第247話 ピエロ過去編 —絶望、希望、また絶望!—
それは俺の中で濃密な時間だった。
秋と冬は殴られ続ける日々。
「遅いッ!」
「ハイッ!」
温厚な銀翔さんが吠えるのに俺は気合を入れて返す。幾度となく打ちのめされた。力の違いを見せつけられた。体に痛みがあろうが俺は笑って立ち上がる。
「もう一本お願いしますッ!」
手を抜いてくれないことが嬉しかったから。
どうしようもなく弱くて惨めだろうとどうでもよかった。強くなれるならなんでもよかった。絶望という暗闇に見えた光が消えないで近づいてくる感覚。まだ小さくとも離されることも消えることも無い。
「シキさん、かかってこいや!」
俺が歩き続けてれば、止まらない限りは、光は消えないのだと思えた。
愚鈍で愚行、無知蒙昧――。
それはどうしようもない俺にとっての生きる意味だった。何かも失った俺の手元に残された立ち上がる理由。絶望から逃げ回ることを止めた俺が追い求める絶望をかき消す灯。
だから俺は走り続けることが出来た――。
「ハァハァ……」
坂道であろうとなんだろうと、この先がどんな未来かも分からない。
だからどこまでも続く道を走り続けている――。
いいや、行きつく先はろくでもないことはわかっている。復讐というものだ。全てを奪われて絶望した男が意味の無い復讐に駆られているということだけだ。これは誰も望まない願いだ。誰もが理解できないものだ。
「ハァハァ!」
それでも――俺だけが望む生き方。
「…………」
ただ遠くまで来た。体力の続く限り走り続けた。薄ぼやけた夕日に染まりつつある砂浜。どこまでも広がる海の景色。耳に響くさざ波の音。
普通の奴らからすればなんでもない、なんともない景色。
ただそれが俺にとってはどこまでも遠かった。
息を飲むように日が沈んでいく景色を砂浜に立って見つめた。
暗闇に染まっていく。絶望に負けてずっと部屋で籠っていた時に幾度となく俺を包んだ暗闇が迫ってくる。それでも俺は嗤って迎える。飲み込めるものな飲み込んでみろと。
星が夜に輝く。それはいつか消えてしまうものかもしれない。それでも最後の一瞬迄輝くことを止めない。
最後の一秒まで輝き続ける。
遠くまで来れるようになった。俺は来た道を戻るように走り出す。
どうしようもなく消えない心の熱に身を任せるように。復讐という炎にやかれながらも俺は充実していた。くだらない理由だった。どうしようもない程腐った願いだった。叶うはずもない願いだった。
理解など捨てていけと心がいう。
どうしたいかではないと――どうするかだと。
「なッ……!」
「へへっ……」
銀翔さんとのトレーニングに声が響いた。腕が痺れる。足で堪える。俺は嗤った。銀翔さんにガードをさせた。俺が銀翔さんにガードをさせたのだ。一撃目を受けて二撃目の攻撃を能力で奪取。そしてそれを躱して反撃の浴びせ蹴りを打ち込んだ。
初めて俺の一撃が銀翔さんに届いた――。
幾重にも季節を変えてきた功績が実ってきた。
「ジャンプ攻撃は――」
「へっ……?」
俺の足は見事に銀翔さんに掴まれた。ガードが終わった状態から攻撃に転じる速度に俺がついていってない。空中で浮かんだままキャッチされた。攻撃をしたことで緩んでいた。倒したわけじゃなかった!
「無防備になるから勝負所以外では悪手だよ」
「ぎゃぁあああ!」
振り回される。勢いよく地面に向けて叩きつけられる。俺は見事に顔面からフローリングにキッスを捧げる。それも熱烈に痛烈な奴をお見舞いしてやった。
歯がとれるかと思うほどの強打を。
「イチチ……チチ」
「ふん……」
「ん?」
痛がる俺を前に銀翔さんが嫌そうに鼻を鳴らした。反撃されたことがそんなに気に食わなかったのだろうか。
「ギリギリ受験できるレベルにはなってきた……」
「へっ……」
その言葉は俺の成長を祝うわけではなかったけど、悔しそうに浮かべる銀翔さんの顔で分かる。やっと土台に乗ってきた。諦めずに続けてきたことが実ってきた。
「それでもマカダミアの合格にはまだまだ足りないけどねッ!」
なんで……怒ってんだよ、この人。
「へへ……」
そして、俺はなんでうすら笑ってんだよ。
触れて分かっている。俺の成長速度が尋常でないことに嫌気がさしているらしい。まったくの戦闘未経験者が異世界戦闘経験者の領域に踏み込んだ。銀翔さん的には絶対無理だと思っていたらしい。
「銀翔さん、もう一本ッ!」
ただ俺のトレーニングは常軌逸している。限界の壁を幾度となく超えてきた。
トレーニングを始めた日から着実に、一歩一歩と。
「シキさん、あめぇぜ!」
シキとの戦闘には着いていけるようになってきた。紙の細い体から繰り出される重い一撃にも慣れてきた。心なしか感情がないシキさんにも焦りの色見て取れる。妄想かもしれないが。
構え方に力が入ってるように感じるぜ、シキさん!
