第246話 ピエロ過去編 ーやるべきことが決まったら後は走り続けるだけなのだから―
昔の俺はどうしようもなく泣き虫だった。
異世界に言った俺はずっと泣き続けていた。家に帰りたくて泣き喚いていた。男の癖にビービーと見っともない姿だった。それをいつも赤髪の女の子に呆れられるように言われていた。
『はじめは……ホントに泣き虫で弱虫なんだから』
今思えば俺は本当に情けない奴だった。
ずっと泣き続けることしかできなかった。
彼女を殺した時も帰ってきてからも、銀翔に拾われてからも泣いていた――
「はじめ、反応が遅いッ!」
銀翔さんの拳が防御している腕に振れると俺の頭に情報が流れこんでくる。
【右フック】
「くッ――!」
ただどうしようもなく反応が遅れる。イメージが体の動きを阻害している。急激に視界が変わる様な能力。相手の感覚が自分の体に流れ込むのを止めることはできない。二つの感覚が意識をかき混ぜてくる。
――能力に意識が持ってかれて動けねぇ!
動かない体と意識。能力による一時的なノイズ。右フックが来ると分かっているのに反射すらできない。どうやって銀翔さんが動くかもわかっているのに、先の攻撃が分かっているのに自分の意思が汚染されている。
「ガァッツ!」
歯を食いしばって止まった俺に銀翔さんの肘うちが入る。衝撃で体が回転して壁に強く打ち付けられ肺から空気が漏れでる。呼吸が止まる。来ると分かっていて耐えはしたがガードがない攻撃は急所に撃ち込まれている。
膝が笑っちまう……。
「はじめ、そんなんじゃマカダミアキャッツは受けさせられないよ!」
「…………」
ダメージでマヒした体。
だが意識は生きている。
―—そんなことはさせねぇ!
それだけはさせないと意志を込めて立ち上がる。
「もう一本お願いします!」
銀翔さんとの約束の日以来、トレーニングが加速していった。銀翔さんも俺の本気の意思を受け取りそれに答えようとマカダミアレベルの力で動いてくれている。どうにか一撃ぐらいはガードを出来るようになった。
だが、ついてくことがままならない。
能力が足かせになってしまっている。攻撃を受けるたびに感覚が能力に奪われて動きが止まってしまう。どこまでも戦闘に向かない。急に別の視点に視界が持ってかれる。
能力に脳の映像処理が書き換えられる。
途切れた時に反応しようとしても切り替えが遅くて間に合わない。
どこまでも厄介で使いづらい。おまけにオンとオフという概念が俺の能力にない。そのせいで攻撃を受けると強制的に発動してしまうのがまたやらしい。動きだけに集中出来たらまだどうにかなりそうだが、同時に違うものを取り込むのが難しすぎる。
それが速い戦闘であればあるほど、神経を削ってくる――。
「はじめ、別の事に意識を取られないで集中!」
分かっているのにどうにもできない。意思とは無関係の領域にある。
【諦めるかい?】
成長しない俺の体たらくに銀翔さんの声が聞こえる。この程度では無理だと。この領域ですら手が届かないのであれば無駄だと。だから俺は悔しくて歯を食いしばる。
——ゼッテェ諦めねぇッ!
無我夢中でトレーニングを繰り返す。時間がない。もう夏が終わる。残された猶予など毛ほども無い。
「シキさん、お願いしまっす!!」
銀翔さんとのトレーニングが無い日に俺はシキに戦闘訓練をお願いする。シキが小さい体で飛び跳ねる。それをどうにか目を凝らして視ようとする。
——見失うな……!
俺を試す様にシキは攻撃を仕掛けて来ずに移動を繰り返す。わずかに視界から白い者が消える。いくら注意しようとも見える限界がある。そういう時には気配に頼る。
——耳を澄ませ、視野を広く保て。
視界で無理なら他の五感を使う。視界だけでは足りない。聴力を触覚を、視野を大きく広げ変化を捉えにかかる。耳に風の吹く音が聞こえた。
——右……。
俺の右側の死角を突くように小さい体が蹴りを放つ。
「グッツ!」
それを耐えるように右腕で防ぐ。そして視界を集中する。その白い紙を見落とさないように。シキの動きを観察する。シキも攻撃の基本がわかっているのか俺の死角を突いてくる。
ただ銀翔さんと違って楽なこともある。
シキは物質だから触れてもノイズがない。俺の能力はシキには発動しない。だからこそ俺は戦闘に極限まで集中する。
白い紙と本気で拳を交える。
「……くぉ……そおお」
そして二十分間の間ボコボコにされて地べたを舐める。最後にボディへのキックと顎へのアッパーで俺の神経は敗北したボクサーように断絶された。下半身に力が入らない。
本当に紙なんですかこのシキさんというほどの威力。
俺の頭の上でポンポンと衝撃が走る。
まだまだお前には負けんという意思表示なのだろう。Dランクのシキさんとまともに戦えないようであればマカダミアの受験で受かることはないだろう。
——見てろよ……シキさん。いつか師匠を超えてやるからッ!
余裕をかますシキだが俺は見逃していなかった。鏡越しにみた光景。俺の頭の上で汗をかかないはずのシキさんがちょっと危なかったぜ的な風に汗を拭う仕草を見せたのを。
——シキさん、あなた……本当は人が入ってます?
あまりに動作が人間臭い式神アヤシイ。と、シキさんへの疑念も高まりながらも俺はトレーニングを続ける。
「イッテェ……」
疲れで叫んで起きることもなくなった。痛みに慣れたせいもあるかもしれないが、毎日続くと不思議なことに耐性が着いてる気がする。
開始時間を早朝に持ってくるようになった。
朝五時から早朝のランニングをするようになり、
「銀翔さん、朝ご飯できましたよー」
「ふわー……」
朝メシを作るようになっていた。そして銀翔さんを起こすのも日課になった。
「ほら、顔洗ってきてください。コーヒー淹れておきますから」
「ありがとう、はじめ」
そして朝食のお世話をして見送るまでも日課になっていた。
「ネクタイ曲がってますよ、銀翔さん」
「ありがとう」
俺は玄関前で銀翔さんの身だしなみをチェックしてネクタイを向かい合って直す。お世話になっているからには何か役立つようにと最近は思うようになってきた。
「いってらしゃい、銀翔さん」
「いってきます!」
もはや新妻のような働きっぷり。
だが意外となれると家事も楽だった。効率よく終わらせる方法はいくらでもあるし、俺は毎日休日だからやることそんなに多くはない。おまけにシキさんも時たま洗濯などを手伝ってくれるので助かっている。
――それにこの生活も長くは続かない。
俺はもう動き出してしまった。
おそらくマカダミアに入る入らない関わらず俺は俺を貫き通す。
となれば――
「いずれお別れだから……」
それまでの親孝行みたいなものと思って俺は精一杯過ごす。
そしていつものように肉体トレーニングへと移行する。
「千三百……千三百一」
回数は常人のそれを超えていた。段々と異世界人との差も埋まってきている感覚がある。誰よりも弱い俺は誰よりも強く進歩しならなければならない。
だから止まっている時間なんてない。
やるべきことが決まったら後は走り続けるだけなのだから。
そうして、季節は過ぎていった――。
《つづく》
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