第241話 ピエロ過去編 —安堵のため息の理由—

「はじめ、無理にとは言わないけど」


 朝食を一緒に食べてる最中に銀翔が微笑んで俺に話しかけていた。テーブルの上でシキが俺のナイフを持っている手をペシペシ叩いて見上げている。俺は気づいて、わずかに遅れて顔上げて反応を返す。


「春から学校へ通ってみない?」


 もうすぐ季節は二度目の冬を迎えようとしていた。銀翔との生活も一年が過ぎる。当初とはだいぶ違い生活が確立されつつあった。


 そこに突然の変化が舞い込んだ。


 食事をとるようになったおかげで元から細身だったのもあるがやせ細った体も大分戻ってきていることもあり、そろそろということなのだろう。通院しているところの関口からも、だいぶ良くなってきているから坊主も学校とかどうだと言われていた。


「興味があれば、ちょっと読んでみて欲しいんだ」


 銀翔は俺の返答を待たずに鞄からパンフレットを取り出してテーブルの上に置く。シキは何かなと言った感じでパンフレットの上に乗って転んでいる。


 俺は何も言わずにパンフレットを持ち上げた。シキが垂直に上がっていく乗物から滑って転げ落ち、不思議そうに俺を見上げている。


「すぐにとは言わないから、ゆっくり考えてみて」

「わかった……」


 そうして銀翔は仕事に出かけ俺とシキが部屋に残った。


 銀翔が出かけてため息を漏らす。これは安堵のため息だ。銀翔から話しかけられていた時も俺は他の事に気を取られていた。


 どうしても俺の頭から離れない――


 特異点という存在。


 春ということは、年齢的に今からであれば俺は中学三年生ということになる。


「学校か……」


 アイツも俺と同い年。


 どこかの中学校に通っているのだろうか。それとも能力者の学校か。俺はヤツの事をほとんど知らない。俺と同い年の男が世界を狂わせている元凶だということしか俺は知らなかった。


 銀翔が置いていったパンフレットを開いて中身を読んでいく。俺の腕を登り棒にするようにシキが昇ったり滑り落ちたり遊んでいるのを気にせずにページを捲っていく。


 この世界では能力者専門の学校と一般人向けがある。これは異世界経験者と未経験者が年代別で存在するためだ。


 早いうちに連れてかれているので六歳から始まり上は八十代まで異世界転生は記録されている。但し能力が戦闘に属さない場合は一般向けの学校扱いと大抵なされる。よほど武器の使い方や戦闘に秀でているものでなければ能力者向けの学校に通うことなどまずありえない。


 だから、俺の前に置かれたパンフレットは


「一般向けか……」


 当たり前のように一般向けだった。


 新宿にある学校のパンフレットには学生たちの楽しそうな風景がこれでもかと映っている。まだ改築したばかりのなのか校舎が綺麗だ。その中で学生たちが笑って歩いている。


 それも青春の輝きを眩しいくらいの笑顔で放つモデルたち。


 それを見て、なぜだか、俺は悶々とした。


 何かがつっかえているような感覚だった。そこに自分がいる姿が想像できない。温かい陽だまりのような風景に溶け込むことなどありえないと思ってしまった。


 だって――


 俺の手は薄汚れている……いくつもの命を理由もなく奪って生きている。


 だから――


 俺はこいつ等みたいに笑えない。こんな風な笑い方は忘れてしまった。


 自分と云う存在が世界から許されることが想像できずに俺は椅子に身を預けて天井を見上げる。


「アイツはどんな風に笑う……」


 アイツがもし学校に行ってるのなら、どんな顔をして過ごしているのだろうと気になった。そしてどんな風に笑顔を浮かべるのだろうと自然と考えてしまう。


 涼宮強という、


 アイツは何をしているのだろうと――


 銀翔に触れてアイツを知った日から俺の心は囚われていた。


 これは俺みたいな一般人が知っていい情報ではないことも分かっている。世間では異世界へ行く仕組みについては解明されていない。世間ではどうして世界が変わったのかもハッキリ分かっていない。


 それが――


 たった一人の存在が原因なのだとしたら。


 『世界改変ミレニアムバグ』がアイツを元に起きたことだなんて情報が流れようものなら世界はパニックになる。それほどのシークレット情報なのだ。銀翔衛というブラックユーモラスリーダーだからこそ知りえた情報を俺は手元に持ってしまった。


