第289話 これが俺の生きる道ダァアアアアアアアアア
「自殺行為だ、馬鹿者ッ!」
佐藤の顔が愚行に歪む。絶望に殺意を向けるなどバカのすることだ。この状況を理解してる節がありながらもそれを受け入れない。そこにあるすべての絶望が一人の弱者に向かっていく。
「嘘……」
三葉の震える指が唇に触れた。抗いようのない絶望が櫻井に向かっていく。その量は彼という人間などの比ではない。校庭を埋め尽くしていた絶望の全てがたった一人の男に向けられたのだから。
「……っ」
一葉は眼を強く閉じて涙を零した。武田と岩井は諦めて空を見上げた。富田は力を失くして地に膝をついた。名も無き僧侶は悲しい目で櫻井を見た。
どこまでも愚かに見えた。勝てない絶望に向けて手を伸ばす男。その選択は間違いだ。
もはや存在の大きさが違う。
岩城達が三人で手を握り合って何か願うように眼を閉じた。誰もがその愚行に絶望を見た――ひとりの男を除いて。
それを前にする男にとってはそれはありふれたものだった。その色はどこにでもある色だった。指の骨が折れた右手を迫りくる闇に向かってかざした。
絶望に向かって手を伸ばした。
闇の濁流にのみ込まれてその男は姿を消す。
「櫻井……っ」
獣塚が走っていたが間に合わなかった。まだ数分かかる。その距離はどこまでも遠く離れていた。それでも走ることを止めなかったが心は折れた。速度が段々と落ちていった。
その表情には力が無くなって絶望にそまった。一人の男が闇に飲み込まれて誰もが絶望に染まった。
だが、闇の中にいた男だけは違った――。
「クァアアッ――」
そのかざした右手は、指が折れていようとも、闇の流れに潰されそうになりながらも、掲げられていた。息が詰まりそうになる黒い世界で少年は足で地を踏み締め、踏ん張って堪えていた。
折れた指を無理やり補強するように左手で支える。
「こんなもんかよッ……」
その意思を支える様に声を上げる。
暗闇という絶望に染まっても、なお愚かにも抗い続ける。その圧力が男を押し殺そうとしようとしても消えなかった。絶望に抗っていた。
「もう、諦めてんだよッ……」
——もう俺は汚れている……。
その闇に体を染められようとも恐怖などない。その右腕は闇の圧力に抗おうともさして存在は変わらない。その薄汚れた右腕は少年には黒く見えていたのだから。
だから岩城達との道を拒絶した。
自分はどこまでも汚れた存在だと思いたかったから。
——嘘をついて、誤魔化して、偽って、騙して、脅して、
自分が罪人だと思いたかったから。
——蹴落として、欺いて、貶めて、罵って、裏切って、奪って、殺して、
暴風のように闇が少年の罪を責める様に体を打ち付ける。
——殺して、奪って、繰り返して、
それでも少年は歯を噛みしめて、体を前に倒して闇に立ち向かう。
——失って、捻じ曲げて、忘れて、何も無かったことにして、
自分に怒りの矛先を向けて、絶望に逆らうように、
決められた運命をあざ笑うように、右手で闇を押し返す。
——俺は笑っていたのか……。
その手を闇の濁流に向かってかざし続けながらも、頭を垂れた。
その右手は幾度となく彼に絶望を見せた。その右手は彼の嘘を許さなかった。現実に帰ってきた日に全てを嘘にしようとした少年を許さなかった。進藤流花が死んだことを嘘にしようとした彼を罰した。
その能力があることが、彼女を殺した世界があったことのなによりの証明だ。
それはさっきまで見ていた夢への贖罪だったのだろう。自分が嫌った者達とさして変わらない。自分が体験した異世界にあったものと何一つ変わらない。自分は汚れた存在だ。救われる存在ではない。あのパンフレットのように笑っていい訳もない思っている。
だからこそ、少年は絶望に身を置く。
黒く染まった世界に命を置く。
——あぁ、これがその罰だというなら受けいれてやる……。
その垂れた
「ただなぁ――」
その眼は開かれた。右手の戦う意志はまだかざされたままだった。その意思は折れなかった。その体は倒れなかった。その足は立つことを止めなかった。
——まだ、俺は命を賭けてきっていない……尽きてはいない。
その命は闇に飲み込まれなかった。
——救いなんていらねぇ、希望なんていらねぇ、夢なんていらねぇ、
その眼の輝きは失われていなかった。
——それでも、俺はあの光を求め続ける。
少年はどこまでも落ちた絶望の闇で一筋の光を見た。どこまでも暗い世界だったからそれは力強く輝いた。その光を奪うように闇は濃さを増した。
それでもその眼には光がハッキリと見えた。
——この世界に絶望しかないとしても、この世界に俺の居場所がないとしても、
その手に力が込められていく。それは生きる意志だ。少年にとってはそれが全てだった。その消えそうな光が全てだった。それを求めるこそが彼にとって唯一のものだった。
——この世界を変えるまでは止まらねぇッ!
