第288話 幸せそうに笑っている姿に……

「もう、三人ともずっと待ってたのにッ!」


 俺達三人の自首練が終わるのをずっと見ていたらしく桜島さんは鞄をブンブンと振り回しながら怒っている。俺達男三人は急いで着替え暗くなった道を街灯が照らす帰路についた。


「ごめんって、桜島さん」「ごめんよ、まいっち」「ごめん、マイさん」


 三人で謝ったが、それでも桜島さんの怒りは収まらない様子だった。


「三十分ぐらいずっと待ってたんだからッ!」

  

 桜島さんが図書委員の仕事を終えてから一人で勉強をして時間を潰しても、俺達の方が遅かったようだ。大会が近い分、いつもより俺達の気合が違うのだ。


 この夏の大会が終われば三年生たちは卒業してしまうのだから。


「お世話になった部長達に華を持たせて卒業させてやりたいんだよ。桜島さん、お詫びに岩城がジュース驕るからさ」

「えっ、なんで俺が!」

「それは櫻井のナイスアシストでたくさん外したから、岩城は」

「いや、せいぜい一本だったろッ!」

「何が一本だ……お前、俺が四本パス出して一本しか決めてないから三本だ」

「その一本もギリギリだったけどな。岩井先輩に止められたこぼれ球を執念で入れたようなもんだったけど」

「一本ゴール決めたから全部帳消しだろ!」


「「それはない」」


 岩城が食らいついてきたが俺と富島はバッサリ斬り捨てた。確かにあの一本を執念で決めたのは岩城らしいプレイでよかったとは思っているが、それでも全国を勝ち抜くには岩城の出来にかかってくる要素が大きい。


 ここで甘やかすわけにはいかない。


「三人はホントサッカー好きだよね」

 

 桜島さんが俺達のやり取りに呆れた様にため息交じりに想いを吐き出した。それはどこ蚊帳の外に出されて寂しいといった空気を持っていた。だから俺は何の気なしに誘ってみた。


「桜島さん、マネージャーやればいいじゃん?」

「私、サッカーとかよくわかんないもん」

「誰でも最初はそうだと思うよ」

「それに……」

「んっ?」


 なんか考え込んだようにして俺を見上げた桜島さんの眼。それを俺は上から不思議そうに見下ろす。何か言いたげな感じがある。ただそれを言葉にしたくないという雰囲気を感じる。彼女の眼にキッと力が入った。


「なんでもない!」

「イテッ!」


 怒った桜島さんが俺の顔面に鞄を大振りにぶつけた。何が気に食わなかったのか、わからん。俺はしゃがみ込んで痛みを発する鼻を擦る。ツーンとした痛みに涙が出てくる。


 ——なんだ……?


 桜島マイはまたプンプンとして怒っている様子で自販機でジュースを人数分買っている岩城の元へと走っていった。岩城は財布を揺らして見ては、ため息をついている。今月の小遣いがピンチに陥ってるようだ。


 ほぼ毎日、俺達にジュースを奢ることになってるのだから。ちょっと可哀想でもあるので、大会中に一点取るごとに岩城へジュースを返してやろうと富島とは話をしている。そこまでに岩城には成長して欲しいものだ。


「あまりに鈍感すぎるのもどうかと思うぞ」

「なんだよ、富島?」

「攻めは上手い癖に守備は下手なんだよ、櫻井は」

「俺のポジションはオフェンシブハーフだからな……」


 呆れたような眼で俺見てくる富島は何を言いたいのだろう。


「櫻井、最後に誰かにパスを渡すだけじゃ点は取れないんだぞ。シュートを打ってゴールを決めないとゲットできないぞ」

「いや、今日はフリーキックで一点決めただろう……」


 今日の1ゴールは直接フリーキックからの一点だった。


 見事に岩井先輩の裏をかいてゴールネットを揺らしてやった。まぁ俺は得点を取るより最後にパスする方が俺は好きだけども。相手全員がギョッとするような瞬間を見るのが大好きだけども。


「この手の会話は合わないな、俺達」

「サッカーの息はぴったしだと思うけど……」


 富島は本当に何を言いたいんだ? 何かのたとえ話なのだろうか?