「だからって――」


 分かってはいる。この問題に触れた時から俺は分かってはいる。


「俺にはどうすることも出来ねぇだろう」


 分かってはいるのに、なぜか俺の頭はそのことを何度も考えてしまっている。




 知ってしまった、あの日から――




 それから俺は忘れようと努めて学校への準備の為に学習を進め始めた。小学生の時に連れてかれたせいで中学校の分野については何一つ手を出していなかった。方程式や英語。新しい知識を頭に叩き込んでいく。


 俺の自頭が良かったせいかスラスラと学習は進んでいった。


 失くした時間を取り戻すために、


 遅れた時を取り戻す様に、


 俺は中学校への入学の準備を進めていった。


 家事をやりながら空いた時間を縫って十二月から始めて一月には中学一年の基礎学力を身に着けていた。その学習の呑み込みの早さに銀翔が驚いていたが、何より俺自身も驚いていた。


 デスゲームでの恩恵なのかはわからない。


 何度も繰り返し大人との思考の読み合いをしていたせいか理論立てて物事の裏を読むのがうまくなっていた。知識に飢えていたのもあるのかもしれない。知らなければ殺される世界だったから。


 知ろうとする時に集中力が上がっている。


 何かを見逃してはいけないと注意力が働く。


 それでも時折だが、鉛筆を止めてアイツのことを俺は考えた。


「坊主、生意気にも頭がよかったんだな」

「関口は医者のくせに患者にそんな口を聞くのか?」

「そっくりそのままお返しするぜ。ガキの癖に大人にタメ口聞くな!」


 通院を繰り返すうちに関口とも俺は会話をするようになっていた。胸ポケットにはもちろんシキを隠している。


「これはデスゲームのせいだから気にするなよ、関口」

「お前は頭がいいから呼び捨てにする意味をわかってやってるだろう」


 関口が眉を顰めて困ったように笑う顔に俺も笑って返した。だが言ってることは本当だった。昔は大人相手にタメ口を聞くことはしていなかった。


 この癖がついたのは『クラウントイボックス』に行ってからだ。


 あっちでは大人も子供も関係なかった。むしろ大人の方がタチが悪い連中が多かった。知恵が働くぶん狡猾であり容易く罠にかけてくる。弱みを見せればつけこまれる。痛い目を何度も見るうちに俺は子供に見られることを捨てなければならなかった。


 対等でいなければ食い物にされることがわかっていたから、


 俺の口調は誰に対しても荒くなってしまったのだ。


「で、最近体調のほうはどうだ?」

「まぁ……悪くはないけど」

「けど、なんだよ?」


 関口に嘘をつくのはダメだと銀翔に言われているし、信用もし始めたからこそ俺は本当のことを口に出そうとしている。けど、どうも嘘をつくのが当たり前だったせいか本当のことを口に出すのが苦手になりつつあり、俺はムズかゆい気持ちを押し殺して口を動かした。


「やっぱり……たまに吐いちまう」


 弱さを見せることがどうにも苦手になっていた。それはつけこまれる。それは利用される。その考えが本能に植え付けられている。


 命のやり取りをし過ぎた代償は確実に俺の人生を狂わしている。


「まだ黒いやつは見えるのか?」

「……見え……る」


 いつまでたっても消えはしない。


 弱さをみせるのに慣れない性分といつまでも消えない症状。それが俺の気持ちを暗く落ち込ませる。立ち上がっているつもりでもどこかその足を過去に取られている。進みたいのにどこまでも沈んでいくような結果。


 生きようと決めてからが辛かった。

 

 足掻いても足掻いてもどこかで囚われている。どす黒い底なし沼に身を取られるように必死になっても生きることがままならない。


 俺は不安な気持ちを押さえつけるように胸ポケットに手を強く推し当てた。ここに触れていれば僅かに和らぐから。ここには俺の味方がいるから。


「吐くのも、黒い影が見えるのも気にすることはねぇ」

「えっ……」


 そして、目の前の医者も俺の味方だった。


「それはお前の罪の意識だ。誤魔化す必要もねぇし、偽る必要もねぇ」

「……辛いんだぞ」

「辛くたっていいだろう!」


 何がと俺は関口の顔を不思議そうに見返す。


 関口は俺に優しい笑みを向けて話をつづけた。


「苦しむのも生者せいじゃの特権だ。辛いのも生きているから感じるんだ」

「……」

「その代わり嬉しいと思うことや楽しいと思うこともできるんだ」


 辛いのは生きてれば当たり前だと言わんように関口はいう。これはお前だけじゃなくて、みんなそうなんだと。それに辛いだけではないだろうと。確かに銀翔とシキと過ごす日々は俺にとってかけがえのないもので嬉しい時や楽しい時もある。