この世界は変わった。その変貌した世界は少年に絶望を見せた。仲間を失った、感情を失った、両親を失った、ヒロインを失った。幾度となく今も続く絶望を見せる。それでも少年は知ってしまった。
この世界が変わってしまった理由を。
「アァアアア――」
——奪わせやしない……。
その願いを前に少年は力を再度込めた。その絶望の先に見えた光を求めるように一歩踏み出した。その体はまだ弱く強くはない。それでもそれしかなかった。少年にとってはそれだけしかなかった。
少年に絶望しか見せてこなかった世界を変えることが、少年の唯一の生きる理由だった。
だからこそ、届かない光に手を伸ばす。
「アァアアアアアアアアアア!!」
——この手があの光に届くまではッ!
それが消えてしまえば意味を失う。それを掴むことだけが少年にとっての目的。
涼宮強を殺すことだけが、櫻井はじめにとって生きる意味なのだから。
「アァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
——けして、届かない光なのだとしても……誰にも誇れないことだとしても。
それが無謀なことだと理解しても止まる理由にはならない。幾度となく銀翔が居なくなった部屋で安堵のため息をついた。それは自分の本心と向き合う為の時間だった。
そのため息の意味は。
「アァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
——俺が願ったんだ……俺が決めたんだ……俺が求めたんだ……。
『復讐』が愚かなことだとは理解している。そしてこの願いが間違っていることも理解している。これは自分に生きて欲しいと願った銀翔の願いとは違うのも知っている。
けど、その本心を偽ることだけは出来なかった。
それは人にとっては取るに足らない理由だろう。さして、意味もないのだろう。愚かだと蔑まれるものだろう。理解などされないものであろう。
それでも櫻井はじめにとっては譲れないものだ。
銀髪の男と初めて会った日に少年は世界を壊そうと腹から叫んだ。この世界が終わることを願って。何かもが終わることを願って。
この絶望が終わるようにと。
今あるモノを壊そうと全力で声を上げ続けた。
そして、自分を壊した――。
一度は絶望に負けたその心を治せるものはそれしかなかった。あの亡者に怯える日々を終わらせるためにはそれしかなかった。立ち上がれなかった心が、体が、立ち上がるための力になる、理由が、生きる意味が、必要だったのだから。
なぜなら、それが櫻井はじめにとっての『生きる理由』になったのだから。
それが無ければ今の『櫻井はじめ』は存在していないのだから。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
——俺が俺である為に、これしかねぇからッ!
それが有れば生きられた。それが無ければもう諦めていた。
それが無ければその体は立ち上がることを止めていた。
いくら人を騙して欺こうともそれだけは許せなかった。
——愚かな道だとしても、この先に絶望しかねぇとしても、偽れねぇからッ!
自分を偽ることだけは出来なかった。自分で自分を騙すことも、欺くことも出来なかった。それ少年の絶望の内側にあったのだから。
だから、あの日、自分を壊した叫びを絶望の世界に向けて荒げた。
「ウッラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
——これが俺の生きる道ダァアアアアアアアアアッ!
その世界を壊す様に、世界を変える様に。
その掲げられた右手は光を発した。それはまだ淡く消えそうな光だった。
「何が起きてるにゃんよ……」
一匹の猫だけがその波動を感じ取る。
少年の螺旋は目覚めの時をずっと待っていた。
《つづく》
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