 実際、富島がディフェンシブハーフでボランチをやってくれてるから、俺は全線で心置きなくプレーを安心して出来るのだ。例え攻撃が失敗したとしてもうまく富島がフォローしてくれると安心感があるから。


 怪訝な顔をする俺に富島は眼を細めた。


「あんまりウカウカしてると、俺がお前のこぼれ球を貰っちまうぞ」

「どうぞ。むしろ頼みたいぐらいだ」

「お前のそういうところ……」

「へっ――?」

「嫌いだッ!」


 俺の頭に二度目の衝撃が走った。富島が振り上げた鞄がしゃがみ込んでいる俺の後頭部目掛けて野球のバットのように振るわれた。


「イッテェ! 何すんだよ、富島!?」

「夜道と後頭部には気を付けろよ、イケメン櫻井!」


 俺を置きざりにするように富島も自販機の方へと走っていった。俺は二人から殴られた痛みを抱え夜空を見上げた。頭がズキッと痛んだ。それは富島に殴られたものとは違う痛みだった。


【君が望めば、こんな世界もあるんだ】


「……?」


 また謎の声がした。頭を押さえながら俺は空を見上げるがそこには星があるだけで、他には何もなかった。俺は不可思議な現象に首を傾げながらも自販機の方へと向かっていった。


「ほら、はじめ!」

「サンキュー……って、部活のあとにカルピスソーダかよ」

「まいっちがお前にはそれで十分だって!」

「えっ……」


 俺が見ると桜島マイは舌を出してベーとしていた。ようわからんが怒りを買ってしまったみたいだ。俺達四人はまた歩き出した。


 帰る為に。自分の家に。両親が待つ我が家に。


 ——両親が……。


 何かが頭を過った。当たり前のことだったはずなのに、何かが違っている感覚に襲われた。俺はどこに帰るのか一瞬分からなくなった。俺のいる場所がどこなのかわからなくなった。


【いいんだ。辛いことは忘れてしまっても、難しいことは考えなくても】


 また声がした。頭の中で響くような謎の声。その言葉が何を伝えてるのか。


 ——辛いことを……忘れて……?


「櫻井君、ぼ~としてどうしたの?」

「いや……」


 足を止めていた俺の横に桜島さんがきた。岩城と富島はふざけながら俺達よりも先を歩いていく。その背中を見失わないように俺は桜島さんと並走して歩いていく。


「櫻井君、練習のしすぎで疲れてるんじゃないの?」

「どちらかというと、桜島さんにさっき殴られた後遺症かもしれない……」

「もぉおお!」


 ふざけながら会話を交わしていくが何かが心に突き刺さったままだった。何とも言えない感覚に思考が取られる。これが俺の日常だったはずなのに、何かが崩れ始めている気がした。ハリボテのように感じてしまった。


 今、目の前にある世界が何かオカシイのではないかと疑ってしまっている。


「櫻井くん、三葉先輩と居残り練習の時に何を話してたの?」

「それは……」


 俺はカルピスソーダを一口飲んだ。口の中に広がるジュースの味。蒸し暑い夜の空気に缶が汗を流す。何かを忘れている感覚にとらわれて会話に集中できていない。口の中で炭酸が弾けて無くなっていく。


 口の中に滑っとした気持ち悪い何かが残っている。


「好きな人はいるかって聞かれてて……」


 ——甘ったるい……。


「えっ……」

「今はサッカーだけしか考えてないって、言って」


 ——甘ったるい……甘ったるい……。


 どこか嫌悪にも似た感情が胸の内から湧き上がってくる。急に自分が何者であるのかがわからなくなった。なんで俺はここに居るのか。何を俺は間違えているのか。俺は何をしたかったのか。


