第256話 ラブ&ピースだよね
「二十三時か……」
俺は一人屋上で遅めのランチに取り掛かる。体の傷も薬をぶっかけられて治癒している。それでも体に疲労が残っている感覚はある。痛みが消えたような感覚はあるのにそれまでの痛覚ですり減った精神と肉体。
回復薬も万能ではない。完全回復とは程遠い。
「気を抜いたら意識が飛んじまいそうだ……」
銀翔さんから渡された弁当箱を広げていく。
「なんだこりゃ……」
とても手の込んだ弁当だった。そぼろなどで確かにうまそうに見える。具には肉類からミニサラダまであるので健康にも申し分ないのだが、ピンクの文字が浮かび上がっているのが嫌だ。
「新妻か……あの人は……」
ピンクのでんぷんで『合格』とサクラの花びらをかたどられた弁当は、もはや新妻の成せる技。中年童貞がやるには痛々しい弁当だ。そしてそれを俺が食わなきゃいけないというのは罰ゲームにも近い。
「ったく……あの人は俺を合格させたくないのかもしれねぇな……」
これは嫌がらせの一種かもしれない。一口二口と箸で口をつけていく。作ってもらったからには当然食べなきゃ失礼にあたる。弁当を食いながらも俺は銀翔さんにメールを送る。
「送信っと……」
弁当を食べ終わり横になる。空はうす暗くなり始めていた。
「実戦試験次第か……」
おそらくここが受験の鍵を握っているのだろう。ここまでの疲労感からうとうとと意識が宙を飛んだり地に戻ったりする。なんとなく俺はポケットに手をあてた。
「頼むぜ……」
そこには銀翔さんから朝に貰ったお守りが入っている。願掛けなんてものは俺のガラじゃないがそれでも何かを願いたい。なんとなくこれのおかげで俺は山で意識を失ったときに意識を取り戻せたような夢のような感覚がある。
「試験まで寝るか……」
この精神的疲労の回復と肉体的な回復に努めよう。いまさらトレーニングしたところで意味がない。足りない実力は早々埋まるものでもない。だからこそ俺は眠る。
次の戦いを万全の体調で迎えるために――
それだけが俺に唯一出来ることだから。
◆ ◆ ◆ ◆
「坊主は今頃マカダミアの試験が終わってる頃か……」
関口は診察の空き時間にふと櫻井のことを思い出した。櫻井の進み出した道が気にならないわけがない。それが今日という試験の日であればなおさらである。
一年近くに渡り弱った少年を見てきた。
殺しの罪悪感に押しつぶされて壊れてしまった櫻井を。
「頑張れよ……坊主」
だからこそ関口は願う。櫻井が無事に願いを果たすことを。その歩き出した道のりに光があることを。そして関口は思い出す。ある人物を。
それは櫻井と似ているが対称的な存在でもあった。
「あの娘も同い年だったっけか……」
忘れようとも関口にとってその患者は忘れられない人物だった。医者になって初めて患者と向かい合うことが怖くなった記憶がある。救おうとして失敗した医者の記憶。
『今回の件は気に病むことはねぇ、お前は何も悪くねぇから』
『そうだね、私は何も悪いことしてない』
その少女は軽い口調で答えた。それに関口は怪訝な視線を浮かべる。何かが引っかかった。あまりに彼女の境遇と出来上がる人物像がかけ離れ過ぎていた。だからこそ関口は確信を突くように質問投げかける。
『あれは事故だ、お前の責任じゃねぇと俺は思う』
『事故?』
彼女は首を傾げて医者の問いにケタケタと笑って返す。
『何か勘違いてしてるよー、全然事故なんかじゃないし』
彼女が笑う理由が分からない関口は眉を顰めた。それは彼女の境遇を考えれば仕方のない事件だった。人一人が死ぬに値する事件だった。
『もうやだなー、先生。あれは私がやったんだよ』
『それはオメェが虐待を受けていたからだろうッ!』
そんなことがあってはいけないと医者は声を荒げるが少女は「ふーん」と言って小馬鹿にするように返した。医者の理解が自分の思考に全然追いついていない。それを彼女は笑ったのだ。