「それはお前が罪から逃げずに立ち向かってる証拠だ。馬鹿正直に真正面から向き合ってる証拠だよ」


 関口の言葉にお前は頑張ってるよと言われている気がした。


「だからあとは――」


 関口は口角を緩めて手を強く握って拳を見せ笑い飛ばす様にいう。


「気合と根性よッ!」


 いつもの言葉とその姿に俺は顔を下に向けて鼻で笑い返す。


「なんだよ……それ。関口はいつもそればっかりじゃん……」


 関口は本当にヤブ医者だ。薬は出さないし診察は適当だし、最後にはいつも『気合と根性』しか言わないのだから。病気と闘えといつも声を張り上げるだけだ。ボクシングのセコンドのように患者に戦えとエールを送ってくるだけのやぶ医者め。


「坊主、頭撫でてやろうか?」

「遠慮しとく」


 俺が素っ気なく返すと関口はため息をついた。


「まだ触られるのは嫌ってことか……飼い猫が中々懐いてくれない主人の気分だぜ」

「関口とか便所行って手を洗わなさそうだから、俺はイヤ」

「洗うわッ!」


 くだらない話で俺と関口は笑い合う。徐々に徐々に距離をつめていくように。確認してから触るというやり方は関口なりの配慮なのはわかっている。俺が銀翔以外に触られるのを拒んでいることも知っているから。


 俺は人の心に触れるのがまだ怖いから。


 だから関口はその時を待ちわびているようにいつも聞いてくる。

 

 触っていいかと――



 そうやって少しずつ生活は変わっていっている。絶望に負けて何もできなくなったあの日からちょっとずつ俺は幸せになっている。周りに温かい人がいてくれる。頼もしく俺を護ってくれるシキもいる。


 何一つ怖いものなどないはずだと――


 このままでいいのだと――


 ただ時は過ぎていく。だが時間は待ってはくれなかった。


 三月に入った。


「はじめ、中学校はどうする?」

「あれは……」


 銀翔が優しく問いかけるのに俺の言葉は詰まった。ここで行くと答えるのが正解だとわかっている。そうするべきだとわかっている。それが幸せに続く道だと理解している。


 なのに――


「あれは……」


 言葉が尻すぼみになっていく。俺は自分が何を迷っているのかもわかっていなかった。どうして答えをいえないのかもわからないまま、俺はまごついて、たった二文字を口に出せなかった。


 その姿に銀翔が不思議そうな顔をしている。


 行くって言わなきゃ……学校へ行くのが正解だ。


 俺は考えをまとめて口を動かしだす。


「やめとく……」

「えっ……」


 二文字が出せない俺は四文字の言葉を返した。自分でも分からずに口が動いていた。俺は言ってしまった後で自分が何を決断したのかに気づいて銀翔を見た。期待を裏切ってしまった。幸せになることを望んでいる銀翔に反旗を翻したという事実に恐怖が過る。


 怖かった――


 怒らせてしまったかもしれないということが。


 怖かった――

 

 銀翔に拒絶されるかもしれないということが。


「わかった」


 だが銀翔は優しかった。


「はじめがそういうならまだなんだね。ゆっくり行こう」

「あっ……」


 選択を間違えている俺にどこまでも包み込むような微笑みで優しい言葉を投げかけた。俺は何も言えなくなった。


「ちょっとずつでいいんだよ。気にしなくていい、無理しなくていい。はじめのペースで行けばいいから」

「……」


 銀翔はどこまでも俺に優しい。この男は底抜けに優しくて何も知らない。


 一年間という月日を一緒に過ごしても、


 俺という人間をわかっていない――


「じゃあ仕事行ってくるね♪」

「うん……」


 扉の閉じる音が聞こえる。扉の隙間から光が消えていく。


 銀髪の髪が遠ざかっていく。世界と俺が隔離されていく。


 銀翔がいなくなった部屋で俺は一人。


 またため息をつく。それは安堵のため息。どこかでほっとしている、銀翔がいなくなった世界で俺は。俺は銀翔がいなくなったあとにため息をどうしてつくのかが自分で分かってしまった。


 だから俺は、銀翔のいない世界で

 

「ごめん……銀翔」


 届かない声で謝ることしかできなかった。


 


《つづく》

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