「そうなんだ……」

「三葉さんは狙ってるヤツがいるって……」

「それって……」


 ——ここは違う……ここじゃない……。


 桜島マイが俺の前に立ちふさがった。その姿に何故だかわからないが、どいて欲しいと思ってしまった。同学年で仲のイイ友人であるはずなのに、なぜ俺はそんなことを考えているのかもわからなかった。

 

 けど、心が譲らなかった。


 その甘えた考えを、幻想を、受け入れることを拒否していた。


【ここは幸せな世界だ。ここはボクが君にいて欲しいと願う世界だ】


「櫻井くんは三葉さんみたいな人が好きなの……?」


 心配そうな顔で見てくる桜島マイの顔に俺は歪んだ顔を返した。何かが、イヤ何もかもが、気持ち悪かった。この世界の在り方も、この俺という存在も、ここにある全てが紛い物に見えて仕方がない。


【なぜ苦しむ道を選ぶ必要がある……君には幸せになる権利があるのに?】


 頭の中で声が響き続ける。此処が正しい世界なのだと。此処が俺がいるべき場所なのだと。胸の内が熱くなってソレを否定してくる。ヤツはいった、ココは俺にいて欲しい世界だと。


 けど、こんなものは――。


「やっぱり年上の方がイイの……?」


 桜島マイの眼が涙に浮かぶ。俺の表情が険しくなっているからこそ、何かを感じ取ったのかもしれない。自分は邪魔な存在なのかもしれないと。ただ偽りでしかない存在の言葉に俺は心を揺さぶられた。


「そうだ……年上だった……俺より」


 俺は言葉にして理解した。ここは誰かが見せている幻想の世界なのだと。こんな世界はありえないのだと。そして、ここは俺のいるべき場所ではないのだと。


【君の選ぶ道は間違っている、君は君の居場所を違えてる】


 ——違う……これは違う。


 俺は頭の中の声に心で返しながらも桜島マイに言葉を返していく。俺の頭に浮かんだ人物。そしてソレは俺の心の中に残り続けている人物。


「俺が好きだった女は……強気で勝気で男勝りな奴だ」

「もういいッ! 言わなくて!!」

 

 俺の言葉に桜島マイが耳を塞いで泣き叫んだ。その声に富島と岩城が走ってこっちに向かってきた。桜島マイの体を二人で支え、俺をオカシイといった目で見てくる。


「何やってんだよ、はじめ!」「桜島さんを泣かすなよッ!」


【君が選ぶその道で悲しむ人が大勢いる。その一人はボクだ】


 ——そうかもしれない……そうかもしれないけどなッ!


「俺が好きだった女は、俺が愛してた女は、」


 お前がオカシイという言葉に俺は強く意志を固めた。そうだ、ここは俺ではない誰かが願った世界。俺を愛した誰かがそう生きて欲しいと願った場所。


「何言ってんだよ、はじめ!」「もうやめろよ、櫻井!」「やめてよッ、櫻井君!」


 ここが正しくて、俺が目指すものは間違いかもしれない。


「赤髪の強い女だった……それは俺が殺した……」


 それでも譲りたくはない。忘れたくもない。


 それがどんなに苦しくて絶望に染まった過去だとしても、忘れてやるものか。


「進藤流花、ただ一人だッ!」

 

 進藤流花のことを忘れるわけにはいかない。俺は流花ねぇの事を忘れない。俺が忘れてしまえば、それは彼女の言葉通りになる。俺は本当の裏切り者になってしまう。


 殺したという事実に、言葉に、三人が固まって俺を見ていた。


【君が殺したわけじゃない、彼女の死は必然だった】

 

「違う、あの時に俺が間違った選択をした結果だ!」


 俺は天に向かって声を張り上げる。この世界の主に。この世界を作ったやつに。


【なぜ頑なになる……君には幸せになる権利があるのに! なぜソレを放棄するッ!!】


「これはお前の望む幸せだ! 俺はこんなものを望んでなんかいない!」


 そうだ、この世界は紛い物だ。作りものだ。どこぞの趣味の悪い奴が作った幻影だ。俺がいるべき場所はこんなところではない。俺みたいなヤツが歩く道がこうであってはいけない。


