第242話 ピエロ過去編 ー何度でも何重でも幾度でも!―

 異世界から帰ってきて二度目の冬――


 俺は絶望という暗闇で光を見た。今にも消えそうで頼り無い光。どこまでも遠く見えなくなりそうな程細い針のような光。その光が消える前に俺は掴もうと手を伸ばした。


 それを掴めば何かが動き出す気がしたんだ。


 それを手に取れば何かが終わる気がしたんだ。ずっと続く暗闇を抜けられるような気がしたんだ。それを希望と呼ぶにはあまりに残酷だったけど、救いだと思ったんだ。


 どこにあるかも分からない光に向けて――俺はただ真っすぐに手を伸ばしたんだ。





「シキ、やるぞ!」


 傾斜四十五度。距離一.二キロ。途方もなく続く坂道を前に胸ポケットにいる式神へと意気込みを告げる。シキがお子様ランチにささってそうな旗を胸元で振って応援してくれている。


 銀翔に対して中学校への編入を断りやる覚悟は決まった。


 ――強くなる


 目指す先は決まった。俺が何をしたいかも決まった。


 ——その為に強くなる。


 足を力強く一歩踏み出し強く願う。


 ——アイツよりも俺は強くなるッ!!


 自分の本心を知ったしまった。どうしたいかも分かってしまった。だからこそ目指す先はダブルSランクとかいう訳の分からない領域。


「はぁ……はぁ……」


 シキが胸ポケットを頑張れというように激しく叩いてくる。休んでいた体が鈍っている。肉体能力が低すぎる体はすぐに限界を告げてくる。まだ一分と走ってないのに肺がぶっ壊れた様に狂っている。


 顎が上がって息が漏れ続ける。


「がぁ……ぁああああ」


 ―—苦しい。


「だぁ……らぁあああ……」


 ——空気が足りねぇ、足が重い!


 周りを行く人が不思議な顔で俺を見ている。それは無様だったのだろう。坂を全力で駆け上がろうとしてペース配分を間違えている馬鹿に見えたのだろう。何やってんのって冷たい目線が注がれている。


 ——嗤いたきゃ、嗤えよ。


 限界なんかどうでもいい。苦しみなどどうでもいい。俺は途方もなく小さい光を掴もうとしている。光年とかいう距離に近いんだと思う。


 ——知ったことかよ……。


 一歩でもいい。ただ前に。ゆっくりでもいい。それでも俺にとっては全力だから。止まるなと心臓が滅多打ちに体を叩きつける。坂道だろうが針の山だろうがなんでも構わねぇ、今より強くなれるなら。


「着いた……ハァハァ」


 坂の頂上でぶっ倒れるようにして空を見上げた。やり終えた達成感とまぶしい空。北風が雪を散らして俺を踊り嘲笑うような声が聞こえた。


 ……声?


「何……あの子?」「道端で寝て汚くない……」「何かの撮影かな?」「なんで?」「よく見ると可愛くない、あの子?」「確かに……子役っぽいかも」


 周りの雑音を聞いてると恥ずかしくなってくる。自分に酔いしれている俺の様を憶測で滑稽に話されてるようだ。顔が熱い。羞恥心に殺されそうだ。


 一人で俺は何やってんだッ!?


 俺は慌てて起き上がり家に逃げ帰っていく。外でやるには恥ずかしすぎた。


「ふんッ! ふんッ! ふんッ!」


 家で筋トレを繰り返す。腹筋から腕立て、背筋、スクワット。思いつく限りの筋トレを実行していく。ただそう回数は持たない。十も行けばいいほうだった。それでも何回もサーキットトレーニングを気が狂ったように繰り返して、時間が過ぎていく。


 塵のようなものをかき集めるように。自分が出来ることをひたすら繰り返した。


「はじめ……なにやってるの?」

「…………」


 リビングで倒れて寝そべっている。動けない状態の俺に銀翔の白い眼が向けられた。シキがペシペシ叩いてくるのだが筋トレのやりすぎで動けなかった。いきなりハードにしすぎたせいだ。


 まぁ仕事から帰って家で倒れてるこんな奴がいれば『何してんの?』と思われてもしょうがない。おまけに登校拒否しているようなものだし。糞ニートがわけのわからんことをしている光景そのものだろう。


「ごはん……食べた?」

「まだ……だ……」


 死に絶えながらも返事を返す。食事を取らなきゃ。鍛えても栄養がないと意味がない。全力を込めて立ち上がる俺を不思議そうな目で見てくる。さぞや頭がオカシく見えてることだろう。ふぬぉおおと起き上がる無職の同居人。


 銀翔には本当に悪いことをしている。


「日中、何やってたの……」

「筋トレ……」


 銀翔がすごい冷たい目で見てくる……。


「……程々にね……」


 当たり前の忠告だった。動けなくなるほどするものは筋トレではないと気づくには若すぎる情熱。歯止めなど効かない俺の青春。


 ——足りない。


 だが、立ち止まっている暇はない。


 ——時間が足りない。経験が足りない。強さが足りない。


「イッテェエエエエエエエエ!」


 ベッドから朝起きると全身が悲鳴を上げた。体中の内部で繊維がブちぎれた感覚。動かすために何かがひっかるような重さ。そして走る激痛。結果、銀翔の目覚ましとしては最高の役割を果たした。


