第258話 櫻井はじめはまだ知らない
新宿都庁の執務室で銀髪の男は一人ウロウロしている。
「あー、受かってほしいような……」
それは彼にとっての悩みだ。葛藤にも近い。
「受かってほしくないような……」
櫻井という同居人の行く末が今日決まるといっても過言ではない。だからこそ彼は悩むのだ。近くで見ていたらからこそ信じられない程の努力をして来たのも知っている。
だから受かってほしいという気持ちもある。
「受かっちゃったら……」
それでも受かってしまえば櫻井との別れを意味する。だからこそ寂しくていやだと思う気持ちも強い。櫻井との共同生活は銀翔にとって充実した日々だった。最初は苦難も多かったが櫻井が快調へと向かっていくたびに胸が躍っていた。
櫻井の成長を見るのが人生の楽しみだった。
「ヤダな……どっちも」
だから銀翔衛は悩むのだ。どちらに転んでも悲しくもあり嬉しくもある。そんな自分が嫌だと思う反面、どうなりたいかの答えは彼の中にない。優柔不断な優男の行く末はまだ見えない。
「これは……」
そんな銀髪男の迷いを着くように携帯が鳴った。彼は携帯を取り出し届いたメールの差出人を確認する。
「はじめ……」
自然と手が震えた。もちろん件名も無題のままであるが故に内容を知らない。だからこそメールを開くのが怖い。もう結果が出ていい時間でもある。どちらに転ぶかは指先ひとつである。
「あぁあああ、どうしよう!?」
一人メールを前にしゃがみ込んで考え込む。開封ボタンを押すべきか押さずに見逃すべきか。指が震える。知りたいような知りたくないような気持ちに混乱する。
どちらに転んでも嬉しくもあり、悲しくもあるのだから。
「えいッ!」
優柔不断の男は情けない声を出した開封ボタンを押した。だが目を瞑っているので内容が見えない。ハッキリできない性格。恐る恐る目を開いて文字を確認していく。
メール画面に移された文字は彼の未来を映し出すものではなかった。
『弁当うまかったっす。あと受験が長引きそうなんで帰り遅くなります』
単調な文字だけのメールに銀髪はため息をつく。それは安堵のため息だ。結果がまだ出ていないことへの安心感。少しの間の安心。
けど不意に気づく。
「これはどっちなんだろう……?」
悩む時間はまだ続いてるのだと。
櫻井の受験はうまくいっているのか、いないのか。優柔不断な思考に襲い来る答えの出ない二択の連続。だからこそ銀髪は気が気でない。
どうなるのだろうと、どうすればいいのだろうと自問を繰り返す。
「銀翔さん、失礼いたします……何やってるんですか?」
「はぇ……?」
扉が開いたことにすら気づかずに黒髪の女性を見上げる。クールな装いで書類の山を抱えている女性。杉崎莉緒である。
「なにか悩み事ですか?」
「いや……うん」
銀髪は急いで立ち上がり姿勢を正すが悩みは消えていない。後ろにある机の書類も片付いていないで手つかずの一日。そこにさらにお仕事の追加されるのだが、気づいていない。
それよりも悩みでどうしようもない。
「ちょっとね……」
「家にいる
会話がかみ合わないのはいつものこと。それでも杉崎は笑顔を向けている。
「杉崎さん知ってたの……」
「銀翔さんはわかりやすいですから」
もはや銀翔が猫を保護している心優しい男だと思い込んでいる。恋は盲目である。だが虚をつかれたのは銀髪である。櫻井の事がバレていると驚いている。
「そういえば、以前頼まれたもの見つかりましたよ!」
「えっ……」
杉崎のテンションに圧され気味の銀髪。杉崎は書類を机においてポケットから白濁の液体が入った小瓶を取り出した。それには女子らしくリボンで綺麗にラッピングがされている。
「傷跡が消える回復薬をお探しだったんですよね♪」
「あぁ……そういえば探したけど」
「これレアアイテムで貴重なんですけど、見つけてきましたのでお譲りします。これを体にかければどんな傷跡もたちまちピチピチのお肌に復活ですよ!」
杉崎の手から小瓶が銀翔の手に渡された。
「えっ……くれるの?」
「はい♪」
それは以前銀翔から相談を受けたものである。当初は変態鬼畜SMプレイの為に使われるのかと杉崎は激怒したが、虐待を受けた子猫の古傷を癒すためということであればと全力で探し回った。
『
神酒とはモンスターの母乳で出来た酒である。レアアイテムの扱いになるのはモンスターはメスを限定としておまけにそこから妊娠している個体を見つけて乳しぼりをしなければならない。おまけにそれも一種でなく十種を超える。
そこから貯蔵して酵母で発行させなければならない。
非常に手間暇がかかる一品。
だがこのエセクールビューティはメンヘラ属性。
銀翔の為だけにモンスターを追い込み時間をかけて作り上げた愛の結晶。そのため
幾重の命の結晶の上に一本の回復薬が完成した一品。
多くの犠牲とモンスターの母乳で出来た美肌用回復薬。
それが神酒。
「杉崎さん、ありがとう。これであの子の傷痕も消えると思う」
「気にしないでください!」
銀翔の笑顔を見た杉崎は元気よく扉を閉めて退出していった。銀翔は小瓶を片手に祝いの酒を感慨深くもみる。異世界で負った傷跡は未だに櫻井の体に残っている。そしてその傷跡は今日数を増やしてくるかもしれない。
「帰ったら渡さなくちゃな……」
手土産を手にその男の無事を願う。
「あー、渡しちゃった♪」
銀髪の見えない位置の廊下でスキップしながらクールビューティはご機嫌で庁内を移動していた。それが子猫ではなく子飼いの青年美男子に使われるとも知らずに彼女は幸せいっぱいだった。
そして、櫻井はじめはその事実をまだ知らない。
若干ホモ臭が漂う恩人から超絶臭い謎の白濁液を渡されることを。
それがおまけに女子力が高いリボンで綺麗な小瓶に入ってるものだと。
櫻井はじめはまだ知らない。
《つづく》
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