『私は虐待なんて受けていない』
『なにを言ってやがるッ!』
そんなはずはないと関口は声を荒立てる。確かに調書にそう書いてあるのだ。幼少時より暴力だけではなく性的暴行まで実の父親から受けていたと。それも一度二度ではない。数え切れないくらいに彼女を苦しめてきたのだ。
『私はパパにちゃんと愛されていた、この世で一番愛されていたんだよ』
『…………ッ!』
会話が成り立たないことに唇を噛みしめる。彼女が見せる闇が深すぎて関口の言葉がまるで届いていない。それは闇に飲み込まれて濁流の中でどこへとも分からずに消えていく。
彼女は父との想い出に浸り、愛を感じていた。
『パパは私にだけ愛を注いでくれていた』
うっとりするようにまだ十歳の少女は語る。体中にその傷跡が残っていたとしてもそれを撫でてこれが証拠だと言わんばかりに。関口の理解では到底追いつかない。それはどこまでも残酷な世界で作り上げられた彼女と云う人格。
親はロクでもなかった。
職にはつかずギャンブルと酒におぼれる日々。そして機嫌が悪くなれば彼女を殴りつけていた。彼女がまともな性格をしてないことは容姿や体格を見ればわかる。どこまでもやせ細って痣だらけ。いくつものタバコを押し付けられたような痕。
おまけに髪はボサボサのまま。
『……っ』
それでも彼女は笑うのだ。愛されていたと。それが愛だと彼女は心の底から信じているようにどこまでも父を崇拝する。自分は愛されていたのだと。
そんな状態の少女に何をすればいいのかも分からぬ関口は怖くなった。医者という無力な立場に彼女は爪痕を残す。どこまでも狂って壊れた笑みは嘘ではなく嗤っているのだから。
『だから私も愛を返さなきゃって思って、パパにできるだけの愛をあげたの』
関口は少女の闇に飲まれていった。櫻井とは違う狂気。同じように人を殺したことに対する反応でもそれは違いすぎた。少女はその行為をうっとり語る。
『パパが私を愛してくれたのの十分の一も返せなかったのが残念だけど……』
それは仕方がないことだと誰も思っていた。彼女が受けた境遇に比べたらそんなことが起きても誰も彼女を責めはしなかった。本当の彼女を知らない者は彼女を悲劇のヒロインに担ぎ上げていた。
『けど、私は全力でパパにいっぱい、いっぱーい! 愛を注いだの!!』
彼女は嬉しそうに語る。その時の光景を。父親が寝静まった中で少女は包丁を手に取った。そしてその包丁で愛を伝えようとしただけだった。彼女が知っている愛は痛くて切ないものだから。
寝静まっている男の背中にこれでもかと、
『何度も何度も包丁を突き刺したの! 愛してるって、愛してるって叫びながら!! そしたらパパは動かなくなっちゃったの……』
復讐を果たす様に突き刺した。狂ったように返り血を浴びながら何度も何度も。それは怨恨であると警察は決めつけた。しかし違ったのだ。事実は違った。狂った少女の求愛行動でしかなかった。父が愛してくれたように自分も父を愛そうとしただけだと彼女は本気で言っている。
『私の愛が重すぎてパパが壊れちゃったの……もっと愛し合いたかったのに』
関口から言葉は何も出てこなかった。少女が嘘一つついてないことに恐怖が勝ってしまった。何を言えばいいのかもどう対処すればいいのかもわからない。この娘は本気でそう言ってるのだ。
一人を殺してもそれは愛ゆえにだと。
『もっとミミが大人だったらうまく愛せたのかなー、ねぇ先生?』
『やめろぉおおお、もうたくさんだッ!』
関口は僅か十歳の彼女が出す狂気の圧力に敗した。席を立ちあがり脅えて壁にぶつかる。それに彼女は嗤いながらも距離を詰めていく。
『ねぇ、先生……』
恐怖で体震える医者に少しずつ距離を詰めてその頬を両手掴む。その目はどこまでも狂気の色で輝く。彼女は自分は間違っているはずがないと思い込んでいる。それが本当の愛だと信じて疑わない。
『先生はミミを愛してくれますか?』
彼女の標的が関口に移りかけるのに身の毛がよだつ。これ以上まともな会話など望めるはずも無いと医者は患者の手を力強く振り払った。
『離セェエエエエ!』
『………………』
少女は振り払われた手を見つめた。そしてその手に残る感触を確かめるように一舐めした。そこから溢れてる血に口づけをするように。その口元を鮮やかな朱に染めて化粧をした彼女は満面の笑みを浮かべる。
『いたっい……』
言葉は痛みを発していてもどこか嬉しそうに興奮しているように見える。それの笑みは狂人そのもの。どこか壊れて狂っている。殺人の罪悪感など一ミリもない。
その狂気に関口は負けたのだ――。
彼は初めて患者を手放した。その少女だけは彼の手に余ってしまった。
「今頃、アイツはどこで何をやっているのか……」
関口はその少女の行く末を知らない。彼女がいま櫻井と同い年になっているだけしか知らない。その狂気が更生できるものではないと知っていてもどうかと願った。
普通の成長をしていることを願っていたのだ。
「愛ってね、とーっても痛くてね、切ないものなんだよ」
だがその女は変わっていなかった。そしてナイフを手に持ち関西にいた。
「ミミはみんなに愛し合って欲しいんだ……」
櫻井や涼宮強と同じように異世界エリート学園の試験を受けていた。それはほんの気まぐれの行為だった。彼女にとっては遊びでしかない。久々の学校生活を楽しみたいと思っているだけだった。
「ミミに見せて二人の本当の愛を……」
彼女は愛を見せろと試験官たちに語る。その横にはすでに受験生含めて五人が血まみれで横たわっていた。もうすでに息はなく彼女の手元に一人の生首が置かれている。
「やめて……」
「頼む……もう」
二人の剣を持った男女は向かい合っている。狂気の女に剣を向けるのではなくお互いに震える剣先を向けて横目で生首を抱えた少女に許しを乞うている。体の自由が奪われている。
それは金髪ツインテールの少女の意思のままに操られている。
じわじわと二人の距離が縮まっていくのに彼女は恍惚の表情を浮かべる。
「別れるのも愛、傷つけあうのも愛、この世界は全てが愛なんだよ」
お互いの剣先が胸元にカチカチと当たって定まらない。涙を浮かべ男女の剣士は救いを一人の受験生に向けている。だが届くわけもない。その女は壊れて狂っている。
櫻井とは違う。殺した罪悪感などない。彼女はむしろ殺すことによって救っているのだと思い込んでいるのだから。これは救済なのだ。愛の試練でしかない。二人が本物の愛を確かめるための誓いの儀式でしかない。
「さぁ、見せてよッ! ミミに本当の愛を、止められない熱烈な愛ってやつを!!」
金髪の女が身を悶えるように力強く抱きかかえると血しぶきがあがった。どこまでも深く深く二人の愛を心を突き破る。止まることなく剣先はお互いの胸を貫き通す。抵抗など何もできずに二人は膝から崩れ落ちる。
お互い剣先が二人の左胸を貫通し涙を流して、血を吐いて、眼は色を失う光景に狂気の女は噛みしめる。これこそが彼女が求めているものだ。
「あぁ……あぁあああ……」
震えるほどに二人の愛を感じたのだ。
「やっぱり愛って最高だよ、愛に勝るものなんてこの世にないんだよッ!」
手を上げて立ち上がる彼女の足元に生首がゴロンと転がる。いくつもの死体に囲まれながらも彼女は血にまみれて踊り狂う。最高だと感情を爆発させるように。
だがそれも束の間だった。
「何をやっているんだ……ワン!」
複数の教師と校長が駆け付けて彼女を囲む。ミミは残念そうな表情を浮かべた。今最高潮に楽しかったのにそれを邪魔されて気分が落ちた。それを隠すことも無く往々しくも表情に出している。