「はじめ……安静にね」

「わかってる……」


 銀翔が扉を閉めると同時に俺は筋トレを開始する。体中に激痛が走って最初の数回すら満足にスピードが出せない。それでも続ける。自分の未熟さを噛み締めるように痛みを受け入れて。


「一――二――」


 首に筋が浮かび上がるのがわかる。全身の筋肉が硬直している。それでいいと思えた。無理やりでも体を動かしていないとどうしようもない。暗闇の先に見えた光は針の先のように細く消えそうなのに――


「十――十一」


 熱い。気が狂いそうなど熱く奮い立たせてくる。


「シキ、ストップウォッチよろしく!」


 昨日の坂道を前に俺はまた走り出す。止められないことはわかっている。抑えられないことも見て見ぬ振りをすることも出来ない。全てを知ってしまったから。


 アイツという存在を知ってしまったから――


 涼宮強という《特異点》を知ってしまったから。


「はぁ……くっ……ぬっ、はぁ」

 

 坂の上に着いて近くの電柱にもたれ掛り倒れずに震える足で立つ。ストップウォッチをこちらに見せてくるシキ。


 十二分。


 感想としては遅いとしかいいようがない。わずか一キロ程度の坂を上るのにかかる時間。どうしようもない肉体強度。


「こんなんじゃ……ダメだ……」


 俺は坂の下に戻ってやり直すことにした。


 今日中に二分は縮めてやると心に決めて――


 それでもその日にタイムが縮まることはなかった。


「イッテェエエエエエエエエェエエエ!」


 毎朝起きると地獄のような痛みが襲ってくる。叫び声を上げて激しく起き上がる俺の横で時間かと銀翔が目覚める。銀翔にはなまった体を鍛え直していると伝えて事なきを得ている。


「はじめは……頑張り屋さんだけど、加減を知らないよね」

「……」


 ちょっと馬鹿にしたようなことも言ってくるようになった銀翔。まぁ毎朝叫んで起こしているのでツッコむことすら出来ない。その通りだった。一か月もこんな馬鹿なことを続けている人間につける薬はないのだろう。


 ——愚かだと言われてもいい。


 だけど、俺はひたすら続けた。次第に筋肉は付いてきている。痩せた体の腹筋にうっすらと筋が入ってきた。それでも体中痛いのは変わらない。ずっと痛みがある。軋むような音が体内から聞こえている。


「三十五……三十六……」


 サーキットトレーニングをずっと続けた。ベランダに足をかけて腹筋をするようになったり室内にある手すりを使って懸垂までするようになった。まずは身体能力を上げなければならない。


「五十……五十一」


 そして、俺はある自分ルールを作った。


 『昨日の俺を今日に超える』


 回数は必ず昨日よりも多く増やしていく。坂をあがるタイムも一秒でも縮まらなければ何度でもやり直す。そして、必ず遵守することを決めた。


「おかわりッ!」

「わかった……」

「もっと大盛りにしてくれ!」

「こんなに……食べて吐かないでね……」


 銀翔の俺を見る目は日に日に痛い目に近いが気にしている余裕はない。まだまだなのだ。やればやるほどわかる。自分の非力さと才能の無さ。異世界に云ったやつらからすれば俺なんて村人よりも弱い。


「うっぷ――!」 


 突然に襲い来る吐き気は治ったわけじゃない。 俺は慌てて口を両手で塞ぎ吐しゃ物を飲み込む。


 ——吐いちゃダメだッ! 弱くなるッ!!


「くッ――!」


 気持ち悪さと苦々しい味が広がる。それでも俺は耐えきった。ただ強くなりたいと願ったから。体に入れたものが逃げないように無理やり閉じ込めて力に変えたいと。


 暗闇が現れようと構うことを止めた。忘れたわけではない。


 ——まだ終わらねぇ……。


 俺は俺が殺した奴らに告げて後にする。


 こんな結末を望んでいないだろうと。俺がもっともがき苦しむ様を見たきゃ大人しくして見てろと。体から抜けない激痛が罰であるかのように錯覚した。悲鳴を上げるような呼吸が罪の苦しさだと錯覚するように。


「イッテェエエエエエエエエ!」


 俺はただただ、ただただ、ただただ、


 何度も愚行を繰り返す――


「銀翔! 闘い方を教えてくれ!!」

「は……い?」


 休日だろうが構わず声を掛けた。異世界での戦闘経験がない俺には頼れるものが銀翔しかいない。それに銀翔がトリプルSランクであるならばヤツよりもつ強いということ。


「大丈夫……やりすぎちゃったかな……?」

「あっ……ぼえっ!」


 鳩尾に一発喰らって俺は吐しゃした。様子見の一発だった。それでも俺には衝撃が強すぎた。殴られたというより抉り削られたような感覚。そんな情けない姿を悲しそうに見る恩人。


「別に戦い方なんて……いいんじゃないかな?」


 銀翔が俺に優しく手を差し伸べてくれたが、


「銀翔、もう一回だッ!」


 俺は激しく振り払う。優しさなんていい。


 強くあれるならどんな苦痛だろうが受け入れてやる。


 何度でも何重でも幾度でも!



《つづく》

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