「今日こそ、倒させてもらうぜ!」
戦闘という体を整えられるようになってきた。おそらく銀翔に触れている影響が大きい。次元の違う戦闘思考。それを直にイメージで能力で読み取ることで急速に成長を促されているような感覚がある。
「アイヤッ!」
それでもまだシキさんには届かないけど……。
頬をビンタした師匠の一撃は強烈だった。頑張ってこいやというように気合を入れるように。トレーニング環境は他の誰よりも恵まれていたのだと思う。時間も設備も相手も何一つとして不自由などなかったのだから。
「坊主……お、お前、マカダミアを受験するだぁあ!?」
関口がびっくりしていた。まぁ驚くのも無理はない。つい最近まで死にかけだったヒョロガキがいきなり関東最強の高校を目指すとかいいだしたのだから。だが俺にとってはそれは当たり前のことのように思えている。
「だから通院も今日で終了だ」
「いや……まぁ、もう大丈夫だと思うけどよ……」
俺が妄言に胸を張っている姿に関口の方が勢いを失くしている。自信満々に言われると自分が間違っているのかと錯覚を起こすのに近いのかもしれない。俺はマカダミアに合格することだけしか考えていなかったから。
「世話になったな、関口」
「……頑張れよ」
俺は席に座った関口を見下ろす様に立ち上がっていた。想いを伝えるために。
「アンタのおかげで、俺はまた生きたいと思えた」
多分会えることはそうそうないのだとわかっているから。別れを惜しむように。
「アンタがいたから、俺は強くなれた」
感謝を伝えるために。関口の眼が潤んでいくのがわかる。
「ありがとう」
その俺の視線から逃げるようにそっぽを向いてティッシュに手を掛けて鼻にあてる関口。
「あぁーチックショー、花粉が飛んでやがるぜ!」
「冬だぞ、今は」
関口の照れ隠しに俺はニヒルにツッコミを入れる。関口は苦笑いで顔を歪める。堪えているのがよくわかる。その関口がとつぜん不思議そうに自分の足元を見た。
「なっ……」
足元でなにかがポンポンしている。俺はあちゃーと思った。シキさんが俺の胸ポケットから出てきて関口を労うように脛を紙の手でポンポンと叩いていた。
「なんじゃぁ、こりゃぁあああ!」
動く紙の神さまに怯えるようにキャスター付きチェアで滑って逃げる関口。その滑稽な様に俺は笑う。ビビりすぎだ。そして俺は床に立っているその元凶を回収する。
「シキさん、出てきちゃだめだって」
シキさんが申し訳ないという感じで頭をかいている。ホントコミカルだ、シキさん。そのコミカルな動きを銀翔さんにもわけてあげて欲しい。
「ぼ、坊主、それはお前の能力か!」
「ん?」
シキさんは俺の能力ではない。しかし銀翔の能力もあまり他言するものではない。ならばだ。関口にご紹介しよう。
「神様のシキさんだ」
式神という神さま。われらがシキさん。
「か、紙だと……」
感動の別れのはずがシキさんに完全に乗っ取られはじめた。まぁシキさんは可愛くて強くて頼もしいからしょうがない。だから俺はその場の空気に乗ずるように気さくに手を振る。
「じゃあな、関口」
そして部屋を出ていく。湿っぽいのは今の俺のキャラじゃない。感謝はしている。だけど浸っている時間はない。俺にはやらなきゃいけないことがあるから。
「気合と根性だッ!」
医者の言葉を奪いただ前へと進みだす。
◆ ◆ ◆ ◆
「強くなりやがって……」
一人診察室に取り残された関口は椅子の位置を元に戻す。けして短い時間ではない。一年という時間を共に過ごした少年。そしてその成長する姿を近くで見守ってきた。
「お前の言う通り俺はやぶ医者だよ」
どこかスッキリした顔で窓を眺める。少年が走っていく姿を見守りながら。
「今度は救えてよかった……」
それは関口という医者にとっても救いだった。救えない者もいた。諦めてしまったこともある。医者は万能ではない。それが精神という不確かなものを扱うならなおさらだ。
「頑張れよ……坊主」
生きたいと願ってくれる姿が何よりの医者の報酬だ。
◆ ◆ ◆ ◆
薄気味悪く暗くなる高尾山。
「…………」
――なんで……俺は寝転がってんだ。
僅かな血だまりが地面に出来ている。そこに俺は寝そべっている。
「…………」
――試験は終わっていない。動かなきゃ行けねぇのに意識が切れちまいそうだ。
冬の寒さが体温を奪っていく。痛みが無くなっていく視界が薄ぼやけて閉じていく。
――歩く力も出ねぇのかよ……。
悔しさが胸を締め付けていく。諦めずに進んで強くなったのにそれら全てが届いていなかった。全然足りてなかった。彼女言ったことは正しかった。
『わからないなら、何度でも言ってやる! アンタは最下位で才能がないから無理だって言ってるの!!』
費やした時間も執念も過酷な試験と冬の山に消されていきそうになる。
――時間が足りなかった……。
「……」
折れた骨は片手を超える。流した血液は三分の一に近づきつつある。その状態で動けていることが奇跡だった。それだけでも賞賛に値する。それでも求めたものに手を伸ばそうと土を掴み取る。
「……」
手に力が入る。それでも、
「——」
掴むもうとした土はボロボロと零れ落ちていく――。
《つづく》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます