中で誰よりも先頭に立っている。その男の戦闘ランクはトリプルSランク。櫻井はじめという少年との差は圧倒的だった。彼が一時間かかった試験を、さらに困難な条件ですら無傷に近い形で数分で終わらせている。


 それはこの物語の主人公、


 『最恐』にして『最凶』、


 そして『最強』の男――涼宮強。


 少年はこの世界で特別な存在。理由なき圧倒的な力を持ち、特異点と呼ばれる存在であり、それを諸悪の根源のようにとらえる者も多い。世界を変えたものとして推察されている。


 生まれながらにして世界の『罪』を背負う男。


 残虐非道鬼畜外道のヤル気がない、世界一主人公に向かない男。



 しかし、その男は願った――


 『お前と一緒がいい』と。



 そして、扉の遥か先で一人佇むものを追いかける者が現れる。その距離がどんなに離れていようとも。その男は敵か味方かも分からない。後にピエロと呼ばれる。


 『最弱』にして『最低』しかして、


 『最狂』の男――櫻井はじめ。


 絶望に心を折られながらも立ち上がり、男はどこまでも抗い走り続けた。一番後ろから先頭にいるその男の背中を目指すように。どんな時も諦めずに歩き続ける男。



 その男は願った――


 『お前に追いつきたい』と。



 そして、いずれ二人は並び立つことになる。二人の出会いは必然だった。





 なぜならばこの物語には、主人公が――





 二人いる。




《つづく》


 

 

 

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