第249話 執念じみた狂気の果てでしかない

 身を投げるようにして、重りを背負った男が転げ落ちていく。


「カァ――ハッ!」


 重しをつけて加速した体が打ち付けられると体に電撃が走ったように痛みが走る。だが抵抗することも無く流れに身を任せて下へと下へと速度を上げて転げ落ちていく。障害物に弾かれながらも。


 岩に当たり木に当たり方向を変えながらも降りていく。


 その激痛に歯を食いしばりながらも視界はままならぬくとも、どこまでも転がって、転げ落ちていく。平坦な場所につくまでは止まることも無い。男の体を容赦なく打ち付けていく衝撃。


 パチンコ玉のようにぶつかりながらもただ出口を探し求めて櫻井という男は愚かにも進んでいく。


「なんだ……あれは……」


 先に崖を大急ぎで昇ってきた武田と岩井の前で転げ落ちてく。崖を登った先の急勾配に目を奪われるよりも先に愚行をとらえる。そのとらえた眼は理解できないからこそ歪む。嫌悪に声が震える。


「昔じいちゃんに言われたことがある……」


 武田が転げ落ちていく瀕死の櫻井を見ながらも思い出を語る。


「人間死ぬ気で頑張ればなんでもどうにかなるって……いい言葉だと思ってた」


 それを聞いたときの幼い武田はその言葉を美しいもののように感じていた。頑張るということに尊いものがあるように感じていた。極限まで頑張れば夢は叶うという理想に酔っていた。


 亡き祖父の言葉を胸に頑張ることを続けてきた。


「でも間違いだ……」


 だが目の前の光景はそうではない。自分の知っている美しさや尊さなどない。自分が思い描いていたものと違いすぎる。そんな綺麗な光景に見えるわけもない。文字通り死ぬ気でヤツはやっているのに。


「こんなもんは間違ってる……」


 誰にも止めれないほどの狂気に顔を歪める。どうすればそこまでいけるのかもわからない。努力という領域ではなくなっている。無様で愚かで無知を貫いてる姿は尊いものではなく醜悪なものだ。


 泣きそうなほどに残酷なものだ。


「こんなもん見てる方がおかしくなっちまう……じゃねぇか」


 転がり何処までも落ちていく。体から血液が舞い散り男が辿った愚かな道をマーキングしている。それでもヤツは苦痛の中で、絶望の中で。


「なんで……」


 不可解だ。理解などできるはずもない。櫻井という男はどこにでもいる凡夫だった。涼宮強が思い描いている普通の一般人のイメージにもっとも近かった。


 力も無く才能も無く、戦闘には無縁だった。


「嗤っていられる……この状況で」


 苦痛や絶望に染まりきらない。その顔はどこか何かそれすらも望んでいるように受け入れて口角を緩めている。櫻井は普通に甘んじなかった。櫻井が目指したものは普通から零れ落ちた存在の中でもどこまでも遠く離れた異質な存在。


 普通の男が目指した先はトップクラスに異質な領域。


 普通の天秤のど真ん中に居た男はその秤から落ちようともがき足掻いた。


 銀翔が認める通り異常な成長速度だった。才能とは別物。それは限界超え続けるトレーニングの産物でしかない。毎日限界を超えてきた。それだけは欠かさなかった。


 昨日よりも一歩でも遠く、一回でも多く、一秒でも長く戦ってきた。


 常人では耐え切れない負荷。休息すら許さないと体を痛めつけてきた。それは狂気だった。狂った行為の他ない。どれだけの苦痛ですら受け入れ続けた。体が苦痛という悲鳴を大にして上げようともヤツの精神が凌駕してきた。


 次第に細胞が生きようと形を変え始めた。


 強烈な負荷の連続。毎日叩きつけられる苦痛に耐えうるように。体が情報を取り込み始めた。櫻井の遺伝子の螺旋は書き換えを行う。生きるために進化を促した。生物が持つ本来の力を目覚めさせ始めた。


 環境に適応する進化の能力を――。


 過酷な環境で生き残るための細胞が生成されていく。痛みの情報を脳が差し替える。これは強くなるための警報だと。ここで変わらなきゃ生存というものはないと。生きる意志が戦いを始める。この苦痛に耐えうる体をと。


 急激な成長を促し始めた――。


 狂気が細胞を進化させていく。狂っている男の愚行は生存本能を呼び起こした。生きたいという願いが男を変え始めた。強くあろうとする願いに答えるように。進化を止める暇などないと。


 死にたくなきゃ強くれなれと――。

 

 そして、櫻井はじめは普通の天秤から転げ落ちていった。まだそれは端にたっただけなのかもしれない。異常と異質への入り口に立たされただけ。それでも才能ではない。


 これは単なる執念じみた狂気の果てでしかない。


「どうなってる!」

「獣塚……」


 獣塚が遅れた到着した時には終わっていた。武田が視線で櫻井の行く先を示す。ヤツはあそこにいると。どこまでも転げ落ちて転がって痛めつけられて、辿り着いた答え。


「……バカなのか」


 先程よりダメージが見て取れる。流血は頭部からも流れ出ている。服は破れ気持ち悪く腫れあがった皮膚が剥き出しになっている。そんな男が倒れている。


 先程まで崖の頂点に立っていた男が谷底に。


「イヤ――」


 獣塚の表情が曇る。分かるのだ。転げ落ちていったことは。それも自ら望んで落ちていったことも分かる。ダメージなど度外視した選択肢。それが最短だとしても恐怖に負ける。先の実戦試験の事を考えてれば出来る選択肢ではない。


「イカレテやがる……」


 それがどんな絶望であろうとヤツは飛び込んでいく。フラフラしながらも櫻井が地に足を着け出した。どこまで絶望に落とされて来たかも分からない。


 それはもう彼の中での日常だ。


「あと少しか……」

 

 それでも彼は歩みを止めない。止まることなど忘れてしまった。歩くことでしか生きられない体になりつつあった。休むことなど望んでいない。安息など求めていない。櫻井が歩みを止めずに来た結果だ。どこまでも愚かで愚鈍な足取りが招いた未来。


 櫻井の視界に校舎が映りだした。それは櫻井も知っている。


 そこが最終試験の場なのだと――。



《つづく》

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