「はぁーあ……いま良い所だったのに」
逃がさないと言わんばかりに教師たちの眼が剥かれた。その惨状を前に怒りが湧きたつ。狂気を前に正常な心が苛立ちを隠さない。彼女を束縛するように幾重に結界が敷かれていく。
何層もの強固な結界が彼女を閉じ込めた。
「話はあとで聞かせてもらうわん」
到底少女では抜けられない結界。それにはドッグ校長の力も入っている。狂気の女は結果を見て肩を落とした。これは普通で抜けられないと観念したように見えた。
「ゲームオーバー……」
あまりにふざけた言葉。殺人犯が語るには行き過ぎた語彙。それには在校生を殺された教師たちの怒りが天を貫きそうになる。殺気が四方八方から少女を包み込むが彼女は嗤った。
「イヤ、タイムオーバーかな」
その言い直しに何の意味があるのかもわからなかった。強固な結界の中に異変が起きた。黒い影が動いている。何かが少女の横に立っている。その風貌はふざけたものだった。
「ミミ様、遅いようなのでお迎えにあがりました」
「アインツ、ナイスタイミング!」
誰もが虚を突かれた。強固な結界の内側になぜかヴァンパイアが立っている。どこから侵入して来たのかもわからない。気配を感じることも無く結界の内側に入られている。
「逃げられるわん! 攻撃を許可するわん!!」
誰もが気づいた。結界から逃げられる可能性があると。だからこそ結界の内部に幾つも攻撃を作ろうと能力を発動する。魔法や自然能力。それらが二人の男女に降り注ぐ一歩手前だった。
「行きましょう、ミミ様」
「うんじゃー、出発進行!」
楽しそうに別れの手を振る金髪ツインテール。その身を隠すようにヴァンパイアがマントに彼女の身を隠す。それを見逃すまいと結界の中に衝撃が走る。爆発を封じ込めるように幾層に重ねた結界に鳴り響く爆発。
砂塵すら逃げることを許さない結界。
「やったか……!?」
教師たちは誰もが目を見張っていた。その可能性を危惧していなかったわけではない。そうなる可能性があったからこそ教師たちは急いで攻撃をしかけたのだ。生け捕りは無理かもしれないと判断したからこそ。
「ここ関西カシューナッツドッグ高校で一人の受験生による快楽殺人が発生したのことです!」
上空を飛ぶヘリ。報道記者がいち早く情報を掴み試験会場の異変を探す様に飛び回る。情報がどこから洩れて一般に流されていた。そしてエリート校での珍事に報道も熱が入る。
起こりうるわけがない事件――受験生による殺人事件。
それはエリート六校がいままで積み上げてきた正義のイメージを払拭するもの。力を持つものが正しいわけではない。強靭な力を持つ狂人の存在が狂わしていく。その狂気に負けた。
事件は未然に防ぐことも許さず起きてしまった。
「カメラ、あそこ誰かいるわよ!」
カメラが報道記者の指示に従い仮想の校舎を写す。その屋上。
「ミミ様、御戯れが過ぎますよ」
「あれ、カメラじゃない?」
そこには一人の制服を着た少女が立っていた。そしてマントを来た吸血鬼の姿も。吸血鬼が彼女の殺人を咎めようとしたが、ミミはそれすらも気にしていない。彼女にとってはそれが当たり前のこと。人の命なんてものは愛の為にしかないのだ。
その狂った愛を表現するためにしかない。
「カメラに気づいた誰かがこちらにサインを送っています!」
報道記者がその金髪ツインテールの顔を全国に流す。そしてその少女は笑いながらサインを送る。アイドルの様に輝く舞台を表す様に楽し気にミミは嗤う。
「やっぱ――」
その右手でサインを全国に送る。狂気の笑みを浮かべて。
「ラブ&ピースだよね」
その右手は彼女の言葉を表す様にピースのマークをカメラに向けて作っていた。
《つづく》
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