【君はもう十分苦しんだじゃないか! 罰は受けた! その先でこれ以上の苦しみを受けると分かっているのになぜ間違った道を進むことを選ぶんだッ!!】


「それでも譲れないものがあるからだ……」


 多分、この僕という奴は俺の味方なのだろう。コイツは俺に幸せになって欲しいと願っているのだ。それを有難く受け取ろうともそれは違う。こんな形など求めていない。


「俺の進む道は俺が選ぶッ!」


 俺は幸せになりたい訳じゃない。はき違えてるのは、お前だッ!




「邪魔をするなァアアアッ!」




【愚かだ、君は。どこまでも救いようがない程に愚かだ……人間ってヤツは……】





 謎の声が弱弱しくなると幻術のような世界がひび割れて壊れた。



 体のあっちこっちが忘れていた激痛を一気に運ぶ。ボロボロの状態のままで絶望の闇を前にしていた。その先に見えた現実には、またあの三人がいた。

 

「早くッ!」


 桜島さんが涙を流しながら強く手を伸ばしていた。


「避難して来いッ!」


 富島がガラにもなくパニックになっている。


「コッチにコオォオオイイイイヨォオオオオッ!」


 岩城はアツイ男だ。一番声を出して真っすぐに願いを込めていた。


 ——あぁ……お前らと会えてよかった。


 結界で三人は守られている。そこにいけば、ヤツが見せた世界もあるのかもしれない。今ここで諦めて彼らの手を取ればそんな世界も存在するのかもしれない。そこは何もかもを忘れて幸せに過ごせる世界なのかもしれない。


 その事実と三人との友情に俺の顔は綻んだ。


「なんでだよ……」「なんで笑って……」「こっちに来て、お願いだから……」


 ——幸せだった……あぁ幸せだったよ。


 一瞬の夢のようなものだった。それでも確かにあの世界で過ごした時間もあった。そこは優しさと希望に満ちた世界だった。誰もが望む普通の世界があった。


 ——本当に幸せそうだった……。


 けど、違ったんだ。その手を俺が取ることは出来ない。


 俺は岩城達から顔を背けた。その伸ばされた手を取ることはなかった。


「ウガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 ——俺のいる世界はこっちだ。


 俺は闇が色濃い場所に体を向ける。絶望の闇が広がる世界。全てを忘れることなどできない。ここまで歩いてきた道を否定することを俺が許せない。


 そして、何よりあの世界で許せなかったことがある。


 ——あぁ、本当に幸せだった……。


 俺は足に力を込める。これから襲い来る闇を前に闘志を燃やす。


 自分で望んだ道を、自分の足で歩くために。


 ——幸せそうで……。


 許せなかった。あの世界で何もかもを忘れている男を。ソイツは何かに満足していた。自分のしてきた罪を忘れてどこまでも浅ましくもスター気取りだった。それは銀翔さんから渡された一般の学校のパンフレットに載っている様な顔だった。


 ——幸せそうに笑っていた姿に……。


 その自分が幸せそうに笑っていた事が俺は何より許せない。


 ——反吐へどが出るッ!


 体を前に倒して、眼に力を込める。目に殺意が宿ると同時に黒崎嘉音の体がビクっと揺れた。そして、闇の触手が動きを止め標的を選ぶ。


 それは黒崎の絶望となるものを破壊するべく動く暴走した能力。


「お前の好物は俺だろ……よそ見してんじゃねぇよ……」


 黒く禍々しい触手の先が暴れることを止めて俺に狙いを定めた。それは確実に殺意を持って俺を指していた。このボロボロの体で策も何もない。何が出来るわけでもない。それでも俺は負けるわけにはいかない。拳を握り直して声を張り上げる。


「最終ラウンド開始と行こうぜ……絶望サマァアアア!」 


 俺の叫びに呼応するように絶望の狂気の刃が俺に襲い掛かる。



《つづく》

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